苦しくない
YKME
至らない
足りないものばかりである。
30と少し生きてきて、何も習得しないままのらりくらりと生きてきた。
親にはしこたま怒られてきた。20年強ともに過ごしていたが、褒められたことは片手で数えられる程度だろう。もちろん、憶えていないだけかもしれない。それほどまでによく怒られていたということだ。低能の塊を育ててくれてありがとう。
異性を好きになったり、なられたりすることなく学生生活を終えた。交友のあった知人たちはすでに結婚している。いまだ興味が湧かず、なんならまだ子供のような精神でいる自分がおかしいのだろうということは理解している。おかしい自分を切り捨てないでいてくれたことに感謝している。
友人の作り方も知らない。自分から話しかけるという選択肢がなかった。絵を描くくらいしかできないから、自分の席で絵を描いていて、話しかけられてからが交友の始まりだった。小学校の頃からずっと。それがなければずっと一人だっただろう。優しい級友たちに感謝すべきだというのに、私は何も返さないまま地元を離れている。返せるものもない。ただただ申し訳ない。
そもそも人との関わり方がわからないから、きっと迷惑ばかりかけてきている。自覚があるものもないものも全部拾えば数えきれないだろうに、何か一つでも挽回できただろうか?おそらく何もできていない。
いま多少なりとも関わりのある人らにも、感謝すべきなのに申し訳なさの方が先立ってしまう。ゴミのフォローなどしたくもないことをさせている気がしてならない。優しい人しかいないから指摘されないが、自分ではわかっているつもりだ。それでも治らないのだからクズだ。
学生時代に何を考えているのが普通だったのだろうか。私は何も考えていなかった。ただ時間が過ぎるのを見ているくらいしかしていなかった。自分がぼーっとしているあいだ、周りは自身の将来をどうやって考えていたのだろう。私は高卒で一度就職したが、何か考えがあってではない。進学するという考えがなかっただけだ。高校一年の頃に、親に「進学してもいいが一円も出さない」と言われたのがきっかけではあるが、その言葉を「就職しろということだな」と解釈して何も考えずそちらの道を選択したのは私だ。私の人生の責任を負うのは私だのに、馬鹿がゆえに先を見据えることもせずただ就職した。短絡的にもほどがある。
30歳になるまで、私は自身がどれほど自分の未来を見ていないかを認識していなかった。将来の夢があったのは小学3年までだ。漫画家、なんて書いた記憶がある。絵には自信があったのだ、その頃は。現実的ではないとすぐに気が付いたし、他になりたいものは浮かばなかった。もっとよく考えていたら、何か別のルートを進んで、今のように毎日死にたいと思いながら暮らすことはなかったかもしれない。そう思うと、やはり自分は間違えてばかり、怠けてばなりのぼんくらカスなのだなと再認識する。
死にたいと思っているにしても自殺をする気はいまのところない。自殺は「これきりの迷惑」という意見もわかるし、しばらくの間は同じように考えていたが、今は最低限の迷惑で済ませたいという気持ちが勝っている。他人にとって私のつらさや苦しさなどは関係ないからだ。役に立てない詫びとこれまでの感謝の気持ちをこめて、計画的に交友のある人らから少しずつ離れ、独りで死んでいこうと思っている。施設などを利用する方が静かに済むだろうから、真に独りとは言えないが。そうすれば、少なくとも忘れたころに私がいないことに気づいても「あいつどうしてるんだろうな」程度で済むだろう。死んだことを知っても「そうか・・・」で済むだろう。生まれてから死ぬまで至らないであろう私が、どうあがいても迷惑しかかけられない私が考えうる最大限の方法だ。少なくとも5年はこの考えで生きている。はっきり言って甘えている。至らない点ばかりで申し訳ない。
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