第7話 中東紛争①
空は鉛のように重く、廃墟となった街には灰色の空気が漂っていた。ここは、中東の紛争地帯――かつて「カーサ」と呼ばれた都市の跡だ。瓦礫と化した家々、砕けた窓ガラス、そして無造作に散らばる金属片。ジンはその上をゆっくりと歩み、ブーツの下で粉じんが舞い上がるたび、無言で風に乗って消えていく。
「ここが……カーサの街があった場所か」
彼は足を止め、かつての繁栄の跡を見下ろした。荒廃し、誰もいなくなった街の様子は、今まさに彼が成そうとしていることの意義を問いかけているかのようだ。
ー人は、なぜこんなにも簡単に壊し合うのかー
瓦礫の山を越えた先に、まだ原型をとどめている民家があった。ジンはその中に足を踏み入れる。窓から差し込む薄明かりが、床に散らばった写真たちを照らしていた。家族の姿がそこには映っているが、彼らの行方は知れない。おそらく砲火に巻き込まれ、あるいは強制的に避難させられたのだろう。
「民間人を狙って砲撃し、無力な人々を虐殺する……」
ジンは写真を手に取り、淡々と状況を整理する。その表情に怒りや悲しみはなく、ただ深い疑念と不信感が浮かんでいるだけだった。
「戦争で民間人を攻撃することは国際法で禁止されている。なのに、国連は動かないのか?」
彼はふと笑みを漏らしながら呟いた。
「国連の意義だって? 紛争の防止、平和維持活動、国際法の遵守か……ハッ!何一つ出来てねーじゃん」
ジンは無言で外に出ると、足元を踏みしめながら次の目的地を見据えた。南に位置する難民キャンプだ。彼が見つめる先には、希望を失い、生きるためだけに集められた人々がいる場所が広がっている。
難民キャンプに足を踏み入れると、目に飛び込んでくるのは、無秩序に並ぶテントの列だった。どのテントも色褪せ、破れ、風に揺れるたびに薄い砂埃が巻き上がる。ジンはその中をゆっくりと進み、道らしきものができている乾いた地面を踏みしめた。
「これが……避難地か」
テントの間を歩きながら、彼は周囲の様子を観察した。人々の顔には生気がなく、疲れ切った表情をしている。子供たちは母親のそばで砂遊びをするように手で地面を掘っているが、その無表情な顔からは笑みが消えていた。
水を求める人々の列が目に入る。彼らはプラスチックのボトルやバケツを持ち、給水車が来るのをじっと待っていた。その中に混じって、小さな少女がひたむきにペットボトルを抱えている。
突然、少女がジンの横をすり抜けるように走り、彼にぶつかった。少女はそのまま地面に倒れ込み、慌てて立ち上がろうとするが、大きすぎるペットボトルの重さに再び座り込んでしまった。
見ると、低学年くらいの少女が尻もちをついていた。彼女は痩せ細った体に大きなシャツをまとい、手には大きすぎるペットボトルを抱えている。彼女の頬は汚れ、唇は乾き切っていた。
「ご、ごめんなさい……!」
少女の声はかすかで、今にも泣き出しそうなほど弱々しかった。彼女は焦って立ち上がろうとするが、ペットボトルが重くてまた座り込んでしまった。
「大丈夫か?」
ジンはしゃがみ込み、手を差し出した。彼女は一瞬驚いたようにジンを見つめたが、すぐに目を伏せ、申し訳なさそうに首を振った。
「ごめんなさい……水が……こぼれちゃって……」
彼女の声は、乾ききった大地のようにかすれていた。ジンは胸の奥で何かが強く引き裂かれるのを感じた。こんな小さな少女が、貴重な水を失う恐怖におびえている。ジンはリュックを開け、中から紅茶のペットボトルを取り出した。
「これ、甘くて美味しいよ」
少女はそのボトルを不思議そうに見つめ、ジンの顔と交互に見た。信じられないような表情だ。彼女は一瞬ためらい、そっと手を伸ばしてボトルを受け取った。
「……ありがとう……」
かすかな声で礼を言いながらも、彼女の目はボトルの中身に釘付けになっている。ジンはその様子を見ながら、さらにリュックからいくつかのおにぎりとバナナを取り出し、それを袋に入れて少女に手渡した。
「これも、君に。お腹、空いてるだろ?」
少女は袋を見つめ、目を見開いた。「これ……本当に、もらっていいの?」
その言葉にジンは軽く笑い、少女の頭に手を乗せて優しく撫でた。「もちろん!」
少女はその瞬間、涙をこらえるように唇を噛んだが、耐えきれずにポロポロと涙がこぼれ落ちた。彼女は慌てて袖で涙を拭ったが、その小さな体が震えているのがわかった。
