第4話 夢のデート
屋敷の玄関前で降りた私達に気付いて屋敷から慌てて出てきた使用人達からは、侍女にも誰にも何も告げずに一人でいなくなってとても心配したと泣かれた。
悪い事をしたと反省したわ。皆に謝って落ち着かせている傍ではマックスが執事から頭を下げられている。
「エバンズ様、何とお礼を申してよいか……」
「いや、帰り際たまたま耳に入ってきて、たまたま見掛けたから連れ帰っただけだ。これまでの付き合いと気にしないでくれ」
「その寛大なお心に感謝致します」
たまたま? うーん彼はもしかして私を捜してくれていたとか? ううーんだけどそんな感じには見えなかった。ああでも息は切らしていたっけ。
疑問には思ったけど、私はその場の一人に厩舎へと愛馬を任せ少し話をしようと彼を中へと招いた。街からまたここまで来るように指示した彼の馬車よりも早かったのもあって、時間を潰す必要があったしね。無論一緒に時間を潰すわよ。
「フェリシア、応接室はこっちだぞ」
何度も来て大体の勝手を知っているマックスは、私の進む方向に怪訝そうにした。
「いえ、今は私の部屋に行きましょう」
「それは……」
「大丈夫ですよ、さすがにあなたを取って食べたりしません。侍女もいますから」
「そんな心配はしてない」
マックスは微妙な顔をした。信用されてないんだわ。まあ彼ならいざって時には腕力を行使して逃げられるだろうけどね。
どうぞと部屋に招き入れて長椅子に座ってもらった。侍女に用意を頼んだお茶を待つ間、私は彼の隣に腰掛けた。今は二人きり。
彼の横顔は私の目力を極力気にしないようにしていたみたいだけど、完全には無視もできなかったみたい。少しぎこちない。
「フェリシア、そう凝視しないでくれ」
「カッコイイので無理です」
体を斜めらせて肩を寄り掛からせる。奇跡みたいに拒絶はなかった。
「マックス様、だーい好きです」
「はいはい、どうぞ君のお気に召すままに」
ええ、そうするわ。私は依然寄り掛かりながら飼い主を見上げる犬猫のように目線と顎を上げて彼の顔を見つめる。
次に手を伸ばして彼の前髪に触れていた。
「フェリシア」
やや窘め色のある声。
「あなたはお気に召すままにと仰いました」
「そういう意味では……ああもういい、触るくらいなら好きにしてくれ」
わああっこれは夢?
実は惚れ薬には幻覚とか幻聴を及ぼす作用もあるの? どうして彼はこんなにも普段と違っておおらかなんだろう。
改めて好きだなあとぼんやりしながらも、悪い手は遠慮を知らず彼の顔をぺたぺた撫で回しペチペチと軽く叩いたりもした。
「マックス様のお肌はきめが細やかですね。羨ましい」
「君程ではないだろうに、何を言うんだかな」
指先でツンツン頬を突いたり眉をなぞったりする私は、人差し指で彼の唇を軽く押す。
「……っ、フェリシア!」
「逃げないで下さい! 私はあなたにキスしたいです!」
驚いて顎を反らした彼に私は畳みかけるようにして追い縋る。勢いに任せて長椅子に押し倒してしまっていた。きっともうすぐお茶が運ばれてくるだろうから過激な真似はしないようにって自制していたのにどうしよう。でも目を見開いた彼が可愛く見えて別の意味でどうしようよ。
心拍数が跳ね上がる。頬が熱くなる。
「キス、したいです」
懇願するように見つめ下ろしていると、マックスは小さく息を吐いた。
「わかった。だが俺は動かないからしたければどうぞ」
「……酷い扱い」
「どうして。襲われている俺の方が酷い扱いだろうに」
「それはそうですけど……ああもうっ今度にします」
「今度……」
彼ってば、え、マジか次もあるのって辟易した雰囲気を醸すから余計にしょんぼりきちゃうわよ。
萎えて身を起こしたところで、私の邪な思考を叱るかのように整然としたノック音が響いた。侍女がお茶を運んできてくれたみたい。
そうして彼の馬車が来るまで少し時間を潰してもらった。私は彼に釘付けだった。喉仏を上下させてお茶を飲む姿もカップを置く所作も何もかもが素敵なんだもの。
本日二度目のうちでのお茶を嗜んだマックスは窓の外を一瞥して長椅子から立ち上がる。
