学部 記憶 (5)自主性なし! 鈍感!

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は、様々な女子に援けられながら波風ありながらも充実した日々を過ごしてきた。

 三年半離れていた、ベーデ(元彼女)と親友のエリー(元留学生)とは、大学二年で共に再会。

 空白の時を越えて彼女達とどう接するか、戸惑う日々。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-



「美味しいデスねぇ…。」


 エリーがとろけている。彼女が手にしているのは、握りの《上》。

 お祖父様が日本贔屓びいきの御蔭で、彼女は一高こうこう時代から鮨が大の好物。

 日本食を楽しむには舌の微妙な味覚が不可欠だ、と、彼女は煙草を吸うものの、精々一日に一本吸うかどうか、という程度で、然も喫煙の後は念入りにうがいをしていた。


「其様なに気にするくらいなら、煙草止めなよ。」

「へ? ストレス解消は必要デス。」

「飴か何か舐めたら?」

「太りマス。」

「シガレットケースにシリカゲルを入れてるなんて君くらいだよ。」

「だって、一箱で一か月くらいかかりマスから…。」

「アストリーさんに隠れて吸ってんだろ?」

「Goの前だけデス。」

「普通、逆じゃないか? 男性の前では吸わないだろ。」

「警戒感がナイから、安心してストレス解消出来るんじゃナイデスか。」


 其の日も、念入りにうがいをしてから行きつけの鮨屋の暖簾をくぐっていた。

 箸は使わずに手を器用に使い、醤油も付け過ぎず、小ぶりの握りをポイと口に放り込む。


「ンンン…此のサビが…絶妙で…。」

「エリちゃんだと握り甲斐があるねぇ。」


 大将がカウンター越しに喜んでいる。


「大将、最高! 私が勲章アゲマス。」

「お、嬉しいねぇ。駿河ちゃんみたいに、黙々と食べて、ターンとお愛想して出るのも男には良いけど、矢っ張りエリちゃんみたいに正直に喜んで呉れる様子が女の子には良いねぇ。」

「男は度胸、女は愛嬌、デスか?」

「よく知ってるね。」

「私たちは逆デス。」

「ん?」

「中身は逆だってことですよ…。」


 僕が呟いた。


「へぇえ、カカア天下なのかい?」

「Goが食べてるの、それ何デスか?」

「ん?」

「それぁ、タタキチラシだ。」


 大将が歯切れ良く答えた。


「キャタピラーミツビシ?」

「タタキチラシだよ。ネタを捌くと、端切れが出来るだろ? それを取って置いて、包丁でタンタンターンと叩くわ。んでもって鮨飯の上に乗せて、海苔とワサビとワケギを散らしたやつだ。」