「お父さんやお母さんは?」ジンは静かに尋ねた。
少女は俯いたまま、かすかに首を横に振った。その沈黙は、ジンにすべてを伝えていた。言葉を失いながらも、彼は再び少女の頭を撫でた。
「そうか……。辛かったな。」
ジンは優しく語りかけるが、『もう大丈夫』とは言えないそのやるせなさに囚われていた。
少女は少しずつ、落ち着きを取り戻し、袋の中のおにぎりに手を伸ばした。その姿を見ながら、ジンは深く息を吐き、ただ静かに彼女と同じ空気を共有していた。
「君の名前はなんて言うの?」
「・・・ライラ」
「ライラちゃんか!可愛い名前だね!」
少女は少し照れくさそうに俯く。
「今は1人で生活してるの?」
10歳にも満たないような少女がこんな過酷な状況でどうやって暮らしているのか、ジンには疑問だった。
「ううん。親の居ない子達で集まって暮らしてる。」
「子供達だけって事?」
「カリムさんが居る」
「カリムさん?」
「そう、私達に配給の時間とかお水の貰い方とか教えてくれるの」
そうか、、、面倒みてくれてる大人も居るんだな。そう思ってジンは少し安堵した。
「お水。。。持って帰らないと」
ボソっと話すライラにジンは答える。
「重たいだろ?一緒に持って行ってあげるよ」
ジンの提案に、ライラは一瞬戸惑ったようにジンを見上げたが、すぐに小さくうなずいた。その小さな姿に、ジンはまた胸の奥に何かがこみ上げてくるのを感じた。彼は黙ってペットボトルを持ち上げ、少女と一緒に歩き始めた。
道中、キャンプのテントは次々と過ぎていくが、どれも同じようにぼろぼろで、そこに暮らす人々の無気力な表情がジンの目に入ってくる。ライラは少しだけ安心したのか、ジンにペットボトルを任せたことで肩の力が抜けたようだった。それでも、彼女の小さな手は時折ジンの服の袖をつかむ。まるで、彼を頼りにしているかのように。
「ライラちゃん、カリムさんってどんな人?」ジンは歩きながら、彼女の生活について少しでも知ろうと思い、問いかけた。
「カリムさんは優しいよ。みんなを守ってくれる。いつも私たちに笑顔で話しかけて、ちゃんとお水や食べ物が来るようにしてくれるんだ。でも……」
ライラは少し言いよどんだ。
「でも?」
「最近、カリムさんは元気がないの……。みんなに『もう少しだから』って言ってるけど、顔が疲れてるみたいで……。お水の列に並んでる人も増えてきて、配給が間に合わない時もあるみたい。」
ジンはそれを聞いて、心の中でカリムという男に興味を抱き始めた。彼のように、自分の力で無力な人々を支えている者もいるのか。ジンが感じていた世界への失望とは対照的に、カリムはこの絶望的な状況の中でも人々のために尽くしている。
「カリムさんは強い人なんだね。」ジンはそう言ってライラに微笑んだが、彼の胸の中には重い疑念もあった。どれだけ強くても、一人の人間がこの状況を救えるのだろうか?
歩みを進めるうちに、ライラは「ここだよ」と静かに言い、ジンを小さなテントへと導いた。そこには、同じくらいの年頃の子どもたちが数人集まっていた。みんなが薄汚れた服を着て、無表情でジンを見つめている。彼らの目には、戦争で無理やり奪われた幼少期の欠片が映っていた。
「この子たちが、私と一緒に暮らしてるの」ライラは小さな声で言った。
「こんにちは」ジンは子どもたちに声をかけたが、彼らは反応せず、ただ静かに見つめ返すだけだった。
その時、テントの入り口に大柄な男が現れた。彼はやや痩せこけているが、鋭い目つきと落ち着いた態度から、ただ者ではない雰囲気を漂わせていた。ライラが「カリムさん!この人が手伝ってくれたの」とカリムに駆け寄ると、彼は静かに頭を撫で、ジンに目を向けた。
「君は、、、噂の東洋人か?」カリムは低い声で話しかけてきた。
ジンは驚いた。「どうして俺を知ってる?」
カリムは少し口元を緩め、微笑みながら答えた。「このキャンプでは、東洋人が歩いているとすぐに噂になる。」
そう話すカリムの目には敵意や疑念はなかった。むしろ、彼には疲れた中にも覚悟と信念を感じさせるものがあった。
「どうやらライラが世話になったようだね。ありがとう・・・。少し話そうか。」
カリムは座布団らしきものに座ると一呼吸おき、ジンに尋ねる
「君は、どうしてここ(紛争地帯)に?」
カリムは静かに問いかけたが、その言葉には鋭さがあった。
「ここで何が起きているのか、自分の目で確かめたくて戦場に来た。あんたは何でここにいる」
