学部 七帝デヴュー (2)気を遣って貰っても嬉しくないし

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は漸く大学に合格した身。

 同窓の浪人女子「ソウシ」のおかげで何とか乗り越えた大学受験だが、入学後はすれ違い気味。

 学生時代三度目となる「応援」部に入部した駿河は過去の「貯金」も使いつつ、文武に何とかついていく日々だが。

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「…、あと駿河。連いて来い。」


 七帝戦が始まって三日目。風呂も此処まで入らないとそろそろ限界かな、という日に限って、所謂ハードなイメージで評判の、主幹校のリーダー責任者岸田さんに『買われ』た。


(ああ、今日も宿舎に帰って即爆睡か…。)


 周りを見回してみても、リーダー部員が多く、吹奏楽部、チア・リーダーでも酒豪と言われる人間で構成されている。


「見ろ、岸田決死隊が出発するぞ。」


 と誰かが揶揄するごとく、僕らは思い足どりながらも、何か一種の使命感を帯びた心地で歩き始めた。


 《人買い》は原則として、

 ・各大学別の人員構成が概ね均等になるように努めること

 ・リーダー、吹奏楽、チア・リーダー別の人員構成が概ね均等になるように努めること

 ・各学年別の人員構成が概ね均等になるように努めること

 ・学年別交流会を除き、最後まで必ず幹部が宿舎に送り届けること

 が不文律となっていた。最初の三つは努力目標、最後の一つが必須事項。


 先頭を歩くのは岸田さんと、同じく主幹校のチア・リーダー幹部の三枝さん。そして別の大学の副団長兼吹奏楽部長荘野さん。それに二年目、新人と続き、最後尾は準幹部(三年目)が脱落や迷惑行為のないように気を付けて行く。


「オイ、人が通れんだろうが、横に広がるな!」


 少しでも気を抜いて周囲を忘れると、最後尾の準幹部から怒鳴される。

 前方で幹部三人が何やら談笑している。今日の行き先を相談しているらしい。

 繁華街のネオンが夏の遅い夕暮れに映え始めた。これが目に滲むようになった頃、漸くご帰還となる。(ご帰還と言っても、男子宿舎は、殆どの場合、武道場の青畳の上に雑魚寝だった)。今日の長い長い夜の始まりだ。


 幸か不幸か、其の日は最初、銭湯に連れて行かれた。

(やった!)

 下級生の誰もが心で叫んだと思う。


「貴男達、もう三日目でしょ。そろそろお風呂に入りなさい。」


 三枝さんが一人一人に五百円札を渡している。


「上がったら、男女別に脱衣所で集合。良いか、気持ち良いからと言って湯当たりしないように気をつけろ。風邪をひくからな。程々だぞ。」

「どうも、ごっつぁんです。」


 僕らが『湯』の暖簾を潜るのと反対に幹部方は銭湯を後にした。

 しっかり洗い、身体の凝りを解して脱衣所に戻ると、主幹校の準幹部逸見さんが一人一人に新しいワイシャツと下着のセットを手渡して呉れた。


「幹部方からだ。」

「どうも、ごっつぁんです。」


 L・M・Sの三種類の違いだけでも一人一人の体型まで考えて購入するのは幹部ならではの気の遣い方だった。


「古い着衣は各自袋に入れて持参しろ。」

「はぃ!」


 外に出ると、幹部方が待っていた。


「どうも、ごっつぁんでした。」

「ああ。ゆっくり出来たか?」

「はぃ!」

「じゃあ、古いものを洗え。」


 今度は、銭湯の横のコインランドリーで洗濯。


「其の間に、茶でも飲みに行くか。」


 天国のような喫茶店。幹部方を前にして、緊張するとはいえ、甘い物の補給を欲していた身体に沁みわたるようなパフェ、アイスクリーム、ケーキの嵐。


「まだ食べられるでしょう?」


 これを通称甘い物極道という。流石に甘い物も三つめ四つめになると、しんどくなってくる。それでも前日までの疲れが癒えるのか身体は吸収していった。


「さ、クリーニングも出来た頃だろ。」

「どうも、ごっつあんでした。」


 支払をする幹部方より先に店を出て、出て来られた幹部方に礼をする。コインランドリーでは、逸見さんが鬼のような顔をして番をしていた。


「逸見!」

「押忍!」

「お前、女の子のモノをチョロマカシたりしてないだろうな?」

「押忍! 二、三枚ほど。」

「ハハ、分かった。分かった。無理してボケなくて良いから。」


 無事に乾いた衣類を、「汚れがついたら元も子もないからな。」と配られた新しい袋に入れる。


「どうも、ごっつぁんです。」

「今日は、河原で呑むぞ。」

「はいぃ。」


 気がつくと一人を残して逸見さんなどの準幹部が居ない。買い出しに走ったのだろう。河原に到着すると、レジャーシートが敷かれ、乾き物とアルコール、ソフトドリンクの類が並べられ、逸見さんたちが控えていた。


「おう、お疲れ。ご苦労さん。」

「押忍、どうもごっつぁんです。」


 逸見さんが釣り銭を岸田さんに戻している。


「じゃあ、まあ適当に座れ。」


 岸田さんの一声で、総勢十数名ほどが腰を下ろす。

 七帝戦の夜の部は、初日に対面コンパといって全体の懇親会が、大抵二日目と最終日に同回生コンパといって学年別の懇親会が、演舞・演奏会の日か最終日前日にリブラチア・コンパといって各部別の懇親会がある。リブラチアとは自由を騙ったような名称だが、何のことはないリーダーの《リ》、ブラスバンドの《ブラ》、チア・リーダーの《チア》と、頭文字をとっただけのものだ。それ以外の日は、成る可く学年の垣根を越えて話をするのが礼儀だった。


