第25話 何も知らない

 夜更かしの会は、結局午前5時まで続いた。さすがにこの時間になったら「まだ夜だ」と言い訳することがてきなくなる。


 この日も俺達は仕事があり、出勤しなければならなかった。睡眠は諦めるとして、シャワーくらいは浴びた方が良いだろうと、若月さんと一旦別れた。

 その帰路の途中、家族に連絡を入れることをすっかり忘れていたことに気づく。高校生が朝帰りなどしたら、さすがに心配をかけてしまっているだろう。


 慌てて、スマホで通知をチェックしてみたら、母さんからのメッセージは1件のみだっち。てっきり、何十件も溜まっていると思っていたのでホッとする。

 しかし、同時に別の心配が生じる。母さんがLINEすら送れない状況に陥っている可能性を考える。

 病気や怪我、もしくはトラブルに巻き込まれた?

 午前5時でも容赦ない暑さを放つ夏の陽気とは関係ない汗が出てくる。熱帯の中、謎の寒気を感じているから、冷や汗だろうか。


 しかし、若林拓也の心配は基本的に杞憂に終わる。その唯一のメッセージは、こういった内容だった。


<今日は末永くんのお宅に泊まるんだよね。アンタだから大丈夫だと思うけど、ご家族に失礼の無いようにね>


「‥‥‥?」


 はて。これはどういったことだろう。

 そんな根回しをした覚えはない。そうなると、誰かが先回りして俺を助けてくれたのだろうか。そんな者好きは多くないし、さらに夜更かしの会の存在を知っている。さらに、俺が今日家に帰るのが遅くなっていると知っている人物は1人しかいない。

 

 姉さんだ。


 ヴゥー、ヴゥー、ヴゥー。

 タイミングを狙い澄ましたかのように、スマホが震える。相手は確認するまでもなかった。


<もしもし。もう終わった頃かな?>


 聞きなれたその声に、ほんの少しだけ恐怖を覚える。

 大事な家族にそんな感情を抱いてはダメだと、脳内で思考をコントロールする。

 そうだ。姉さんは爪が甘い弟のフォローをしてくれたのだ。感謝こそすれ、怖がるなんてとんでもない。


「うん。母さんに口裏合わせてくれたんだね。ありがとう」

<全然全然! 弟の青春の手伝いをしたかっただけだから気にしないで!>


 ほら。いつもの気遣い上手の姉さんだ。

 自分の考えすぎてしまう性格は、そのうち人が離れていく要因になりそうだ。治さなくては。


「助かったよ。じゃあ、これから帰ってシャワーだけ浴びてからバイトに行くわ」

<ハハ。さすが若いね。無理だけはしないようにね>

「りょうかーい」


 やっぱり優しいな。

 そう思いながら電話を切った。

\



「お風呂で、身体のどの部分から洗う?」


 雑談の定番になっているこの質問。同性相手なら気兼ねしないで話せるし、異性とすると下世話な方向で盛り上がれる優秀な質問だ。


 そんな話を、中学時代に末永としたことがある。

 末永は受け目当てで股間とか言ってたかな。しかし、俺は下ネタを言うのが、あまりにも下手なので正直に答えるしかなかった。


「膝の裏」


 正式名称は膝窩というらしい部位を、真っ先に洗う。


「え。それはちょっと珍しいな」


 自分ではつまらないと思っていたが、末永は食いついてくれた。


「なんで?」

「んー‥‥‥。見えづらいから‥‥‥?」

「えー。普通見えやすいところが気になるだろう」


 末永の指摘はもっともで、視界に入るところから洗うのがセオリーなのだろう。しかし、自分の身体なのに、じっくり見たことがない部位が変に気になってしまう。


「ふー」


 現在も、軽くシャワーで全身を濡らしてから膝の裏から洗っている。


 たぶん、俺は知らないことがあると不安になりやすいのだ。

 俺ごときが理解できていることなんて、極めて少ないくせに生意気な性質だ。


 そこまで考えいたところで、視線を感じた。しかし、そこには誰もいない。その代わりに風呂の扉は1センチほど開いていた。


「‥‥‥」


 知らない。

 俺は、何も知らない。


 追求しても、誰も幸せにならない問題には、最初から近づかない。そう。俺は何も疑問に思っていない。


 自分の性質と闘いながら、必死に己の脳を騙す。

 シャワーを洗い終えて、目を見開く。


「よし。今日も頑張ろう」


 そう呟いてから、俺は風呂場を出た。

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