カリムは目を細め、遠くを見つめるようにしながら口を開いた。
「私は、この街で家族を失った。目の前で家が砲撃に巻き込まれ、妻と子供たちはもうこの世にいない。今はこの子たちを守るためにここにいる。」
そばに寄ってきた子供の頭を優しく撫でる。
「・・・あんた一人で、できることには限界があるだろう?」ジンは言葉を選びながら問いかけた。
「そうだな。それでもやる。俺は自分の子供達を救えなかった・・・。だからこの子達だけは助けてやりたい。誰も助けないなら私がやる。」
カリムの目には一切の迷いがなかった。
「俺に手伝えることがあれば言ってくれ」
カリムの覚悟の前に思わずそう口にしたジンの声には、これまでの冷静さが薄れ、ほんの少しの焦燥が滲んでいた。
カリムは少し驚いた顔をしたが、すぐに真剣な表情に戻り、「助けはいつでもありがたい」とだけ答えた。
「ライラ、そろそろ日用品の配給の時間だ。取りに行きなさい」
「うん」
二つ返事でライラはテントから出て行った。素直ないい子だ。
その様子を見たジンは、重そうに荷物を抱えるライラを思い出して
「いつもあんな小さな子供1人に行かせるのか?」
と疑問を投げかけた。
カリムは何かを察したように答える
「ああ。子供達には大変な仕事だろうが、私が死んでも、あの子らだけで生きられるようしなければならない」
「そうか・・・」
カリムの発した言葉に、その行動の深い優しさと覚悟を感じたジン。この人達はこの戦場の地獄の中でも、希望を持って生きてる。そう実感した。
「君は、戦場を見にきたと言った。戦場を見て現実を知ってどうするつもりだい?」
ジンは少し考えた後に答える
「・・・分からない。ただ、こうやって罪のない人達が虐げられてるのは現状は間違ってる」
「つまり、戦争を止めたいという事かい?平和な世界に変えたいと?」
「そんな立派なモンじゃない。俺はただ、平然と子供を殺してる様な連中を1人残らずぶち殺してやりたいだけだ」
ジンの言葉に少し驚くカリムだが、こう言葉を紡ぐ
「君は優しいんだね。けど、とても危うく不安定でもある・・・」
黙って話を聞くジンにカリムはこう続ける
「君は人を殺した事があるかい?」
ジンは頭の中で、宮殿を爆破した事を思い出したが、あの時は人への被害を0にするために、オニが作戦を調整してた。
考え事してたジンにカリムは続ける
「私は人を殺した事があるよ・・・
戦場で何人もの兵士を殺した。けど人を殺すと辛いのは殺された相手だけじゃない、君自身も、そして殺した相手の家族もだ。」
ハッと気づいた様に考えさせられるジンにカリムは更に続ける
「戦場で遺体を調べると、中から家族の写真が出てくる事なんて良くある。
君が戦場で人を殺すと言う事は、彼らの家族も不幸にさせるという事だ。
君にその覚悟はあるのかい?」
そんな覚悟はしていない。ジンは心の中でそう思ったが口には出せず黙り込んだ。
「すまないね。君を否定したかったわけじゃないんだ。
ただ、戦場では人は簡単に壊れてしまう。体も心も・・・。
心の壊れていった仲間を何人も見てる。君のような優しい心を持った人間はとくに。。。」
カリムの言葉がジンに突き刺さる。心の奥底で迷っていた感情を見破られて突きつけられた気分だった。
「俺は・・・」
ジンが何か答えようとしたそのとき、どこか遠くから低い振動が地面を伝ってくるように感じた。ジンは微かに耳を傾ける。まだ遠いが、確かに何かが近づいてくる――空を裂くような音だ。
「なんだコレ・・・」
ゴォ……ゴォォ……。はじめはかすかだった音が、じわじわと大きくなり、空気を揺らし始めた。まるで風の中に混ざる微かな雷鳴のような、不吉な響きだ。
まだ、遠い……だが、確実にこちらに向かってきている。ジンは何の音か分からず様子を伺っている中、カリムの顔がドンドン青ざめていくのが分かった。
「まさか・・・!」
カリムは慌ててテントの外に飛び出す。その様子を見たジンも外へ出た。
カリムは空を見上げて表情が凍りついた。
音は次第にその正体を露わにし始めた。それが迫るにつれて、空の青が何か不穏なものに染まっていくような感覚に包まれた。ゴォォォォ……。それはもう疑いようのない脅威だった。
「爆撃機だ……!逃げろ!」
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