第10話 朝のウェルストン邸で
こんな早朝からアポも無しにどうしたのか、マックスは急ぎ私に会いたいそう。
それも、とりあえず屋敷の者が応接室に案内しようとしたらしいんだけど、応じずに玄関前にいるんだとか。
何故に中に入らないの?
弟を除けば、まだこの屋敷の誰も私とマックスの復縁と言うか婚約継続を知らない。
因みに王国兵士の弟は感心にも早々ともう王都へ仕事に出掛けたわ。
寝室で困惑を浮かべる私へと向けられる侍女の表情は気がかりそうだ。彼女は私がマックスとの事で散々悩んで暗い顔をしていたのを近くで見てきたからね。
実を言えばウェルストン家の使用人の間ではここ数年来、マックスの心証は最悪と言っていい。でも何かの用事で彼がこの屋敷を訪れれば一応は粗相のないように持て成しはしていた。皆が大人で良かった。
「お嬢様、ご無理はなさらないで下さいね?」
「大丈夫、ありがとう。もう問題なく会えるから。だけどどうしてマックス様は玄関前にいるの?」
「それが実は……」
侍女はやや言いにくそうにしながらも教えてくれた。
「――怪我あああっ!?」
「はい。来る途中にしたようで。それ以上の詳しい事はわかりませんが」
「何て事……!」
居ても立ってもいられず、私は寝間着に薄い上着を羽織っただけにして寝室を飛び出した。後ろで侍女が慌てたように「お嬢様!」と制止を叫んだ気がしたけど、それどころじゃない。褒められた格好じゃないのはわかっているけどこれはきっとギリセーフ、それよりすぐにでも無事な姿をこの目で見たかったんだもの。
全力で走って玄関ホールに到着した私の目は、応対のために開けられたままの玄関扉の先、まさに玄関前に愛しい男の姿を発見する。
「マックス様!!」
使用人達やその場の皆の視線が玄関正面の大階段上に立つ私へと一斉に集中した。
「フェリシア……?」
彼は何故だか一瞬ポカンとしたけど、私は蒼白になって絶叫した。
「いやーっシャツが血みどろおおおーっ! 顔にも血の跡がっ、死なないで下さいマックス様あぁ~~っ」
即座に階段を駆け下りる私は、焦りのせいか彼に刮目しまくりだったからかうっかり足が縺れて躓いた。まあね、寝室用のスリッパ履きだったし足元は動き易いとは言えなかったもんねえ。
「あっ――きゃあああ!」
お嬢様っ、と玄関周辺にいた使用人達や私を後れ馳せ追いかけてきてくれた侍女からの悲鳴が上がった。
不運にも勢いがあったから一段一段を転がり落ちるんじゃなく、放り出された空中を落ちる感じ。これは落下の結構な衝撃が一度に全身を襲うよね。
悪くすれば……。
そんな、うそ、こんな形でこの世からおさらばするなんて想定外ーっ。ぎゅっと目を瞑った。
「フェリシアッ!!」
力強いマックスの声。ああ人生最後に良いもん聞いたー。衝撃って言えないような小さな衝撃はあったけど痛みの一つもないのは即死したからなのかもしれない。誰にもお別れを言えなかったのは残念だけど。
「フェリシア、もう大丈夫だ」
へ?
「目を開けてくれ」
天使はマックスの声なの? あ、それか死んだ人間の希望の声になるとか?
促され、姿もマックスなら最高っと私は素直に瞼を持ち上げた。
「マックス、様……?」
気付けば、彼の顔が凄く近くにある。幻?
でも血とか付いてるしやけにリアリティーのあるような……?
「これは現実なの?」
「そうだが、大丈夫……だよな?」
マックスの目に訝りと懸念が滲む。うん、ようやく正気に戻った。何と私は彼に横抱きにされていた。そら顔も近いわ!
しかも魔法で空中に浮かびながら。
落ちる私を彼は驚くべき動きと魔法とで受け止めてくれたらしかった。
彼からは黒いオーラが見えるけど、彼の魔力の色? 赤とか青とかは見た事あったけど黒は初めて見た。
使用人達も誰もが目を丸くして、ヒロイン救助の劇的シーンに頬を染め興奮すら見せている。
誰も彼の黒オーラには反応を見せない。見えないからだ。
昔から私には魔力の色が見えるんだよね。何の役に立つってわけでもなかったけど。
「君に怪我がなくて良かった」
「あ、はい。助けて頂きありがとうございます……って怪我ならあなたの方がっ」
玄関ホールへと降り立ったのと同時にオーラは消え、私は負傷中の彼に無理をさせてしまったと泣きそうになりながら具合を確かめたくて手を伸ばす。
だけどその手を掴まれた。
「フェリシア、俺は平気だ」
「ですけど血がっ」
「俺の血じゃない。ちょっとここに来る途中で刺客に遭遇して応戦した時に付いたんだ。心配させて済まない。本当に何でもないから」
彼の衣服は何でもないわけないレベルで血染めだった。ならその相手の刺客はもしかしたら……。ううんこれ以上は考えないでおこう。それよりもこの人よ。
きっと彼は汚すかもって気を遣って中には入らないでいたんだろう。
だけど一度帰って出直す時間も惜しんで外で待っているなんて緊急に私と話したいのね。何事かしらとダブルの意味でドキドキとして心臓に悪い。
「何でもないとは仰いますけど、早朝から堂々と刺客に襲われるなんて余程の事ですよ」
私が少し泣きそうに怒ったら、彼は気まずげに目を逸らして黙り込んだ。
昨夜彼の口から刺客は珍しくないなんて話を聞いたばかりで本当にもうこれよ。この男はどうしてこんなにけろりとしていられるの。普通なら大事でしょ。ほんっと信じられない。
麻痺するくらいに襲撃の経験が多いからこうなの?
