第8話 いまペキン

 周囲がすいぶんと静かになった。会社から何も連絡がない。

 たった40万円ですでに半年。しかもまだ代金を請求すらさせて貰っていない。

 冗談じゃない。このままでは飢え死にだ。

 しかもこれを抱えたままでは他に仕事を探しに行けない。今から思うとこんなクソ仕事はさっさと捨てて他を探せば良かったのだ。下手な職業意識は野良には致命傷となる。


 やっと連絡が来たと思ったら、会社の社長からだ。

「T氏も呼ぶから一週間ほどこちらに詰めて欲しいんだけど」


 やはりと思った。

 クソTはきっと私が仕事を進めないので遅れていると報告したのだ。いつでもどこでもロクデナシ連中は常に私が悪いということで方をつけようとする。

 どのケースでも実際には私が身を削って現場を支えているのだが。

 そして私が問題の原因だと聞いた人間は何も疑うことなく、それを信じる。

 実に不思議である。私はそれほど人に信じられないような顔をしているのだろうか?


 まあ取り合えず出かけてみる。

 月曜日、会議室でクソTが来るのを今か今かと待ったが結局来なかった。

 火曜日、また同じことが繰り返される。時間と交通費の無駄である。

 水曜日、いい加減業を煮やす。社長に聞いてみると明日来ると言われる。

 それならば今日呼ぶんじゃねえよと思うが我慢した。

 木曜日、まだ来ない。社長に聞いてみると明日だそうですと返る。

 馬鹿だろ? お前。いや、馬鹿はこんないい加減な連中に素直に従っている私だ。

 そして金曜日もやっぱり無駄に終わった。

「連絡が取れないんだ」社長がへらへら笑いながら言う。

 あなたの監督不行き届きでしょうが。

 謝罪の言葉の一つも聞かせろやあ、おらあぁ?

 でもその言葉は腹の底に呑み込む。


 それっきりクソTの消息は消えた。つまりこいつは何もかも放り出して逃げたのである。

 こういう仕事を放り出して逃げる連中はこれからも山ほど見ることになる。


 少し経ってから社長がクソTとの連絡がついたと教えてくれた。

 電話が一本だけかかってきたそうだ。恐らく仕事が勝手に片付いたのを期待しての探りだ。誰かが後を引き継いでいたら何事も無かったかのような顔をして戻って来るつもりだ。

 普通の人間ではあり得ない話だが、後に知ることになるがこの男はそれをする。

 社長が今どこにいるのかと訊くとただ一言返って来たそうだ。

「いま、北京」

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