第7話 姉さん
「おはよう」
「おはよう。最近早いわね」
木曜日の朝という、1週間の中で最もテンションの下がる日の午前6時にリビングで母さんと挨拶をする。
1週間前から始めたジョギングのために、勤勉な勤め人も休息している可能性が高い時間中身体を動かすことにしている。
夜眠れていない癖に、なんでそんな健康的な生活送ってんだこの野郎という声が聞こえてきそうなので、説明しておこう。
3年後には若月さんとお付き合いできるという約束をもらった俺は、それまで以上に謎のモチベーションを持て余すことになっていた。
しかし、若月さんと毎日会えるわけではない。
俺はともかく、あっちはお金を稼いてらっしゃる社会人だ。週に1度会ってくれるのも、無理をさせていないか心配なくらいだ。
こんなことを言うと、真面目な同年代に怒られてしまうかもしれないが、好きな人に会えない時間を持て余している高校生は、ロクなことをしない。
ジッとしていられない衝動が溜まってくるのを、時間の経過と共に自覚してくる。1年の時に部活に入らなかったのに後悔する。時間と練習内容を先生に決めてもらって、それを淡々とこなしていく部活は、若者の犯罪抑制には効果が抜群なのだと自室で悶々としながら悟った。
そんな現状を打破するために実行したのが、ジョギングというわけだ。
ただ走るだけだから、俺のような馬鹿でもできる素晴らしいスポーツだ。
最初は夜に走っていたが、ライトをつけていない自転車にぶつかりそうになったことで、早朝に時間を移すことにした。
ここで、今の俺のとある1日のスケジュールを発表しよう。
6時:起床。バナナを食ってジョギングに向かう。
7時:自宅に戻り、学校に向かう準備をする。
8時:学校へ。
8時半〜15時半:学校生活。半分くらいは寝ている。
16時:帰宅。タイミングを見計らって若月さんにLINEを送る。返信がくるまで家中をウロウロする。姉から様子がおかしいと割とガチで心配される。
18時:若月さんからLINEの返信がくる。メンタルが安定する。
19時:夕食や入浴などの、明日も人間として活動するためのことを一気に済ませる。
20時:小説をひたすら読む。図書館職員である若月さんとの共通の話題を増やすため。
深夜3時:脳の限界が訪れて気絶に近い形で就寝。
こうして改めて考えると、ずいぶん慌ただしい1日だと思う。
忙しいではない。慌ただしいだ。
生産性が何もない日々を送っているから、軽い罪悪感があるが、不眠症が1番酷かった時よりはマシになってきているかもしれない。
ここで気づいたのは、自分は睡眠時間が3時間でも割と何とかなるタイプ。つまりショートスリーパーっぽいということだ。
調べてみたら、ナポレオンもそうらしいじゃないか。
ナポレオンに詳しくないが、英雄と同じ身体の構造をしていることに嬉しく感じる。
自分自身は何も成し遂げていないのに、偉人と共通点があるというだけで調子に乗れるのは若者の特権だ。
学校という、気持ち悪いが隔離してくれている場所のおかげで、根拠のない自信が起きやすい。対して、大人は多かれ少なかれ打ちのめされた経験をしている人が多い。
学生時代はクラスの中心人物だった陽キャも、社会の荒波にヤラレて自分が凡人であることを悟る。
高校生のくせに、偉そうに社会人について語っている理由は、具体例が1人いるからだ。
「お。ジョギング続いてるね〜」
サンプルこと姉が玄関で靴を履いている俺に話しかけてきた。
寝起きだと分かるフニャフニャした声と雰囲気を醸し出している
「姉さん。おはよう」
「おはよー。弟が頑張ってて姉さんは鼻が高いぞ」
未だに俺のことを甘やかす姉さん。
頑張っているだけで成果を何も出していない段階では褒めるべきではないと思う俺は、ひねくれすぎだろうか?
女性にリードしてほしいという願望を持っている俺だが、それが実の姉だと居心地の悪さを感じてしまう。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
走り始める。もう7月に突入したが、この時間はまだマシな方だ。ヌルい風を浴びながら見慣れた風景を通り過ぎていく。
1キロほど走った辺りで、あの頃の姉の姿が脳に浮かんできた。
小学生の頃から続けていたバレーを高校卒業とともに辞めて、地元の福祉施設に就職したいと言い出した、あの頃。
バレーの成績がそこそこ良かったから、スポーツ特待生として出迎えたい声をかけてくれる大学がいくつかあったにも関わらず、姉さんは全てを蹴ってしまった。
本人いわく「飽きた」らしい。
「これからの人生もバレー中心なんだって考えたら、ちょっとゾッとしちゃって。それよりも、社会の役に立つ仕事をしたいと思って」
そう言っていた姉さんの表情は晴れやかだった昔から、こうと決めたら猪突猛進型なのだ。
その選択に、両親は反対していた。
当たり前だ。今の世の中は高卒でやっていけるほど甘くはない。
しかし、当時中学生だった俺は今よりも、馬鹿で愚かだった。
「母さん達はあぁ言ってるけど、俺は応援するよ」
なんて無責任なセリフだろうか。
これは家族愛なんて尊いものではなく、両親と喧嘩して落ち込んでいた姉をその場だけでも元気にしたいという、浅はかな理由で放った戯言だ。
武器無しで戦場に飛び出そうとしている人間の背中を押してどうする、馬鹿野郎。
応援なんて、クソの役にも立たないことしかできないのに出しゃばるな。
あの中坊にそう怒鳴ってやりたいが、もう遅い。
昔から俺を可愛がってくれていた姉さんは、その言葉をエネルギーにして、両親の反対を押し切り就職した。
その2年後。
姉さんは一度、壊れた。
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