004 ノーマルな罠

 多くの生徒を連れて湖にやってきた。

 男子は木の樽を、女子は大工道具や紐を持っている。


「では魚を捕るためのトラップ〈うけ〉を作ろうと思う」


「筌って何!?」


 紗良が言った。

 他の生徒たちも知らないようで首を傾げている。


「別名〈もんどり〉だが、こっちに聞き覚えは?」


 紗良と璃子は首を振るが、何人かは「あー」と理解を示した。


「筌は伝統的な円筒形の罠で、入口は広く、奥に行くほど狭くなっている。厳密に言うと円筒形の筒に円錐台の筒を入れた二重構造になっていて、最奥部まで行った魚は抜け出すことができない」


 構造を説明したら、実際に皆で筌を製作した。

 木の樽を分解して規格化された板を入手し、それを大工道具で加工していく。

 次に適当なロープで板を連結して、それそれの筒を作る。

 最後にそれら二つの筒を重ね、別のロープで固定したら完成だ。


「筌の仕組みって木の樽トラップと似ているよね! お魚が入ったら逃げられなくなるところとか!」


 隣で作業中の璃子が言う。


 俺は「気づいてしまったか」と笑った。


「木の樽トラップを作る時に言った〈ノーマルな罠〉が筌なんだ」


「なるほど!」


 俺たちが話していると、三年の男子・早川が「注目!」と手を挙げた。


「手先の器用な人はトラップ本体を作ってくれ! 苦手な人はロープを頼む!」


 生徒会長を努めるだけあって積極的に指揮を執っている。


「任せろ早川!」


「俺たちが立派な筌を作ってやんよ!」


 男子たちが「うおおー!」と叫ぶ。


「やっぱり早川君はイケメンだなぁ」


「ねー! 私、いつか告白するって決めてる!」


「私だって!」


 女子たちは早川を見て目をキラキラさせていた。

 学校でも何度となく見た光景だ。


 早川は、少女漫画における主人公の相手役みたいな男である。

 生徒会の会長とサッカー部の主将を兼任していて、なんと成績も優秀だ。

 さらに性格も良いと評判で、男子・女子・教師の全員から人気がある。

 天がうっかり二物どころか三物、四物とあげてしまったような存在だ。

 俺も早川のことは「イイ奴」と感じていた。


「拓真って嫉妬とかしないの?」


 作業を進めていると、紗良が尋ねてきた。


「嫉妬? 何に対して?」


「早川だよ」


「嫉妬する要素ある?」


 首を傾げる俺。


「嫉妬っていうか、なんというか」


 紗良は「うーん」と考え込む。

 少しして、「だって……」と話し始めた。


「筌やロープの作り方は拓真が皆に教えたわけじゃん? でも皆はもう早川にばかり注目しているよ? 手柄を横取りされた的な? 何かそういう感情は湧かないのかなって」


「そんなこと気にしていなかったな」


「なんで? 私だったら拗ねるよ? 絶対に拗ねる!」


「別にちやほやされたくてしたわけじゃないし、早川が仕切ってくれているおかげで快適に進んでいる。ならそれでいいんじゃないか」


「拓真は器が大きいなぁ」


 璃子が「ねー」と頷いて同意する。


 ほどなくして皆の筌が完成。

 一つの木の樽から四つの筌が作れるので、造作もなく量産できた。


「伊吹、筌はどうやって設置したらいいんだ?」


 早川が尋ねてきた。


「適当で大丈夫だよ。ここの魚は警戒心が全くないようだから」


 木の樽トラップの時に感じたことだ。


「分かった! 皆ー、筌を仕掛けよう!」


「「「おー!」」」


 早川の指示で生徒たちが筌を湖に沈めていく。


「あとは待機しているだけでいいんだよな?」


 またしても早川が確認してきた。


「それでもいいし、皆で湖に石を投げ込んで魚をびっくりさせてもいい」


「なるほど! びっくりさせることで筌に避難させる作戦か!」


「そういうことだ」


「よし! じゃあ皆、石を――」


 早川が話している時だった。


「石よりもっといい方法があるぜ!」


 別の男子が手を挙げた。

 野球部に所属しているお調子者の三年・富岡とみおかだ。


「「いい方法って?」」


 俺と早川のセリフが被った。


「そりゃあ、もちろん――」


 次の瞬間、富岡は全裸になった。

 多くの女子が「キャー」と悲鳴を上げて目を覆う。


「――ダイビング&スイミングだ!」


 富岡は全裸で湖に突っ込んだ。

 微妙に上手なクロールで好き勝手に泳ぎまくっている。


「ぶははは! トミー、女子がいるのにバカだろお前!」


 別の男子がゲラゲラと笑う。

 トミーとは富岡の愛称だ。


「いいからお前らもやれよ! 絶対に効果あるって!」


「おもしれー! 俺は乗ったぜ!」


 先ほどとは異なる男子が服を脱ぎ始めた。

 それに釣られて複数の男子が「俺も俺も」と続く。


「ひんやりしていて気持ちぃいいいいい!」


「水泳サイコー!」


 ウキウキで泳ぐ富岡たち。

 その効果は石を投げるよりも優れていた。

 大量のアユが血相を変えて逃げているのだ。

 向かう先は、人間の入れない安全地帯――筌である。


「やるじゃないかトミー!」


 絶賛する早川。


「なんとも恐れ知らずな奴等だ」


 俺は苦笑いを浮かべていた。

 よく知りもしない湖で泳ぐのには危険が伴う。

 一番は健康上のリスクだが、他にも――。


「トミー! やばい! 何か来るぞ!」


 さっそく懸念していた問題が起きた。

 誰かが叫んだことで、富岡が後ろを向く。

 巨大な背ビレが真っ直ぐ迫っていた。


「なんだあれ! サメか!?」


 驚きのあまりその場で浮いたままの富岡。

 間抜けにも程がある。


「トミー逃げろ! 他の男子も早くしろ!」


 早川が真っ青な顔で叫んだ。


「やばいってトミー! 喰われるぞ!」


「急げトミー!」


「みんな早く陸に上がって! 早く!」


 場が騒然とする。


「うおおおお! やっべええええええ!」


 富岡は大慌てで陸に向かって泳ぐ。

 しかし、彼だけは逃げ切れるか際どい状況だった。

 調子に乗って他の生徒よりも遠くまで行っていたからだ。


「あの魚、かなり大きいな。大型のシャチと同じくらいあるぞ」


 次第に見えてきたシルエットから8メートル級だと判明。

 これは一般的なホホジロザメの約2倍に相当する。


「拓真君! どうにかならない!?」


 璃子が俺の服をギュッと掴む。


「この状況じゃ厳しい」


 武器があればともかく、今は完全な手ぶらだ。

 できることといえば大工道具を投げつけるくらいだろう。


「トミー! もっと急げって! 喰われるぞ!」


「そう言われてもぉおお! これ以上は無理だぁあああああ!」


 全力でクロールする富岡。

 猛追して距離を縮める大型生物。


 そして――。

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