学部 新人責任者 (1)此の程度じゃ全然納得しないわよ

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は漸く大学に合格した身。

 同窓の浪人女子「ソウシ」のおかげで何とか乗り越えた大学受験。

 学生時代三度目となる「応援」部に入部した駿河は、彼女との仲もすれ違い気味。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-



 夏休みの終わりには、秋の六大学野球を控えた夏合宿が待っている。彼女との気不可い夏休みを過ごした反動で、何か居ても立ってもいられず、僕は早めに自主トレに入った。

 五時に起床してロードワーク。柔軟運動をしてから基本練習、発声練習。そして、吹奏楽部の同期生から貰った春の六大学野球を録音したテープを聴きながら、試合を想定した腕振り。シャドウ・ボクシングのようにグラウンドの端や校舎の屋上で続けていた。

 毎朝、早く出掛けて行くのが目立ったのか、誰かがご注進したのか、三日目の昼、綾瀬先輩がスーツの上着を肩にかけ、ぶらーりとやって来るのが見えた。


「コンチハッ、失礼します。」

「一人で何してるの~?」

「ハイ、自主トレで御座居ます。」

「ふ~ん。わざわざ其様なことしないでも、もう直ぐ合宿よ。大丈夫?」

「ハイッ、合宿までの暖機運転で御座居ます。」

「あら、本当に大丈夫? 中学時代の特練とはまあ、似たり寄ったりに見えるけど、一年のブランクもあるし。」

「有り難う御座居ます。自制しながら整えて参ります。」


「そう…分かったわ。鳥渡休憩入れられる?」

「ハイッ、有り難う御座居ます。」


 先輩が学食で昼食をご馳走して呉れる。


「平口で良いわよ。」

「どうも有り難う御座居ます。失礼します。」


「どうしたっていうの? 本当に大丈夫?」

「はい。」


 これといって特段の会話もなく、若干気まずい雰囲気で昼食が進んだ。


「失恋でもした?」

「いえ、少しピンとこない状況ではありますが。」

「はは~ん…矢っ張り…。自棄ヤケ食いじゃなく、自棄ヤケ練習でしょ?」

「自棄ではありませんが…。」


 先輩は、やれやれといった風体で、片手を隣の椅子の背に掛け、仕切り直した。


「一緒よ。君の場合、感情のはけ口が練習なだけでしょ? 他に発散する方法が無いから練習しちゃう。違う?」

「はあ、そう指摘されるとそうかも知れません。」

「最初に会ったときに自分でも言ってたけど、君は応援団馬鹿ね。」

「好きですので。」

「ふーん、ならば体力の調整は心得てるだろうから深く心配はしない。ただ、何度も言うけれど、これから合宿もあるのだから、ペース配分を考えなさいよ。」

「はい。有り難う御座居ます。」


「これも余計なお世話かも知れないけど、中途半端な状況ならあっちもはっきりさせたら?」

「は? 彼女の問題ですか?」

「そうよ。君、あんまり器用そうじゃないから。」

「有り難う御座居ます。参考に致します。」

「まあ、それも余り深入りしないわ。じゃあ、付き合おうか知ら。」

「は?」

「は? じゃないわよ。練習によ。」

「はい、有り難う御座居ます。」

「一人でやっていても限界があるでしょ。どうせこれから鏡やらサイド指示やら君たちの役割が始まるんだから、上級生の立場で気がついたことを指摘してあげる。」

「ハイ、どうも有り難う御座居ます。」


 *     *     *


「失礼します。綾瀬先輩は常時いつも其のお姿でいらっしゃいますか?」


 こう尋ねたのは、先輩が目の前で開襟シャツのボタンを外して脱ぎ、スーツのスカートも脱いで了ったからだ。中はスポーツ・ランニングにショートパンツ。


「ん? 此の時期はね。いつでも練習出来るように。」

「はぁ…。」

「ぼやぼやしてないで練習するわよ。」

「ハィ!」


 先輩を前に自主トレを始めたは良いが、


「まだ!」

「ハイィ!」

「手が上がってない!」

「ハイィ!」

「それじゃ指示が伝わらない!」

「ハイィ!」

「もうお終い?」

「イエェ!」

「ほら立って、座るのは早い!」

「…ハィイ!」

「どうした? 暖機運転は役に立たないの?」

「イエェ!」


「駄目、迷いがあってどうして観客指導になるの?」

「ハイィ、申し訳御座居ませんっ!」

「だ~か~ら~座るなって!」

「…ハイィ!」


「まだ応援歌終わってな~い!」

「……ァイィ!」

