第11話 初バイト
「若林くーん。ちょっと受付変わってもらっていいかな?」
「はい」
7月21日。つまりは夏休み初日に、俺は中立図書館のマスコットキャラであるホンラブちゃんが印刷されているエプロンを巻いて働いていた。
馬が地べたに座って、本を読んでいるイラストが可愛らしいと利用者さんに評判らしい。気の抜けた表情がフーと似ているので少しだけ緊張がほぐれた。
バイト初日による緊張感はこれでクリアできたと調子に乗っていたら、俺の教育係の黒野さんに自己紹介してからわずか3秒で「緊張しなくていいからね」と言われて、全く緊張を飼い慣らせていたなかったのだと、自分を恥じた。
しかし、黒野さんは優しく仕事を教えてくれるし、たまに雑談を振ってくれる人だったので、今のところ、大きなミスはなく働くことができている。
受付のやり方は午前中に教えてもらった。そこまで難しいスキルは求められないから、馬鹿な俺でもすぐに覚えられた。
何人かの利用者さんの貸し出し手続きを無事に終える。夏休みということもあって、同年代の利用者も混じっていいたが、今のところ知り合いには会っていない。
高校には友達はいないが、中学時代にはそこそこいた。そいつらに出会した時に狼狽しないように気をつけなくては。
「お願いします」
おっと。
余計なことを考えていたせいで、利用者さんに気づかなかった。ちゃんとしないと。
「ご利用ありがとうございます」
そう言って顔を上げると、若月さんがニコニコと立っていた。
「何やってんですか」
「本を借りてんだよ」
「それは分かりますけど、勤務中ですよ」
「だって、道尾秀介さんの新刊がやっと入ったんだよ。今のうちに動いておかないと誰かに借りられちゃうって」
道尾秀介。
直木賞をはじめ、多くの受賞歴のある大人気作家である。ハッキリ言って俺も読みたい。
しかし、若月さんに頼まれると弱い。
「まあ、良いや」
「やった。さすが若林くん。話が分かる。黒野さんは<仕事が終わってからです>って譲らないからさ」
ちょっと似ていて笑いそうになるのを必死で耐える。
超がつくほど、真面目なあの人ならそう言うだろうな。
「もしかして、受付が黒野さんじゃなくなるのを見計らってたんですか?」
「うん」
「仕事して下さい」
「ハハ、あ。若林くん急いで急いで。黒野さんの気配がする」
大声は出さずに焦りを表現している。腐っても図書館職員ってことか。
「はいはい」
やれやれ。
みたいな雰囲気を出しているが、若月さんに頼られてなんだかんだ嬉しい俺であった。
\
「お疲れ様。気をつけて帰ってね」
「はい。お先に失礼します」
黒野さんに頭を下げて職員用ロッカーに入る。
慣れないことをしたことでクタクタだけど、嫌な疲労ではなかった。これなら、今日はしっかり寝れるかもしれない。
バイト初日は成功と言って良いだろう。
この達成感を味わえたのは、黒野さんがいたからだ。
現場のリーダーであり、他の職員の信頼も厚い黒野さんは、当たりの上司だった。
こんな良い人にしょっちゅう怒られているらしい若月さんも、俺にちょっかいをかけてきてくれて、良いリフレッシュの時間をくれた。
たった1日だが、この図書館のキーマンはこの2人なのだと分かった。
真面目なリーダーと、お調子者が職場をバランス良く回している。
やっぱり大人はスゲーなぁ。
と、馬鹿みたいな感想を抱きながらロッカーを出ると、若月さんが待ち構えていた。
「お疲れ! 頑張ってたから奢ってあげよう!」
その笑顔を見て、さらにこの人のことが好きになった。
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