第22話 我慢できなかった

 今年の夏は特に暑い。

 日によっては、最高気温が40度を超えることもあるらしい。油断していると熱中症にかかるぞと、ニュースで頻繁に忠告している。

 外出する時はスポドリなどをこまめに飲んだり、合間に涼しいところで休憩しないと、割と簡単に熱中症になるレベル。

 しかし、タダで休憩できる施設は少ない。喫茶店やコンビニのイートインに一々、お金を落とせるほど日本という国は豊かではない。


「はー。涼しい」

「助かった‥‥‥本当に助かった‥‥‥」


 バイト中、入り口付近で、そんな会話が聞こえる。


 そんな世知辛い日本の夏は、図書館に足が向く人が多くなる。

 冷房完備。さらに暇つぶしに読書や映像鑑賞ができる。これほど優秀な避暑地は他に存在するだろうか。


 そんなオアシスこと、図書館に救いを求めてやってきたらしい利用者。男女で20代前半。異性の1ペアというだけでカップルなのではないかと憶測するのは失礼だと思うが、どうしても、そう見えてしまう。


 そのカップル(仮)の見た目は、割と厳つい。

 今時、金髪なんてファッションの1つに過ぎない。だから、髪色が派手なのはどうでもいいのだけれど、鼻ピアスに刺青が目に入ってしまうとビビってしまう。


「あ。すみません」


 男性の方が俺に声をかけてきた。

 なんだろう。「こっち見んな気持わりーんだよ!」と吐き捨てられるのだろうか。


「はい。なんでしょうか」

「えっと。俺達、汗だくで入っちゃったんですけど、汗が引くまでは本に触らないようにするんで‥‥‥すみません」


 口下手だが、相手のことを考えているから出る言葉に、俺は呆気に取られた。


「全然構いませんよ。今日も暑いですもんね」

「はい。参っちゃいますよ」


 怖くないと分かり、俺も余裕が出てきた。調子に乗った図書館バイトに、男性はニカっと健康的な笑みを浮かべてくれた。

 後ろの女性が、俺に向かって頭を下げている。慌てて、俺もお辞儀をする。


 仕事に戻る俺は、何だか泣きそうになっていた。

 見た目は怖そうでも、優しい人。

 そんな、道徳の教科書に登場しそうなカップル(仮)に、スッカリ救われていたのだ。


 普段の俺を知っている人からしたら、「確かに良い人達だったけど、そんなに感動するほどか?」と感じているであろう。ここは、午前中のクソ利用者の話をしておくとしよう。

\



「土下座しろよ! 土下座!!!」


 一部の馬鹿の間では、両膝を床につけて状態を前方に曲げる動作を強いるのに情熱を注いでいるようだ。


「おかしいだろ! なんで今日の分の新聞がないんだよ!」

「明日、入荷する予定ですので‥‥‥」

「あぁ!!!??」


 このおじさんが、何故ここまで怒っているのかというと、地方新聞が無かったためだ。

 俺の働いている図書館では、地方の新聞は1〜2日遅れて入荷するシステムになっている。だから、このおじさんが、どれだけ喚こうが予定を早めることはできない。

 そのことに激怒したおじさんは、何の解決法にもなっていない土下座を強要してきているというわけだ。


 さて。どうするか。

 汚い言葉を浴びながら考える。


 土下座をする自体は、別に構わない。大した人間でもない俺なんかが頭を垂れるだけで静かになるのなら、安いものだ。


 でもなぁ。

 そのことに味を占めたこいつが、俺以外の職員にも土下座を強いるようになる未来は相当にマズい。

 皆さん、労働初心者の俺に対して、非常に良くしてもらっている。


 シフトが一緒になる度にお菓子をくれる芦田さん。

 オススメの小説をたくさん紹介してくれる武田さん。

 厳しくも優しい指導をしてくれる黒野さん。


 そして、大好きなあの人。


 自分よりも、その人達に危害が及ぶことの方が問題だ。


「お前し⚪︎gjjwepg@mtgptoe@pr&jvjmd!!!」


 いよいよ、おじさんが何言ってるか分からなくなってきた。

 唾を撒き散らし、瞳孔が開いているのレベルで目を見開いているおじさん。図書館は静かにするべき場所なのだから黙らせないと。

 ここで、妙案が思いつく切れ者だったら、どんなに良かっただろう。しかし、俺は凡人。打開策は浮かばなかった。


 何もできないでいる俺を救ってくれたのは、またしても、あの人だった。


「はい。警察に電話をいれました」


 どんな言葉も届かないと思っていたおじさんも、さすがに警察というワードには引っかかったらしく、口を閉ざす。


「カスハラ‥‥‥くらいで済めばいいですね。でも、個人的には他の罪が何個か重なってくると思いますよ」


 外から、聞き慣れているが特別な音が聞こえる。

 どれだけイキがっていても関係なく押さえつける、国家機関様の方々が乗っているパトカーのサイレン音。

 あっという間におじさんは連行されていく。


 事態が落ち着いた後、大好きな人、つまり若月さんはこう言った。


「ごめん。大事にして」

「いえ。助かりました」


 情けないことに、俺の声は震えていた。強がっていてもビビっていたのだ。


「若林くんが、酷いことされてるのを見て、我慢できなかった‥‥‥」


 そう言って、若月さんはその場から去ってしまった。

 だから。どんな表情でそう言ってくれたのかは、分からないままである。

 

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