「遅ればせ馬車もやってきたようだし、そろそろ帰るよ。ご馳走様」
「そんな、もうですか……?」
私も立ち上がって残念がっていたら、ふと気配が近付いて、彼から手の甲に挨拶のキスを受けていた。舞踏会のような公の場ではされていたけど、こんな私的な場ではなかったのに。
「ではまたな。親愛なるフェリシア」
穏やかな声音が耳にも心にも優しい。ずっと傍で囁いていてほしいくらいよ。蕩けそうになってハッと我に返る。
「あっあのマックス様、明日お時間があればデートしませんか?」
「デート?」
「と言っても王都でお仕事でしょうから、お昼をご一緒しませんか?」
ふふふふ嫌がっても勝手に押し掛けます。あなたに大きな迷惑掛けてやるんですからね。これはあなたへの仕返しですもの。あと同時にあなたを愛でる機会でもありますもの、逃しません!
「デートしてくれないなら、夜這いしに行きます」
「いや、脈絡。何でそうなるんだ……」
惚れ薬恐るべしだな、と小さく呟きもした彼は嘆息した。
「いいよ。わかった」
「愛してますマックス様!」
我ながら大胆にも彼に投げキッスをした。このテンション最早誰って自分でも思う。
「ぶふっ……! ははっ、君にこんなお茶目な一面があったとはな。いやこれも薬の効果か? なら明日の昼に中央公園の入口の所に待ち合わせよう」
「はい、楽しみにしていますね!」
いつになく可笑しそうに笑っていた彼が帰っていくのをハンカチを振って切なく見送りながら、思考の別の部分ではさて明日は何を着ていこうかともう張り切っている。
「マックス様、たとえ中和薬を飲まされるとしても、その前まではこの有り得ないポジティブフェリシアがたーっぷり全力であなたを追い回しますからね。まあ飲んだ後も大人しめに追い掛けるとは思いますけど。ですから覚悟して是非是非首を長~くしていて下さいね」
馬車の彼がわけのわからない悪寒を感じた……かどうかはわからない。
翌日、マックスの長い仕事休憩、要は約束通りお昼休みに二人で会った。
彼は魔物討伐任務のない日は王宮で国王陛下の公務のサポートをしている。主に事務仕事ね。それが終わると同じ隊の仲間達との鍛練をするんだとか。まあそうよね。魔物と戦うんだから一日中座っていたら体が鈍るもの。
お昼は私が持参した。
王都の中央公園のベンチに並んで座ってバスケットを開ける。どうぞと勧めるとマックスは何の変哲もない野菜とか卵とか生ハムとかのサンドパンを見下ろした。
「もしかして、嫌いな物でした?」
「……いや、変な薬は入っていないよな?」
「……」
「なっ、その態度は入れたのか!?」
彼は今にもバスケットをひっくり返しそうだ。私は溜息を落とした。彼の中の私のイメージってどんなよ。
「いくら私でも、食べ物に異物を入れるなんて粗末な真似はしません」
彼を見ずに横顔で怒ると、すぐに「悪かった」と返ってきた。うむ、潔くて宜しい。赦す。
だけどこの口は減らず口。
「じゃあ、あーんしてくれたら、赦してあげます」
サンドパンを彼の口元に近付ける。どうせ嫌がってそっぽを向かれるんだろうけ――ぱくり。もぐもぐもぐ。
「ど……!?」
どうなさったのって叫ぶところだった。
彼は無言でサンドパンにかぶり付くと、私の手にあったのを全部食べてしまった。驚きよ。
最後の一口が私の指先に触れるか触れないか際どいところでどぎまぎした。昨日冷静だったみたいに向こうはきっと私の指を嘗めようとも何も感じないんだろうけど。
彼はバスケットから別のサンドパンを取り出してもう後は勝手に彼の分を食べた。持ってきた物を全部。まるで雑念を追い払って食べるのにだけ集中するみたいに。
「ご馳走様。美味しかった。……ん、何だポカンとした顔をして?」
彼は彼を見つめる私へと怪訝な目を向けてくる。
「まさかすべて平らげてもらえるなんて思いませんでしたので。良かった、早起きして作った甲斐がありました」
結構あったのに、普段から動いている人はやっぱりもりもり食べるのね。うふふ素敵。
「……」
「あの、マックス様?」
今度は彼の方がポカンとした。どうしたのかな?
