第6話 破談書を盗もうと婚約者の寝室に行った夜

「……何で昔の夢なんて」


 私が目覚めたのは自分のベッドの上だった。

 お嬢様っと侍女が心配顔で私を覗き込んでくる。

 彼女から大体の成り行きを聞いた。気を失った私を送ってくれたマックスがここまでも運んでくれたみたい。念のため医者に診てもらって大丈夫とのお墨付きをもらってから彼も帰ったんだって。原因の癖に律儀なんだから。


 現在はもう夕方近く。侍女にはもう少し休みたいからと退室してもらった。


 マックスが居なくてぷっちゃけ少しほっとしていた。残念な気持ちもあるけど熱烈にキスを交わした後だしどんな顔をすればいいのかわからなかったから。思い出すと顔から火を噴きそうよ。


「あれは一体何だったの? あんな濃厚なの……。私を故意に傷付けて追い払おうとあんな真似をした、とか?」


 彼がそんな卑劣な行動を取るとは思わないけど、だとしたら何だと思えばいいのって話でしょ。


「にしても、薬の効果が無くなったのよね」


 はああ~~。


「あんなキスされて、益々好き過ぎる……っ」


 彼の目論見は見事に外れた。どころか正反対の効果を齎した。


「ああもうっ、明日には破談成立なんてっ」


 ベッド上でごろごろ左右に転がって、ややあってピタリと横回転を止める。


「かくなる上は、忍び込んで書類を破棄するしかない」


 破り捨てるなり燃やすなりして無効にしてしまえばいい。


「だけど、仮に深夜忍び込むにしても、万一誰かに姿を見られたら水の泡よね。うーん……あのお店に透明になれる魔法具置いてないかな。まだ閉まる時間じゃないし、よし急いで行ってみよう」


 そんなわけで乗馬服に着替えてどこかに出掛けようとする私を見て侍女が仰天して止めようとしてきたけど、私はすぐに戻るからと強引に言いくるめて一人愛馬を駆った。


「いらっしゃいませ~、おや? あなたはつい先日のお客様ですねえ?」

「その節はどうも」


 魔法具店の店主は相変わらずの眼鏡と三つ編み姿。

 透明になれるアイテムを求める私にそれを持ってきてくれた店主は、私の目を見据えて「もう惚れ薬が解けたんですねえ」と感心したような声で言う。

 私の方こそ感心した。マックスがいないと変化の有無がわからないのに、少し瞳を見ただけであっさり当てたからだ。さすがは製作者と言ったところね。

 透明になれる魔法具もまた飲むタイプの物だった。


「この透明薬は半日もすれば自然と切れますけど、一つだけ注意点がございまして、くれぐれも誰かとぶつかったりしないようにして下さいね。人にぶつかると言うか接触するとその瞬間に解けてしまいますから」

「わかりました」


 忍び込むのは閑散となる真夜中だから、ほとんどその危険はなさそうね。問題はどの部屋に置いてあるかだけど、結局は彼個人の書類なんだしたぶん彼の書斎かな。

 何年も前だけど訪れたマックスの書斎が記憶のままなら事はスムーズだろう。エバンズ家を継ぐ立場の彼は幼くして既に彼専用の書斎持ちだったのよね。


「ところでお客様は夜這いでもするんですか~? 透明化の薬をお求めだなんて」

「しししませんよ! これには切実な訳があるんです!」

「ほうほうほう、まあこれ以上は詮索しませんよ。思う存分に有効活用して下さいね~?」


 うう、何かを激しく誤解されているよねこれは。


 そんなわけで侍女に言った通りにきちんとすぐに帰宅して夜まで待ってから、私はこっそり部屋を抜け出して愛馬をエバンズ邸へと走らせた。


 目立たないように屋敷に近い林に愛馬を繋いで薬を飲むと、手足が本当に透明になったのを確認してから一人屋敷の庭へと侵入する。言っておくとこの魔法薬は着ている物も透明になる優れ物。

 主人一家だけじゃなく使用人のほとんども寝静まっているだろう深夜のエバンズ邸は大半の部屋が消灯され、外には物音一つも聞こえてこない。

 今頃はマックスもすやすや眠っているのだろうと暫し感慨深く屋敷を見上げていた私はハッとして動き出す。


 計画ではバルコニーから書斎に直接忍び込む。


 そのために二階三階まで浮かび上がれる魔法具も一緒に買った。鍵開け道具も右に同じ。


 あの店は普通に売っていて大丈夫なのって物も割とある。私みたいな人間からの需要があるからなのかもしれない。

 魔法具であっさり浮いて記憶にある書斎のバルコニーへと降り立つと、次に鍵開けに取りかかる。これも発動はほぼ一瞬だった。

 簡単過ぎて逆に本当に開錠されたのか半信半疑で格子ガラスの扉を手前に引けば、すんなり開いた。


 なるべく細く開けて音を立てないようにするりと野良猫のように入り込むと、暫く佇んで周りの気配や物音を気にしつつも暗さに目を慣らした。そろそろ慣れたかなと感じて私はぐるりと暗い室内を見回した。


 あった書斎机!


 大きくは模様替えはしなかったようで昔のままなのは助かった。

 静まり返った室内に自分の心音がやけに高く響いて聞こえる。


 机の引き出しにも案の定鍵が掛かっていて、私はそこにも鍵開け魔法具を使った。引き出しを一段ずつそっと開けて目的の書類を探していく。


 さすがにそこは明かりが必要で、これまた手元で仄かに光る仕様の掌大の魔法光石をオンにした。

 封筒や書類に翳してゆーっくり慎重に目を落とす。見落とさないよう丁寧に一枚一枚一通一通と調べていって、とうとう全ての引き出しを引っくり返した。


「そんなぁ、無い……」


 引き出しのどこにも書類はなく、周囲の棚にも無かった。ならどこにあるの?