「はい、一番、二番、三番、通して元気よ~く! 聞こえない!」

「…ソリャァ~…」

「…拍~子、ソォーリャァ、ポン、ポン… だ~め駄目、全~然合ってない!」

「…イィ!」


「駿河、ど~した! 其処までか!」

「…イエェ!」

「立て、立~てっ! まだ一時間だぞ~!」

「ァイィ!」

「○○一番~! 遅い! それじゃ鏡の意味全然なし! 君要らないでしょ?!」

「失礼…シァシタァ!」

「ま~たサイン遅れた! ボケ~っとするな!」

「アイィ!」


「ほら、水呑んで。…。コラ、一気に呑んじゃ駄目! 少しずつ、何口にも分けて! そう…。」

「…ありがとぅ…ございぁす!」

「うなじと脇の下を冷やしなさい。直ぐにクールダウンするから。」

「ハイッ…っ!」

「短時間で息を整えて、身体を復活させられるように、バランスよく動きなさい。頭の中で自分の身体をよく見なさい!」

「ハイッッ!」


「ほら、後半戦いくよッ!」

「ハイーーーッ!」

「だから座るなって! 立~て、立てないか? 練習止める?」

「ィエエーッ!」

「立てッ! ち~か~ら、抜くな! 手抜き見え見えだ~わ~よ!」

「ハイ…。失礼…しぁーッス!」


「ほら、其様な調子じゃ合宿より前に沈没よ~! しゃが~むなっ!」

「…ァイイーッ!」

「君の本気は其様なもんか! おい、其様なもんか! 君は其様なもんか!」

「ィエーッ!」

「こら、縋るな! 立てッ! 自分で立~てッ!」

「…ィイーッ、失礼シァシタァーッ!」


「はい、カットバセ、カットバセ~、 腕上げろ! 力抜くな! みっともないぞ!」

「…ァイーッ!」

「寝るな、こら! 球場で寝る気か!? 立て! 立~て!」

「…! …イ!」


「ほら八回裏。そ~ら、ワーッショーイ…? もう声出ないか? 帰って良いぞ?」

「…ィエーッ!」

「九回、寝るな! 起きてるか~ッ! 駿河! 起きろ~ッ!」

「…、…、ァイーッ!」


「これで寝てたら、勝利の拍手の時はどうする! 其様なんで拍手出来るのッ!?」

「…ハイーッ!」

「返事だけしてんな! 身体動かせ! 行動で示せ! ホラ、示せヨッ!」

「…、…、…。」

「駿河ーッ!」

「…ァィーッ!」

「聞こえないよッ!」

「ハイッッ!」

「聞・こ・え・な・いっつってんのよ!!」

「ハイーーーーーッ!」


「最後の歌が其様な調子でどうする! 負けは次の試合の始まりなんだよ! 最後まで気を抜かないの!」

「ァイーッ!」


 と目の前で連続してやられ、崩れてはTシャツの襟首を掴まれて引き起こされ、目の前で返事をしては頬を平手で叩かれ、腕を振って拍手しては姿勢を崩して倒れ込み、返事だけで立ち上がれないとまた頬を叩かれ、Tシャツの襟首を掴まれて引き起こされ、正直、ボロボロになっていた。


 驚くべきは、先輩がリーダー同様に手振りでの指示をしながらも息が全く上がっていない、つまり、僕以上の運動量をこなしながらも、少しも姿勢を崩さずに指導を続けていることだった。

 一通り終わったところで、スーツのポケットに入っていたウェットティッシュで軽く汗を拭いて、もうスーツ姿に戻って涼しい顔をされている。中学の時にも新人と幹部の力の差に驚いたが、大学での其の差は、中学校でのそれとは比べものにならないほどだった。春の六大学野球リーグから七帝戦に至までの応援は、まだまだ入門編だったことを思い知らされた。


 *     *     *


「はい、今日のところはこれくらいで良いわ。」

「ハイ…、…どうも有り難う…御座居ました…。…、…、…。」

「どうしたの?」

「いえぇ、…どうも有り難う…御座居ました…。」

「キツかったんでしょ。」


 しゃがんだ先輩は、少し意地悪そうな微笑みと上目遣いで此方を見ている。


「…ハイ、…体力が…気力に従いてゆかず、…大変…失礼いたし…ました…。」

「そうね。まだ、慣らし運転で、多少お客さん扱いだったってことが分かった?」

「ハイ、…大きな…口を叩き…、…、大変…失礼…致しました…。」


「後輩だから特別に言ってあげるけど、新人としてはまあまあ鍛えられている方だと思う。」

「ハイ…、どうも有り難う…御座居ます…。」


「でも、リーダー責任者は、此の程度じゃ全然納得しないわよ。」

「ハイ、これに…懲りずに…精進…いた…します。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る