学部 新人責任者 (2)近況なら会った時に話せば良い
【ここまでの粗筋】
天然系な主人公「駿河轟」は、同窓の浪人女子「ソウシ」の御蔭もあって一浪の後、漸く大学に合格した身。
学生時代三度目となる「応援」部に入部した駿河は、彼女とのすれ違い気味の不安を自主練習で晴らす始末。
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翌日以降、自主トレは基礎体力の充実に重点を置く内容に変えた。
綾瀬先輩は、毎日少しでも顔を見せ、「立て!」「座るな!」「遅い!」「ダメ!」「寝るな!」「帰れ!」を連発された。
そして何日か経った昼食の席。
「どうもごっつぁんです。いただきます。」
「上着脱いで。平口で良いわよ。」
「ハイッ、どうも有り難う御座居ます。」
「少しは動きがサマになってきたわね。」
「有り難う御座居ます。」
「呼吸も楽になってきたでしょ。」
「はい。」
「我流の練習は身体を痛めることにもなるから、あまりしない方が良い。」
「失礼致しました。」
其の言葉は、練習の時とはうって変わり、穏やかで女性らしい物言いだった。
「た・ぶ・ん、だけど、夏合宿には充分立ち向かえると思う。《乗り越えられる》じゃなくて《立ち向かえる》よ。」
「…有り難う御座居ます。あの…。」
「何?」
「私の為だけに貴重なお時間をお使い戴いているのでしょうか?」
「アハハ、思い上がっちゃ駄目よ。」
「失礼致しました。」
「他の二人も自主トレしてるわよ。」
「夫々にお付き合いを?」
「ええ。」
「何故、集めて一緒にされないのですか?」
「
「はぁ。」
「一緒に集めて練習させるなら、リーダー部の練習と合宿で充分でしょ。」
「はい…。」
「私の仕事は『新人責任者』なのよ。
「はい…。」
「合宿前に私がするべき事は、
「では、吹奏もチアも?」
「そうね、でも、彼等はリーダーとは内容も違うし、帰省している子が多いから、
「先輩ご自身のお休みは?」
「良いのよ、
「はい、失礼しましたァ。」
「三人とも仕上がってきたようだし、明日と明後日くらいは、リーダー新人三人揃っての練習にしましょうか。」
「はいぃ、有り難う御座居ます。」
「食器、良いわよ、自分で下げるから。じゃ、お先に。お疲れ。」
「はい、失礼致しましたァ。どうも有り難う御座居ました。」
真夏、普通の学生ならTシャツですら鬱陶しく、団扇の欠かせない学食の中で、目に眩しい白いブラウスに紺のスーツを羽織り、姿勢も笑顔も立場も崩さずに去って行く綾瀬先輩の姿は、新人の目から見ればまさに『神々しい』の一言に尽きた。
* * *
結局、四月に電話の架かってきたベーデからも其の後は何の連絡もなく、応援部の夏合宿も無事に終わった。
さらに秋のリーグ戦も済んで、季節は晩秋から初冬に向かおうとしていた。
「おやおや、まだお手紙攻勢の真っ最中?」
綾瀬先輩が二人分の紅茶の紙コップを目の前に置き、正面に座った。
「どうもごっつあんです。有難う御座居ます。頂きます。」
「それにしてもよく続くわねぇ。何通目?」
「ハイ、先日三百通を越えたところで御座居ます。」
「三百ぅ?
「失礼します。」
僕の右手首を引っ張って指を眺めている。
「君、拳立て(拳で支えるプランク)や拍手のタコよりもペンだこの方が凄いじゃない。」
「ハイ。」
「此様なのリーダー責任者に見つかってご覧なさいよ。それこそタコ殴りよ。」
「どうも失礼致しました。」
先輩はぐううぅと伸びをしてから首を左右に振って肩凝りを解し、ソファに背凭れして言葉を繰り出した。
「それにしても、君、此の時期のリーダー下級生にしちゃ、珍しく悲壮感ってものが無いわね。辞め
「ハイ。無心で取り組んでおりますので。」
「もう六年以上もやってれば力の抜き加減も心得てるか。」
「いえぇ、とんでもございません。全力で取り組んでおります。」
「アハハ、ごめんごめん、そうね、変なところに無理をしないで済んでるって言う可きだったわ。」
「どうも有り難う御座居ます。」
「それで? 其の彼女とは続いてるの?」
「ハイ。続いているといえば続いており…。」
「続いていないといえば、続いてない?」
「ハイ。」
「じゃあ、なんだって手にマメまでこさえて毎日手紙書いてるの?」
「ハイ。…何ででしょう??」
「知らないわよ。」
案の定というか、師走を迎える前に、
「まあ、近況なら会った時に話せば良いし。」
短い一文だったけれども、これが現状の全てを表していた。始まりのエネルギーは膨大であっても、終わりは実に見事なまでに呆気ないものだった。
勿論、浪人当時のあの感情に嘘や虚飾は無かった。
しかし、其の感情を支えていたのは、目の前に居るお互いの実態と中身だった。《目の前》という前提が崩れた途端、それを支えられなくなったのは当然のこととも言えた。そして、其の原因の半分以上は、相変わらず《為すが儘に》という相手任せの状況に凭れ掛かっていた自分にある、ということも痛感していた。
痛感していながら負の循環を断ち切ることが出来なかったのは、《浪人》時代の恋という特殊性もあったことは否定しきれない。《浪人》と《大学生》では環境も考え方も全く違う。暇だとか忙しいとか、そういう簡単な言葉では片付かない違いが其処此処に、それこそ一瞬一瞬に転がっている。そういう違いを乗り越えられなかったのは、海水魚をいきなり真水で飼おうとしたような、そもそもの感覚の間違いにあった。
彼女との関係が疎遠になったことには、形としては明瞭ではなくても、そうした《違い》があった。
最も大きかったのが《距離》の違いだ。それも地理的なものではなく、普段の人間的な距離だ。
人に魅力を感じた付き合いならば、其の《人》が見えなくなれば付き合いが当然薄れる。それを維持しようという力がどの程度あるかで、関係の行く末も変わってくる。そして其の力を支えるのが《感じていた魅力》の度合いでもあるだろう。根っこが深くなければ何様なに大きな幹を持って枝葉を繁らせたとしても倒れやすい。自分で支えることも出来なければ、添え木をしたって役に立つことはない。
彼女との浪人時代が浅はかなものであったとか、ただの其の場凌ぎであったとか、そういうことを言う心算は毛頭ない。
ただ、一旦は熱された感情が、そうして冷めて離れて了った結果を冷静に振り返らざるを得ない状況自体が、一年弱という期間、人間関係の上で極めて閉じた状況で感情を促成して了ったことを物語っていた。
真実、思い描く枝葉の理想に嘘はなかった。しかし、其の感情の醸成には更に互いを知り、根を生やす時間が必要だった。感情的に濃密な時間だけではなく、寧ろ無駄な時間が必要だった。
日常の無駄な、余裕のある時間が心の隙間に根を広げて行く。そうした隅々まで広がった根があってこそ、幹も枝葉も強く雄々しく生い茂る。
描いた姿だけが残った儘でお互いを見失って了うと、思い描く途上で道を見失うよりも風化が早い。
其の予想通りに手紙は絶え果てただけだった。
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