第7話
「考えられる理由……ですか」
ルルアはミレイの言葉を聞いて、惑星の記憶の更に深層にアクセスした。多くの情報に煽られながら、ルルアはダンジョンの特殊事象に該当し得る記憶のみを抜粋した。
「……魔物の氾濫、ですかね」
「氾濫?」
「はい。たまたま下の階層が上に登ってきた。
そのような事象は珍しいようですが、そこまで珍しくもないようです。
ただ一つだけ、その事象を確認した後に起こり得る大きなイレギュラーが存在するようです。
それが……」
「魔物の氾濫、と」
「はい。下の階層に居たはずのモンスターが、段々と上に登って、やがて、地上に溢れ出ることを指します」
魔物の氾濫と言われ、あまりミレイは想像ができなかった。
だが、モンスターが地上に溢れ出るということは、地上の人々がモンスターと接触する機会が増えるということであり、少なからず死傷者が出ることは想像できた。
「ですが、第三階層のオークが上に登ってきた原因だと思われる事象は確認できません。
あくまでも先程の事象は、自然発生的な只のイレギュラーのようです。
ミレイさんの求めている答えでは無いと思いますが、残念ながらこの惑星の記憶にはそこまでの情報しかありませんでした」
ルルアの説明を聞いてミレイは納得した。彼女の能力で得られないような情報であれば、元々存在しないことと同義であると考えた。
「ま、だとしたら、その魔物の氾濫とやら以外は気にしなくても良いのかな?」
「そのようですね。もし仮にそうであったとしても、我々が何かをすべきではありません」
「うーん、そこは……まあ、そうかもしれないけど気分によるかなぁ」
ルルアの裁定者的な考え方から、この街の出来事はこの街の住民が解決すべきだと考えていた。
だがしかし、ミレイは手が気軽に届くのであれば、多少は助けてやっても良いと考えていた。そのようにミレイが考えたのは、彼女が元は力の無い只のヒューマン族であり、力を持たない者たちの苦悩を知っているからだ。
「その時になって考えたら良いだろう。今は先に進むとしよう」
ルルアとミレイの決定的な価値観のズレが齎すパーティ内の不和を感じ取って、シンはそれ以上に話が続かないように口を開いた。
「ま、そうだな。今ここで論じ合っても意味は無いよな」
リョウはシンの言葉に同調した。アブソル・ノワールは再びダンジョンを歩き始めた。
第一階層で出会うモンスターの殆どは、ゴブリンではなくオークであった。
「オークが多いな」
「だねー」
「……これは、魔物の氾濫の説が強そうですね」
オークは図体がデカいので的も大きくなる。オークが出現すると同時にデリは作り出した氷槍を射出し、図体に突き刺して一瞬で絶命させた。
アブソル・ノワールは特に困ることも無く、第二階層に続く下り階段を見つけることが出来た。
アブソル・ノワールのダンジョン探索は極めて順調に進んでいた。
「ここが第二階層、地下二階だね」
第二階層に降り立ったミレイは、自分の居場所を確かめるように呟いた。
「はい、そのようですね」
ルルアは頷いた。
「じゃあ早速、進むわよ」
アブソル・ノワールは第一階層を踏破して、一休みすることも無く第二階層を進み始めた。
一般的な探索者であれば、第一階層を踏破するのに一日はかかる。それに、踏破した先で少し休息を取るのが普通だ。
だがしかし、疲れ知らずの彼らは違った。第二階層に辿り着いてからも、とても余裕そうな表情で歩き続けた。
「少し待ってもらえますか?」
それなりの速さで進むアブソル・ノワールをルルアの一言が止めた。そして、ルルアは近場の壁をじっくりと下から上まで眺めた。
「……どうしたの?」
「この先に何か仕掛けがあるようです」
ミリアリアの問い掛けに、ルルアは特に隠さずに答えた。仕掛けがあると聞いたミリアリアは、自らの背に紅の魔人を作り出した。
「ぶん殴っても良いのよね?」
「……そうですね。本来は正規のやり方があるようですが、今回はその方が早そうですね」
ミリアリアは背中に作り出した紅の魔人の、その右拳を全力で突き出した。
拳は壁にめり込んで、やがて、壁に擬態していた扉を無理矢理破壊した。
「わーお、よく見つけたね」
ミレイは本来は壁であった先に広がった空間を見て、その仕掛けを見つけたルルアを素直に賞賛した。
その空間には一つの箱が置いてあった。
「これは?」
「惑星の記憶によると、この箱は何かが出てくるらしいです」
「……罠だったりしないのか?」
「特にそのような情報はありません」
「念の為だ。私が開けよう」
シンは率先してその空間に足を踏み入れて箱に手をかけた。ぎぎっ、という音と共に箱は開かれた。その中から現れたのは一本の短剣であった。
「なんだこれ」
「変な感じはしないわね」
「判断に困るな」
「ん」
「テキトーに触ったらまずい感じ?」
「特殊な短剣のようですね」
アブソル・ノワールの面々が、箱の中から現れた短剣に目を細める中で、ルルアだけが短剣の正体を知っていた。
「名前は?」
「聖水の短剣だそうで、触れた者を浄化する効果があるのだとか」
