0‐7 危険なサイン
聞こえる。凄く懐かしい音だ。
いつも母さんが包丁でまな板を叩く時とそっくりだ。
懐かしいと感じ目が覚めると夢ではなかった。
確かに包丁でまな板を叩く音が今もかすかに聞こえる。
「あ! 俺!?」
静かな朝を迎えることはできなかった。
仰向けで寝ていた上半身を起こしソファの上に乗っていた。
脚を伸ばし足裏がソファの腕掛けに付いていた。
それよりもこの音はきっと七瀬さんによるものだろう。
「ん? これも……七瀬さんが?」
起き上がった後に気付いた、毛布が掛けられていることに。
これは確か七瀬さんに掛かっていた毛布だったと思う。俺が寝ている間になんていうささやかな優しさなんだ。よくよく周りを見れば既に布団などが隅に折り畳まれていた。
「七瀬さん」
感動していた。こんなにも機転が利くなんて素晴らしいと心が震えた。
震える衝動を抑えているとさっきの音が聞こえなくなった。これはもしかして起きたことに気付いたのか、七瀬さんが。
「あ……起きちゃいましたか」
さすがに物音を立てず料理をするなんて無理があるだろうに。
七瀬さんはこっちを残念そうな目で見つめていた。後悔は先には立たない。もうこうなったら二度寝はできない。なにか返事をしなければいけない場面だ。
「気遣いどうも。その……手伝おうか、俺も」
無難だったか。でもこれが今の俺だ。
右手で
「まずは顔洗いに歯磨きです! あ……洗面台は掃除しておきました! それと」
こんな短時間に洗面台の掃除までしてくれたのか。なんとも頼もしい限りだな。
「一緒に住むに当たって私の生活用品も置いときました。特に歯ブラシとかですね」
わざわざ言ってくれるところに好感が持てる。
うん? 今になって思い出したけど俺はパジャマに着替えるの忘れていた。あれ? ということは七瀬さんもなのか。ここは気になるから訊いてみよう。
「七瀬さん! 昨日……その
料理よりも洗面台よりもそっちの方が気になった。どんな返事がくるのだろう。
「佐崎さんが寝静まった後に着替えました、今は元に戻ってますけど」
良かった。ということは俺のせいで着替えられなかったのか。七瀬さんは七瀬さんなりに俺に気遣ってくれていたんだ。なのに俺は――。
「ごめん! 俺が悪かった! 次からは気を付けるよ!」
「はい!」
なんだろう? この感覚は――。
七瀬さんに出会ってからまだ一日も経ってないのに不思議な気持ちになる。まるで
これがなにを差しているのかは今の俺には分からない。でもそれでもどんどん七瀬さんへの信頼度が増していっているのを肌身に感じていた。
本当に陸より広い海を見た気がした。むしろそれ以上の空を俺は知りたいとさえ感じた。踏み込めば踏み込むほどに溢れるのは豊かな感情だった。
「あの……佐崎さん?」
思わず
「んん!? あ! そう言えば!」
忘れていた、日課になっていたモーニングコールを舞香にするのを。でもまだ間に合うか。急がないと――。
俺は慌ててソファに乗っていた足を外に出しきちんと座った。
確かスマホはテーブルの上に置いたはずだ。まだ寝惚け気味な俺はテーブルの上を凝視した。次第に焦点が合ってくるとテーブルの上のスマホを見つけ急いで手に取った。ついでに今は何時なんだ。
「六時か! まだ……間に合う!」
この光景に七瀬さんは疑問視していることだろう。もしかしたら困惑もしているかも知れない。ごめん。でもそれでも今は舞香にモーニングコールを送らないといけない。じゃないと俺の気が落ち着かない。
七瀬さんが空気を読んでくれているのかなんて気にしてはいられない。だからとスマホを操作し舞香に電話を掛けた。ごめん、七瀬さん。
今は舞香のスマホが鳴っていることだろう。早く出てくれ。お? 出た。
「あれ?」
留守電になっていた。なぜかは分からないけど舞香は無事なんだろうか。確か今は朝なので舞香の家までは十分に間に合う。七瀬さんは知らないだろうけど俺は舞香の住所を知っている。だから俺はスマホの電話を切り立ち上がった。
「行こう! 舞香の家に! 七瀬さんも付いてきて!」
七瀬さんはともかく俺は朝ごはんを抜いたとしても身支度はしないといけなかった。だから慌てて洗面台まで行き顔洗いと歯磨きを済ませた後に七瀬さんと一緒にアパートを出た。
どうか無事でいてくれ、舞香。
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