そう考えたら胸の奥が不穏と不安とでざわざわして、誰の血だかは知らないけどまだ少し生乾きの服の血で汚れるのもお構いなしに抱き締めていた。彼は焦ったように私を離そうとする。
「汚れるから」
「だから何ですか? そんなのは洗えばいいだけです。今こうしたいってあなたへの気持ちに勝るものは何もないんです。ご無事で本当の本当に何よりなんですからね! ……心配させないで」
ぎゅっと更に腕に力を込めると彼は説得を諦めたようだった。宥めるように軽く背中を叩いてくれる。
「ああ、悪かった」
反省したような優しい声にトクリと胸が鳴る。
「ところで、君の家の者達が俺を物凄い目で見てくるんだが」
「あ」
そうでしたー。マックスが私を助けてくれたのは彼らも純粋に感謝と称賛をしているんだろうけど、彼らからしたら不仲でもう別れたのにこのマックスは何をやっとるのかって不信感を覚えるんだろう。私から抱き付いたりしているのに、私贔屓の屋敷の皆はマックスからしたら理不尽にもそう考えるみたい。ホホ、ごめんなさいね。
「皆にはまだ私達の事を話していなくて、だからです。すぐ説明しますね」
少し落ち着いた私がホールに集まる使用人達へと向き直ろうとすると、彼が横に首を振った。
「フェリシア、いい。実はその件で君と相談したくて、こんな朝っぱらからアポもなく失礼だとは思ったが来たんだ」
「相談?」
その件って、婚約継続についてよね?
今更何を相談するの?
「も、しかして……マックス様は撤回をなかった事にしたくなったんですか?」
一晩考えた結果、夜中に人様のお宅に忍び込むような非常識な女とは無理だって思い直したのかもしれない。私が皆に触れ回ったりしないうちにと早朝からやってきたんだとしたら合点もいく。
表情を曇らせると彼は言い訳するみたいに「そうじゃない」と少し慌てた。
「フェリシア、どこか二人で話せる場所に行きたいんだが、いいか? 庭を歩くのでもいい。無論、君が着替えてからの話だが。それと、助けるためとは言え服を汚してしまって悪かった」
「あっ謝らないで下さい。微々たる汚れですし、感謝こそすれ責めるなんてお門違いな真似は致しません。それに……マックス様に汚されるんでしたら本望で――」
「ごほごほごほっ! きっ気にしていないのなら良かった」
声音は真摯なのに彼はよくよく見れば目のやり場に困ったようにしていた。頬が赤い。私は私の出で立ちを思い出し納得する。薄い寝間着に薄手の上着。就寝中は寛げるようにと首回りはゆったりした造りになっている。
大丈夫かなと思っていたけど、向こうは破廉恥な格好って思ったのか駄目だったみたい。露骨にそんな反応をされると私も羞恥心が込み上げる。侍女が止めようとしたのもだからかあ~。反省。
「ええと、ではありがたく着替えて参りますね。マックス様も是非血を洗い落としてさっぱりとして下さい。家の者にシャワーと着替えを用意させますので!」
その後で朝食も一緒にどうかな。着替えたら誘ってみよう。
そんなわけで私はマックスの諸々を頼むと自分も身嗜みを整えるために一旦彼とは別れた。
私の方が先に終わるだろうからと、彼の支度が済んだら私の部屋に案内するように侍女には告げた。
部屋に戻った私は普段着ドレスに着替えると室内を行ったり来たりを繰り返す。
「はあ~どうしよう困ったなあ、破談書の事どう告げたら彼は怒らない?」
憤るにしても少しでも軽い方が望ましいけどそんな方法は思い付かない。
何度目の溜息をついた時だろう、侍女がマックスを案内してきた。
二人きりで話したいって言っていたから、侍女にはしばらく部屋から下がってもらった。
「気分がスッキリしたよ。君の気遣いには心から感謝する。ありがとう」
「あら婚約者なんですもの、これくらい当たり前です。ふふっ私がそうしたくてしたんですし、お礼を言われるような事じゃありませんよ?」
「ふ、そうか。光栄だなそれは」
目と目を合わせて微笑み合う私とマックス。え、うそ、何か良い雰囲気じゃないのこれ?
そんな気持ちに満たされつつも、数日前に彼に迫った長椅子に促し、改めてさっぱりした姿を見つめる。
うっ……きゃーーーーっっ!
黒いスラックスパンツは組まれたスラリと長いおみ足を際立たせ、朝の陽光に透ける爽やかな白シャツは勿論シルクをご用意致しました。ああ神の胸板、ありがとござまーっす!
まだ生乾きの黒髪がいつもよりしっとりして一部が頬に張り付いて、シャワーしてすぐにこっちに来てくれたからかお湯でちょっと薄く色付いた頬やいつもより艶っぽい唇がとんでもなくセクスィーーーーッ!!
水も滴る超超絶絶良い男が我が目の前にいいいっっ。
ああ私今日はもうこれだけでお腹一杯です。
「フェリシア?」
「はっ、いけないいけない、あ、ええとマックス様、そう言えば朝食は摂られたんですか? まだでしたら是非うちで食べていかれては?」
後学のためにも、あわよくばもっと彼を近くで観察したいとの私の欲望はだけどあっさり挫かれた。
「いや、それは遠慮させてもらおう。俺も君の誘いに応じたいのはやまやまだが、今からする話でそのわけを君にも理解してもらえると思う」
らしくなく済まなそうな面持ちで、マックスは早くも本題を切り出した。
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