シンの質問にルルアは軽い解説をしながら答えた。
「名前からして、水も出るのか?」
「飲める水が出ます。斬れ味も業物と呼べる程です」
リョウの質問にルルアは即答した。
「リョウ、いるか?」
シンは聖水の短剣を手に取り、リョウに刃の裏表を見せびらかした。
「……良いのか?」
「私たちは要らないからな」
「まあ、そう言うならありがたく……」
リョウは聖水の短剣を手に入れた。
「こんな宝物があるのは普通なのか?」
「ダンジョンとは、そのような存在のようですね」
「だとしたら、きっちりと探索するのも楽しいな」
シンは新たに見つけた武器を見て、年甲斐もなく、ダンジョンを楽しんでいた。
そこからアブソル・ノワールは第二階層を隅々まで探索しながら歩いた。残念ながら、他の隠し部屋もさっき剣が出てきたような特殊な箱も見つからなかった。
道中では第一階層と同様に、オークと何度か交戦になったが、強さも大きさも第一階層の個体とそう変わらず、デリの氷の槍であっさりと倒された。
アブソル・ノワールはやがて第三階層に向かう階段を見つける。彼らは戸惑うことなく、第三階層に足を踏み入れた。
疲れ知らずの彼らは、第三階層も休むこと無く進み始めた。
「……新手のモンスター」
少し歩くとオークでもゴブリンでもない、一つ目のモンスターが現れた。
「サイクロプスと呼ばれる魔物のようですね。姿形は違いますが、オークの大きい版だと思っていただければ良いかと」
「……ん」
デリが作り出した氷の槍が、今までのオークと同様に、サイクロプスと呼ばれたモンスターの土手っ腹に大きな風穴を開けた。あっさりと絶命した。
「オークもそうだけど、サイクロプスの武器も回収したくないんだよなぁ」
「棍棒は流石にそうよね」
「倒しても一利なし、だね」
「遭遇するだけ損、だな。さっきの武器が入ったような箱に出会えれば良いが……」
シンは特殊な武器が出土するような箱を痛く気に入ったのか、またもや引き合いに出した。
「珍しくシンさんが楽しんでる?」
「私はいつも楽しんでいる」
「いや、それは……」
嘘だろと続けようとして、リョウはその言葉を発さなかった。
「……?」
「いや、何でもない」
シンは不思議そうな顔をしたが、リョウは首を横に振った。
楽しそうにしている他人に、まるで水を差すように口を挟むことは、例え相手がそれに無自覚であったとしても、必要のないことだ。
「シン、見つけましたよ」
ルルアは愛すべき男が、珍しく楽しんでいる様子を見て、新たな隠し部屋を見つけたことを意気揚々と報告する。
「……ほう、何処だ?」
「ここの部分です」
彼女はアブソル・ノワールの全員がわかるように、該当箇所の壁をゆっくりと撫でた。
「叩き壊すか」
シンは大きなメイスを取り出して、彼女が示した壁に叩き付けた。壁はあっさりと壊れ、そこには先ほどと同じような箱が置いてあった。
「私が開けても良いか?」
さっきは危険だから、という理由でシンが箱を開けた。だがしかし、今回はシンが自ら開けたいようだ。
リーダーのシンがここまで意欲を見せるのはとても珍しい。普段の彼はリーダー然としているので、自らの好奇心を前面に出すことが少ないのだ。
「もちろん」
リョウが頷いて、他の面々も頷いた。シンは中身に思いを馳せながら箱を開けた。
「……なんだこれは?」
だがしかし、中身と対面して彼はわかりやすく顔を顰めた。
何故なら、その中身の形がわかりやすい道具の形をしていなかったからだ。
「見せてみ」
リョウはシンが持っていた中身を手に取る。
「……ツボ押しかな?」
リョウが手に取ったそれを、彼の隣から覗き見たミレイは呟いた。
「ああ、確かに、ツボ押しと言われれば似てるかもだけど……」
五〜十センチメートル程の長さの棒状のそれは、確かに肩を解したり、ツボを押したりするのに向いた形状をしていた。
「……ツボ押しって何なの??」
ミリアリアはツボ押しの存在を知らなかった。それはそうだろう。強靭な肉体を持つ彼女が整体関連の治療を必要とするとは思えない。
「例えば肩を揉んだりしたら、少し気持ち良いじゃん?
それの道具だと思って貰えれば……」
ミレイはミリアリアに説明をしながら、ルルアにその道具を見せた。
「身整の棒と呼ぶそうですね」
「ツボ押しじゃん!?」
ルルアの言葉に思わずミレイはツッコミを入れた。
「ツボ押しが何かは存じ上げませんが、この棒が示した特定の部位に押し当てると、身体が軽くなったりするらしいてす」
「それをツボ押しって言うんだよ。この世界にはその概念は無いのかもね」
ミレイは肩を竦めた。
「……何か、来ますっ!」
「……っ!」
ルルアとシンは団欒とした雰囲気を割くように現れた強烈な存在感に咄嗟に反応した。
ルルアの声でアブソル・ノワールは戦闘態勢となり、シンは外界から彼らを保護する為に結界を作成した。
だがしかし、その抵抗は無意味だった。シンが作った結界ごと、アブソル・ノワールの面々はその場から姿を消した。
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