 自己紹介をして幹部の方の前に正座をし、お酌をして返杯を受けてお話しが始まる。


「おう、足崩して良いよ。」

「押忍、どうもごっつぁんです。」

「上着も良いよ。」

「押忍、どうもごっつぁんです。」


 上級生は下級生の愚痴を只管聞く。アドバイスがあれば適確に出す。酒を呑んで忘れた方が良いと思えば、酒を勧める。発散した方が良いと思えば、迷惑のかからない処で共に大声で歌う。役に立つ経験があれば余すことなく教える。

 辛さを補って余りあるだけの得るものがあった。

 応援に対する考え方、学生生活の過ごし方、将来の考え方、三年間の差でこれだけ成長するということは、それだけの経験を積んで来たということの証だということは言われずともはっきり分かった。


 応援の場でのみ『我が大学』という考え方こそあれ、懇親会では『我々の大学』という意識が当然のものだった。どの新人も全ての上級生の後輩であり、どの上級生も全ての下級生の先輩だった。


 *     *     *


 其の晩は、幹部周り(下級生全員が、その場の全員の幹部とお話をすること)が済んだところで、女子宿舎の門限時間が近づき、お披露喜となった。


 最後は、其の場に居る各大学の校歌・代表応援歌とエールで終わる。


「渚! タクシー三台、停めなさい。」

「ハイィ! 押忍、失礼します。押忍。」

「じゃ、岸田君、私は女の子たちを連れて帰るから、後は宜しく。」


 三枝さんが女子の準幹部渚さんにタクシーを停めさせている。


「おう、男どもは俺と荘野でまとめて行くから。」

「押忍、どうもごっつぁんでした。」


 最後にタクシーに乗り込む三枝さんに頭を下げ、僕らは岸田さんの前に並んだ。


「じゃ、帰るか。」

(へ?)

「河原づたいに歌いながら帰ろうや。」


 荘野さんが促す。

 七帝戦では、事前に各大学の校歌・代表応援歌、各大学に包括された旧制高校の寮歌くらいは覚えて来ている。其の他有名なものは応援をしている間に自然と覚えて了う。


「上着脱いで、平口(普通の話し方)で良いぞ。但し、両方とも宿舎到着までだ。忘れるなよ。」

「押忍、どうもごっつぁんです。」


 川沿いに吹く風が心地良かった。


「昨日、女子の宿舎じゃあ、寝言が凄かったらしいぞ。」

「あ、聞いた聞いた。『失礼します。』の三連呼だろ?」

「でも、毎日風呂に入って、冷房の効いた部屋で寝られるだけ良いよなぁ。」

「お前ら、俺から言わせれば疊の上にあがれるだけ幸福だって。」

「え、何ででしょう?」

「昨日な、遅く戻ったら、柔道場(宿舎)の玄関に△△大の幹部☆☆さんが豪快に寝ていらしてなぁ。」

「アハハ。」

「それがまた、丁度玄関いっぱいに横たわっていらっしゃるもので、畏れ多くて跨ぐに跨げず、下級生が其処で堰き止められて総討ち死に状態。」

「ああ、それで暫くの間、中が空いてたんですね。道理で寝やすいと思いました。」

「夜中に、見回りで岸田さんが見えて、『クラァ! ☆☆! お前、下級生が入れんで困っとるやないか、此のボケェ!』と起こして下さったので、何とかみんな畳の上で二時間の睡眠は確保出来たわ。」

「アハハ。」


 話も弾み、扇子で拍子をとりながら応援歌も何曲か歌い終わったところで、前を行く岸田さんがハンカチを出した瞬間、ポケットからノートを四つ折りした大きさくらいの紙片が落ちた。僕はそれを拾いあげ、岸田さんの元に届けた。


「失礼します。岸田先輩、只今、此の紙片を落とされました。」

「あ? おう、有り難う。…こりゃ不可んものを見られて了ったな。…まあ、三年後まで忘れとけ…。」

「ハイッ、有難うございます。失礼します。」


 岸田さんが落とした紙片には、広げずとも一目で分かるものが書かれていた。下級生が、これまでどの上級生と一緒にどのような行動をしてきたかを書き連ねた、所謂人買い記録のコピーだった。

 日によって天国が地獄に、地獄が天国に、また、鬼が仏にも、仏が鬼にも変化する《人買い》の実態は、小さな紙切れ一枚とはいえ、上級生が下級生の状態をきちんと把握していることで成り立っているものだった。

 幹部になればいずれ分かるものだったとしても、僕にとって偶然此の一枚の紙片を見たことが、其の後の三年間を耐える助けともなったのは事実だった。


 *     *     *


 そうして七帝戦が終わった。それまでの間は、流石にへとへとになり、手紙を書くどころでもなかった。寮の自室に戻ってみると、彼女ソウシからの手紙が四通ほど輪ゴムで留めて置かれていた。


(これは流石に不可まずいな…)


 僕は、直ぐに時間を作って、彼女を海に誘った。喜んで出て来た彼女だったけれど、もうお盆も過ぎた海の様子と同じように、会話は寂しかった。


「大学、忙しい?」

「此の通りだなぁ…。」

「私はヒマでヒマで…。」

「ごめんな、放ったらかしで。」

「ううん。別に気を遣って貰っても嬉しくないし。」


 話の接ぎ穂がない、ということにこれほどの苦痛を感じたことは無かった。

 大学に進学する前までの互いの気持ちが、嘘のように通じなくなっていた。

 そして、それをどうこう出来る方法が見付かるでもなく、其の後も手紙を出しては受け取り、受け取っては返事を書き、を繰り返していた。

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