第19話 新年

 正月を迎えた。

 ガン発見より六カ月経過。まだ母は生きている。ときたま腹水が溜まると、福祉タクシー(車椅子が必要な人を運ぶためのタクシー。一回使うと最低五千円かかる)で終末期医療の病院へ運び、腹の水を抜く。

 早目に言ってくれればいいのだがギリギrまで我慢するため夜に病院に駆け込む嵌めになったりする。

 腹水を抜けば抜くほど体力は落ちるが、抜かねば内臓が圧迫されてとても苦しいことになる。

 体力の衰えが酷いのでまた兄弟を呼ぶ。

「もうそろそろ話せなくなるよ」

 飛んで来た。

 今度も兄は一時間で消えた。また浅草見物だろう。

 姉は二時間で消えた。姉は東京見物が大好きである。

 母はショックを受けている。自分はもう死ぬのにこの扱いである。兄弟を呼ばなければ良かっただろうか。

 姉にはせめて母の食事ひとつでも作って貰いたかった。


 疲れ切って母のベッドの横に持たれかける。

 気が付くと母が私の頭を撫でている。

「お前には貧乏クジを引かせた」

 そう言った。


 いえいえ、とんでもありません。貧乏クジなどであるわけがない。

 産んで貰って、育てて貰って、愛して貰って、その御恩をわずかながらでも返す機会を得たのです。これが幸運でなくていったい何でしょう。


 ついに母は話せなくなった。

 痛み止めのモルヒネパッチを使うようになってからである。貼るとすぐに時間感覚消失が起きた。十五分席を離れたのだが二時間私がいなかったと責められた。

 説明したのだが言い訳だと信じてくれない。私は言い訳というものをしない男なのに。


 来てもらっているお医者様に点滴をするかどうかを訊かれる。

「私は点滴を勧めません。点滴をすれば命は二三日伸びます。しかし死ぬほど苦しみます。脱水症状で死ぬのが一番苦しみません」

 さすがにこれが専門だけあってはっきりしている。ベッドに繋がれた状態でそれだけ長く生き延びても意味はないのだ。実際に肺がんの最後は看取った家族が病室から逃げ出すほど凄惨だと聞くが、母はそういうことが無かった。

 新年に引いたおみくじの歌を解釈したら『雪降りて死す』となった。

 今年はもう春だ。占いは外れたのだろうか。

 そう思っていたら、もう一度だけ、少しだけ雪が降った。

 ああ、母は死ぬのだなと涙した。


 兄弟に電話する。もう長くないと。

「死んだら連絡して」

 返事を聞いて耳を疑った。

 親の死に目に立ち会わないつもりなのか?


 まだ話せるときに母は言った。

「生まれ変わったらね。二度と子供なんか持たない」

 子煩悩の母のこれが最後の言葉であった。


 人間よ。自分を愛してくれる人を裏切るぐらいなら、その場で死ね。


 もう水も飲まないし何も食べない。言葉も話さない。カカトにできた床ずれが治らない。食べないと傷は決して治りませんと医者が教えてくれる。化膿しないように保存療法に努める。

 人の体は腐りゆく肉なり。


 そうなってから二週間が経過した。

 これほど持つのは溜まった腹水が思いの他多かったからですと担当の医者は説明した。

 排尿カテーテルの中をゆっくり流れる尿の動きが止まっていることに気づく。

 生きている限り尿は作り続けられますとの医者の言葉を思い出す。

 つまり腎臓が死んだのだ。その命、後数時間。


 部屋の中でその時が来るのを一人で待つ。

 約束通り、母の手を握って。

 退屈なので、片手に文庫本を持って読む。涙はもう流し尽くしたので今更泣かない。泣くのは後ででもできるから問題はない。

 やがてごろごろと小さな音が母の喉から漏れる。

 断末魔・・である。


 この世で私を愛してくれたたった一人の人間は死んだのだ。

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