「まさか君が全部を手作りしたのか? 作ったのは屋敷のコックではなく?」
「はい、勿論私が調理しました。愛する婚約者のためですもの当然です」
自慢げにそこそこある胸を叩くと、彼は手で口元を押さえたまま私からは顔が見えないように向こうを向いてしまった。
嫌いな女の手作りなんぞすぐに吐き出したかったのかもしれない。公共の場なのでそれができないだけで。屋敷のコックに味見してもらったので味は悪くはないはずだから。そんなに嫌だったのかと思えば気持ちがずーんと沈む。
「いや、まさかこれ程とは……」
何がこれ程?
「ははっ、婚約者の手作り料理は、半端ない」
「マックス様?」
「俺のためにありがとう。心から嬉しいよ、フェリシア」
「……っ」
反則級の甘い顔だった。昨日から本当に彼はどうしてしまったのか。
「マ、マックス様の胃がおかしな事にならない限りは、私お弁当を毎日手作りして来ますから。お昼時間は私と過ごして下さいね? でないと夜這いします」
押しかけ女房なんて言葉があるのを思い出せば勝手なドキドキに頬が熱くなる。
「わかった。明日も宜しく頼む。あとくれぐれも危ないから夜這いはやめるように」
「え、明日も本当に宜しいんですか?」
「ああ。婚約者の顔を見ながらの食事は格別だからな。食材費は請求してくれ」
「い、いえそれは要りませんけど、本当の本当に宜しいんですか?」
「フェリシア、婚約者とは言え金銭面はキッチリしないと駄目だ」
「うーんと、お気になさるのでしたら、他の形で返して下さい」
「他の形?」
ええいこれは駄目元よ。やっぱり好きでもない女と普通にキスは無理なんでしょうけど、手の甲にはしてくれたし口同士じゃなければ平気かもしれない。
「ほ、ほっぺにチューして下さいっ。おでこでもいいですけどっ。婚約者なのですからこれくらいは朝飯前ですよね!」
「朝飯前……」
「ふふっ本当に朝飯前にあなたとこんな風に過ごせたら幸せなのですけれど。それも一緒のお部屋で」
婚前に、とそういうカップルは珍しくない。
「フェリシア、どこで誰が聞いているのかわからないんだ。不用意な発言は慎むんだ」
「あら、その時はマックス様が責任を取って下さるんでしょう? 問題ないじゃないですか」
「はあ、まあな。……そうなった時は、な」
やれやれと嘆息した彼の顔がふっと近付いて、頬に柔らかいものが触れる。
直前の私の願いはもう叶った。もしも背中に羽があったなら舞い上がって彼方まで飛んでったわ。
「ふう、もう昼休みの終わる頃合いだな。馬車まで送る」
「あ、はいありがとうございます」
いそいそとベンチから立ち上がって持とうとしたバスケットは、彼が既に手に持ってくれていて、私は自らの空手を一度見下ろすと口角を引き上げてマックスの空手の片手へと伸ばした。
「さ、行きましょうマックス様!」
彼は軽く頷いて、私の手を握り返してくれた。彼は待機させていた馬車まで離さなかった。
「――何の奇跡よこれは」
帰りの馬車の中、私は恍惚の人になって背凭れに身を埋めた。もうこれ手を洗えないと思う。
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