011 紗良が求めたもの

 紗良が言う「どうしても作ってほしいもの」とは――。


「歯ブラシと歯磨き粉、入浴用の石鹸と洗濯用の洗剤!」


「つまり衛生用品か」


「イエス! お湯で洗い流すだけじゃ汗のベトつきは落ちないし、このままじゃ虫歯になっちゃうよ! 明らかに口が臭くなってきてるもん!」


 紗良は俺の顔に「ハァ!」と息を吹きかけてきた。


「ね? 臭いっしょ!?」


「臭くなっている自覚があるのにする行為ではないと思うが……。あと、別に臭くはなかったよ」


「そういうお世辞はいいから! とにかく作って! 拓真の力でお願い!」


「紗良、強引すぎだよー。拓真君はすごいけど魔法使いじゃないのだから、そういうのは作れないと思うよ!」


 璃子が庇ってくれる。

 しかし――。


「いや、作れるよ」


「「「えっ」」」


 三人が驚いた。

 なぜか紗良までびっくりしている。


「もちろん薬局に売られているような物は無理だけどね」


「それでもいいから!」と切実な紗良。


「じゃあ私もほしい!」と璃子が続く。


「わ、私も……」と、控え目ながら真帆も。


「なら今から作るとしよう」


 正確な時間は不明だが、日没まで4~5時間は残っているはずだ。

 それだけあればどうにかなるだろう。


 ◇


 急遽、富岡たちの手伝いをすることになった。

 それによって1時間ほど遅延が生じたものの問題ない。

 衛生用品の製作開始だ。


「まずは歯ブラシを作ろう」


 作り方は簡単だ。

 適当な小枝を用意し、綺麗に洗って片方の端をほぐす。


「これで完成だ」


 作業時間は1分程度。

 市販の歯ブラシには到底及ばず、使い勝手は最悪だ。

 それでも歯を磨くことはできる。

 ただし――。


「痛ッ! うげぇ、歯茎から血が出てきたんだけど!」


「私もです……」


 ――難易度は非常に高い。

 紗良と真帆は上手に磨くことができなかった。


「拓真ぁ、もうちょっと改良してどうにかならない?」


 紗良が贅沢を言い出した。


「そういうことなら動物の毛を使うか」


 少し前、富岡たちがイノシシを持ち帰っていた。

 サイズはそれほどだが、頭にツノを生やしたカッコイイ個体だ。

 そいつの毛皮が燻製室にあるので拝借した。


「これでどうだ?」


 ブラシの先端にイノシシの毛をたくさん巻きつけた。

 歯に当たる感触がだいぶ優しくなったはずだ。


「これならガンガン磨ける!」


 と言いつつ、口から心配になるほどの血を撒き散らす紗良。

 どうやら彼女は、歯磨きにおける適切な力加減を知らないようだ。


「私も大丈夫そうです!」


 真帆も笑みを浮かべていた。


(やっぱり恩は売っておくものだな)