 まさか、マックスの寝所……?


 確かここと同じ階だ。

 だけど、だけどおおっ、デンジャラスよおおっ、主に彼の貞操がっ! 寝姿拝みたいけど今は拝めない。寝込みを本当に襲っちゃってまさに夜這いしそうだから!


「でも、本当に寝室に書類があったならどうするの? 意地でも行って破棄しないと駄目よね」


 葛藤はあるものの、誘惑を自制心総動員でやり過ごそうと決意する。うん、そうよ、彼の方を見なければいいのよ。でででもどうしよう彼が裸で眠る習慣の人だったら……っ。鼻血噴いて昇天しちゃうかも。


 廊下を出て抜き足差し足で記憶にあるマックスの寝室だろう部屋の真ん前まできた。静かに大きく深呼吸する。ああ緊張してきた。


 この扉の向こうには愛しい男がきっと美しい寝顔を晒して無防備に~っ。……何だか惚れ薬を飲んだ後遺症なのか、自分の思考が大胆かつ奔放になった気がする。


 不用心にも鍵は掛かっていなかったからすぐに侵入できた。

 私は薄暗い室内を見回してまず丸テーブルへと近付いた。幸いベッドは入口から一番遠い部屋の奥の方で、奥の方には書類の置けるような机も棚もない。接近しなくて済みそうだった。こそこそと室内を漁る。


 決して褒められた行為じゃないのはわかっている。私が書類を駄目にした所でまた作成されるだろうし、その時にはもう本当に関係修復が不可能なんだろうなって事も。だってこんな暴挙に出た女なんて誰だって願い下げだわ。


「でもそしたらいいわ、出家でもして一生慎ましく暮らすもの」


 ほんの小さくそう息だけで呟いた時だった。


「――そこにいるのは誰だ?」


 聞いた事のない殺気を孕んだ低音声に背筋が凍り付く。


 魔法なのか室内の全照明が瞬間的にボッと明るくなって、威力を抑えるように光量を下げた。結果ムーディーとも言える控えめな明るさに落ち着いた。

 だけど全くそんな気分にはなれそうにない。


 声の出所を振り返れば、マックスがベッドに身を起こしている。


 ナイトガウンなのか胸元がやや広く開いている。きゃー目に毒ーなんて興奮している場合じゃなく、私は半ば命の心配をしないといけないみたいだった。


 とは言え透明魔法中の私の姿は見えないみたいで視線が絡んだりはしないけど、どこかに異常がないかと鋭く視線を凝らしていた。


 どどどうしよう、今のうちにこっそり逃げないと捕まるんじゃないこれ!?


 一度廊下に出て鍵の懸念のない来た道を逆に辿って屋外に逃げるか、いっそバルコニーに体当たりで飛び出してそこから逃げるか二つに一つ。どちらにせよ彼に妨害されないかが心配だ。


 何故ならマックス・エバンズは一流の戦士だから。


 悪魔戦士とさえ揶揄される程にとにかく頗る強いって聞いている。


 私はまだ実際戦うところを見た事はないんだけど、そんな噂は知っている。気配や呼吸、微かな衣擦れ音だけでこっちの位置を特定されかねない。この魔法は姿こそ消せるけど音までは含まれていないからね。冷や汗が滲む。


 逃げるならまだ距離のある今しかないと意気込む私の目は、けれど思いも掛けない物を捉えた。


 えっ、あれって破談書?


 何とマックスの枕元にそれっぽい紙がある。


 どうしてわざわざ枕元に置いているのかは知らないけど、本当にそれかは傍に行って確かめないとわからない。こっちも確かめないうちは気になって帰れない。


 き、危険だけど、やるしかないよね?


 女は度胸、行くのよフェリシア!

 腹を決め、一歩また一歩とベッドへと近付いていく。

 彼は怖い顔をしたまま動かず彼からすると未知の相手たる私の動きを探っている。


 私は極力ゆっくり動いて書類に近い方のベッド脇までやってきた。首を伸ばして書類を読もうと試みる。


 マックスは反対側から床に足を下ろしていて、書類とはそこまで近くなくなっていてラッキーと私は内心ほくそ笑んだ。

 よくよく見れば案の定それは破談の書類で、とうとう発見だーっと私は今度は内心でガッツポーズ。


 さてどう処分したものか。いっそ捕まるのを承知で破り捨てるのもありよね。彼がこの部屋から出ていくまで待機するのはいつになるのかわからないから却下だし。警戒中の彼がこの部屋から動くとは思えない。


 駄目にしてしまえば明日の解消はない。まあ、明後日にはまた書類を用意されるかもしれないけど。それはそれ。


 そもそも今度はサインしなければいいんだわ。法廷ででもどこででも破談を争いましょ。

 私は震える指先を書類へと伸ばす。

 彼の目は私がさっき呟いた辺りを依然として見つめている。ふふふふっ今のうち見ていないうちに音を立てないようにして書類を頂いちゃえばこっちのもんよ!


 伸ばした手がついに紙の端に届いた。


 いよっし! 勝っ――――!?


 痛いくらいに腕を強く掴まれてベッド上を引き摺られて布団に体を押し付けられていた。犯人確保と言うように乱暴に組み伏せられて苦しくなって頭が真っ白になる。


「貴様誰の命令で――、なっフェリシア!?」


 急に拘束が緩んで息が楽にはなったけど、私は放心の余り微動だにできなかった。


 だって何これ? 忍び込んだ私は悪いわよ。だけど、だけどっ、何よっ、これっ!


 ……怖い。ううん怖かった。


 マックスが怖かった……っ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る