「へぇ…美味しそうデスね。握りを戴き終わったら、頼んで良いデスカ?」

「ごめんよぉ、まだ一人前出来るだけ端切れが揃ってねぇんだ。」

「ブウウゥ! Goが全部取った!」

「何だよ、俺が悪いのかよ!」

「少しお遣りよ、駿河ちゃん。」

「鳥渡だけだぞ。」

「アリガト…はぁぁ…。」


 エリーがまた蕩けている。何を食べても溶解する娘だ。


「此の握りの残りと交換シマショウ。」

「駄目!」

「ブウウウゥ!」

「ホラホラ、これでご機嫌直して。」

「何デスか?」

「蟹の内子。今日、偶々入ったから、軍艦巻きで。海苔の香りと一緒に。巻き立てが良いよ。」

「Vielen Dank! ンンン…アハァァァ…。」

「美味しいかい?」

「キャタピラーミツビシより最高!」

「そうかい。」

「Go、 蟹の内子、欲しいデスカ?」

「呉れるの?」

「ダメェェ…アゲマセェェェン…ベェェェェェ!」

「くそ餓鬼だな…イテテ!」


 舌を出しているエリーに捨て台詞を吐くと、無言で正面から拳骨が向かってきた。


 *     *     *


 十二月しわすを迎えると言わずと知れた年の瀬で、街中にも神社を中心に屋台がちらほら見え始めた。


「あれ何デスか?」

「アンズ飴。」

「あれが有名なアンズ飴?」

「何が有名なんだ?」

「ベーデから聞いたデス。」

「歯の裏にくっつくから止した方が良いよ。」

「へぇ。 アレは?」

「お好み焼き。歯が青のりだらけになるよ。」

「へぇ。 アレは?」

「たこ焼き。あれも歯が青のりだらけ。」

「…。 アレは?」

「綿飴。手と口の回りがベタベタになる。」

「…。 アレは?」

「ベビー・カステーラ。」

「どうしたデスか?」

「ん?」

「私に食べサセナイ理由が見当たらナイデスか?」

「あはは、そうじゃないって。何でも試してみたら?」

「可愛らしいからベビー・カステーラ。」

「おいさん。百個入り頂戴。」

「へい、百個!」

「Go、 百個は…。」


 威勢良く大きな匙で掬って袋に入れている様子を見て、エリーが袖を引っ張っている。


「食べたら分かるって。」

「へい、毎度あり。」


 僕は一番大きな包みに入ったベビーカステーラを受け取ると、口を開けて彼女に向けた。


「イタダキマス…。…ンッ…ンン…アファァァ…。」


 ベビー・カステーラ一個で此処まで蕩けて貰えたら、此の菓子を最初に作った人は本望だろうというくらい、エリーが蕩けている。


「どう?」

「…。」


 彼女は物も言わずに次の一個、ではなく三個を鷲掴みにした。


「…。…。…。ンンン…オホオホ!」

「美味しい?」

「意地悪デスネ!」

「何だよ。」

「どうして一高のときに、これを教えて呉れマセんデシタ?」

「偶々だよ。」

「一高のときに知っていたら、私はベビー・カステーラのために再留学を決意シタのに…。」

「ただのたこ焼き型ホットケーキだろ?」

「一口でポンと入って、これだけ人を幸せにして呉れるのは、お鮨にも匹敵する貢献度デスヨ。是非世界に知らしめるべきデス。」


 言いながら、四つ、五つと鷲掴みにしている。


「ああ、知らしめて呉れ。ベビー・カステーラもさぞや喜ぶだろう。」

「あ、もう此様こんな…。」

「だから言っただろ? 五十個入りとかだったら、今頃、君は僕を拳骨で殴ってる。」

「richtig(そのとおり)」

「アレは?」


 ベビー・カステーラを頬張りながら、何軒か先を指差している。


「アメリカン・ドック。」

「汚れマス?」

「食べ方次第だね。」

「挑戦シマス。」

「二本下さいな。」

「へい!」

「此のマスタードとケチャップを好きなだけどうぞ。」

「ドレくらい? アー、成る程…ン!」

「口の周りに付かないように上手に食べなよ?」


 と言ってる傍から彼女が口の周りを可成り賑やかにしている。


「ん? 何見てマス? 駄目デスか?」

「君は幼稚園児か…?」

「美味しいデスね。ソーセージがアッサリとしていて。」

「魚肉ソーセージだから。普通のソーセージじゃあ、しつこくて到底駄目だ。周りの衣が矢っ張りホットケーキの生地でしょ?」

「アハ、パンケーキとソーセージの朝食を串に刺したんですね。日本人デスねぇ…。」

「ほら、口の周りを拭きなさいって。」

「アリガト。」


 眉間に皺を寄せて、険しい顔で口の周りを拭いている。何をする時でも集中すると顔が険しくなるのは相変わらずだ。其様な様子を見ていて、小さな子どものように楽しんでいる彼女が実に可愛らしく思えた。


「楽しい?」

「トッテモ。」

「そう、良かった。」

「アレは?」

「焼き豚。豚串だよ。」

「チャーシュー?」

「違う違う。焼き鳥と同じように、豚バラ肉を串に刺して炭火で焼いたの。」

「デェェ…欲しい…。お酒…。」

「呑むの?」

「…。」


 エリーは二十歳をとっくに超えている訳で、法律的には全然問題ない訳だけれど、アルコールを飲むと甘いものよりもベロベロに蕩けて了うのを知っていた僕は、少し躊躇した。


「ま、良いか、明日は休みだし。」

「エヘヘ…。」

「塩串二本にビールを二杯。」

「アイヨ!」


 横に置かれている縁台に座って、ビールを口にしながら串にかぶりついた。


「ん、良いね。単純だけど。」

「ン…ンフゥ…ハァァァ…。アハハハハハァ…。」


 彼女はもう赤くなっている。


「大丈夫?」

「まだ一口デスよ。エヘヘ。」


《エ段》の笑いが出てきたら彼女の注意信号だ。


「塩がシンプルで一番だ。」

「私、お塩を嘗めるだけで日本酒イケマスヨ。」

「そら、酒豪だな。」


 ビールを呑むときに口から先に出て行くのは彼女が酒好きであることをよく表していた。


「一度、しっかり呑み度いデスネ。」

「じっくりじゃなくて、しっかり?」

「そう、しっかりデス。」


 其の目の前を先輩が通りかかった。

「コンチハッ。失礼します。」

「おう、ご案内か?」


 応援部準幹部三年生の国分さんらだった。


「あら、デートよねぇ?」

「…。」


 僕は何とも言えずに立ち尽くしていた。


「ま、こういう場所だ、お互い此処までにしようや。気をつけてな。」

「有難う御座居ます、失礼します。」


 *     *     *


「Go?」

「Was?」

「彼方は彼氏と彼女デシタ?」

「だという話だねぇ。」

「此方は?」

「色々言われてるけどねえ…アイタっ!」

「自主性ナシ! 鈍感!」


 僕がエリーに対してはっきりした態度を示さなかったのは鈍感だった訳じゃない。

 彼女に対する好意は一高の時以上に抱いていた。そして彼女からの好意も勿論感じていた。しかし、其の根底にある意識が「男性」に対するものなのか「旧友」に対するものなのか、全く判断出来ずにいた。


 それまでの経験から、僕にも「判断し度い」という意識はあったが、彼女は見事に其の探索をかわしていた。余計な思わせ振りな態度は取らず、かといって冷たい素振りも取らず。

 そして、それにも増して、彼女がいずれ「オーストリアに帰る」ということが何より先に頭に浮かび、積極的に行動を起こして別れを繰り返すことが怖かった。

 必ずこれまで以上の辛い別れになるだろうということが容易に予想出来る分、今よりも踏み込むことは出来なかった。

 そして、それを自分の所為ばかりではなく、何処かで「彼女のためでもある」というように心の中で自己弁護を繰り返していた。

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