 イノシシの毛皮を拝借することを、富岡たちは快諾してくれた。

 理由はこれまでの恩があったからだ。


 筌や槍の作り方に加え、イノシシの捌き方も教えた。

 毛皮を捨てずに燻すよう助言したのも俺だ。


 やはり「持ちつ持たれつ」の精神が大事である。


「次は歯磨き粉だ」


 材料は二つ。木炭と塩だ。


「木炭を細かく砕いて塩と混ぜる。そこに少量の水を足してペースト状にしたら完成だ」


 場所を厨房に移して作業を行った。


「まさかここでも塩が役立つなんて……」


 塩を使うと知って真帆は驚いていた。


「木炭と塩はサバイバル生活の必需品だからね。どちらも幅広い用途で活躍してくれるよ」


 さっそく完成した歯磨き粉を試す俺たち。


「たまにはお上品な歯磨き粉も悪くないな」


 それが俺の感想だった。


「これのどこがお上品なの!?」


 そういって黒く染まった歯を見せる紗良。


「無人島だと塩は使わなかったからなぁ、もったいなくて」


「じゃあ木炭だけで?」と璃子。


「そうそう。粉末状にした木炭を歯に塗りたくって、それを改良前の小枝歯ブラシで磨いていた」


「わお! 拓真君はすごいなぁ」


「ワイルドすぎだろぉ!」と紗良も笑う。


「歯磨き粉は問題なかったようだし、あとは石鹸だな」


 必要なのは木炭と動物の脂肪だ。

 衛生関連になると、木炭はとにかく登場する。


「まずは歯磨き粉の時と同じく木炭を粉々に砕いていく」


 皆で手分けして木炭を粉砕。灰にした。


「今度はこの灰を鍋に入れていく」


 全員の灰を一つの鍋に集める。

 この作業を何度か繰り返していると――。


「拓真君、こんなに入れて大丈夫なの? 鍋の半分近くが灰で埋まっているよ?」


 璃子が心配そうに尋ねてきた。


「ちょっと入れすぎたかもしれないが大丈夫だ」


 鍋に水を加える。

 沸騰したらこぼれるであろう水位まで。


「これをかき混ぜたらしばらく放置する」


 厨房でまったり過ごした。

 雑談を楽しみつつ、清掃作業をちょろちょろと。


「そろそろだな」


 鍋を確認すると、灰が底に沈殿していた。


「あとは上澄みを別の鍋に移し、動物の脂肪と一緒に煮詰めるだけだ」


 イノシシの脂肪を使った。

 毛皮の時と同じく富岡に譲ってもらったものだ。

 食用に適していない部分を捨てずに保管しておいた。


「拓真がイノシシの脂肪を欲しがった時は気でも触れたのかと思ったけど、まさか石鹸の材料だったとはねー!」


「拓真君は何でも活用しちゃうね!」


「伊吹先輩の傍にいると学びがたくさんあって楽しいです!」


 鍋に入っている灰汁と脂肪の混合物が固まってきた。


「水分が飛んだだけでこんなに固まるんだ!?」


 璃子は想像以上のドロドロ具合に驚いていた。


「水分の蒸発だけじゃないよ。灰汁のアルカリ性と動物の脂肪が反応して鹸化けんかしたんだ」


「なんか聞いたことあるかも!」


 璃子の言葉に、紗良が「化学の授業で習ったやつだ!」と続く。


「固形化の大部分は鹸化によるものだと思う」


 さらに過熱を続けることしばらく。

 脂肪が完全に消えて、石鹸のペーストが完成した。

 ただし、このままだと熱くてドロドロなので使い勝手が悪い。


 ということで冷却する。

 隣接されている貯蔵室に鍋ごとぶち込んで放置。

 待っている間は、木炭の量産や清掃をして過ごした。


「伊吹、そろそろ厨房を空ける準備をしてもらえるか? もうすぐ晩ご飯の時間になるから」


 そこに早川がやってきた。

 なんだかんだで夕方が迫っていたのだ。


「分かった。事前に言ってもらえて助かるよ」


 早川は適当な相槌を打つと尋ねてきた。


「どうして木炭を作っていたんだ?」


「それは――」


 これまでの作業について話した。

 いい機会なので、歯ブラシ、歯磨き粉、石鹸の製法を詳しく教える。


「すごいな! そんなものまで作れるのか!」


 早川の反応は紗良たちと同じだった。


「よかったら皆に広めてやってくれ」


「ああ! そうさせてもらう! 伊吹、お前は本当にすごいよ!」


 早川は嬉しそうに厨房を去った。


「これで皆の生活がより快適になって、早川の評判がますます上がるな」


「ほんと拓真は変わってるなー! 私だったら自分の手柄だって絶対にアピールするのに! そしたら女子からモテモテだよ! 絶対!」


 紗良の言葉に、璃子が「それはダメだよー!」と反論する。


「拓真君がモテモテになったら私らの相手をしてもらえなくなるじゃん!」


 真帆も「それは困ります!」と続く。


「そんなことより――」


 俺は貯蔵室から鍋を取り出した。


「――できたぞ! 石鹸だ!」


「「「やったあああああああああ!」」」


 ペーストが冷たくなって固まり、灰色の石鹸と化していた。

 鍋から取り出して適当なサイズに切り分ける。


「さっそく試してみよう」


 石鹸を使って手を洗ってみる。


「やっぱり市販品に比べると泡立ちが悪いねー」と璃子。


「それでも石鹸としての効果は十分にあるから問題ないさ」


 使い勝手は良好だった。


「これで衛生環境が大きく改善されましたね!」と真帆。


 俺は「そうだな」と頷き、それから補足説明を行った。


「衣類の洗濯についてだけど、これだけで物足りない場合は柚子を使うといいよ」


「柚子……クエン酸が狙いですか?」


「そうそう。レモンが定番だけど、現状では見つかっていないし、柚子で代用すればいいと思う。輪切りにでもして浸け置きすればいいよ」


「石鹸と柚子をセットにして浸け置きね! 了解!」と紗良。


「いや、それは違う。先に石鹸で洗い、そのあと柚子の輪切りと浸け置きするんだ。石鹸はアルカリ性で柚子は酸性だから、同時にぶち込むと中和して効果が落ちかねない」


「そうなんだ!」


「あと、浸け置きのあとは綺麗な水で流すように!」


「「「はーい!」」」


 こうして、紗良が求めた衛生用品が完成した。


 ◇


 それから時間が経過し、夜――。

 晩ご飯や集会が終わると、俺は一人で適当な民家に隠れていた。


 事前にこしらえておいた覗き穴かから森の様子を窺う。

 近くの家から女子の喘ぎ声が響いているけれど気にしない。


(今日も来い! 今日も来い!)


 そう願いながら待っているのは灯火だ。

 昨夜見た灯火の正体を確認するのが今回の目的である。


 俺は異世界人に違いないと睨んでいた。

 きっと闇夜に紛れて俺たちを偵察していたのだろう、と。


 そんな予感が的中した。

 いや、厳密には当たったのかどうか分からない。

 分からないが――。


(来た!)


 ――森の奥から灯火が近づいてきた。

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