学部 七帝デヴュー  (1)ロシアン・ルーレット

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は漸く大学に合格した身。

 同窓の浪人女子「ソウシ」のおかげで何とか乗り越えた大学受験だが、入学後はすれ違い気味。

 一方、学生時代三度目となる「応援」部に入部した駿河は、「綾瀬」先輩に早々に懐き始める。

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 大学の応援部で、先ず大変だと感じたのは其の練習内容よりも活動範囲の広さだった。

 練習内容は「基礎体力」と「持久力」の充実で、中学、高校の延長線上にあることは間違いなかった。


 一方、活動の範囲は、中学、高校の比ではない。春と夏の六大学野球(硬式野球)に、準硬式野球リーグ、アメリカンフットボール、アイスホッケー、サッカー、ラグビー、ヨット、ボート等々、凡そ運動部の試合で応援可能なものには全て出向く。楽器や太鼓は使えなくても声援のみでも出向く。それでも駄目なら壮行会だけでも開催する。さらに日頃の懇親会、打ち上げ、ルールの勉強会まで含めると、練習は週三日でも、実質毎日、一日中何かしらの活動や仕事があった。


 新人は、練習後ばかりに限らず、ほぼ毎日、夕食は誰かしら上級生にご馳走になれた。自分が上級生になったとき、それは下級生に還元される訳で、早い話が立替払いされているだけだが、アルバイトをする暇もない新人にとって食費が殆ど生じないのは有り難いことだった。


 大学の応援団体というと、上下関係の厳しさや、シゴキ、飲酒の強要のイメージがまだまだ抜けきれない面もあったが、幸か不幸か、僕が居た限りでは、理屈で必要と考えられる、あるいは儀礼上、付き合い上で最低限のお約束を超えるようなものはなかった。

 辞めようと思えばいつでも辞められた(実際、いつの間にか居なくなっている団員も居た)し、「何の役に立つんだ」というような練習も無かった。上級生も個人的なことは下級生に依頼しなかったし、あくまで団の活動としての上下関係に限っての厳しさだけだった。


 今、振り返ってみても、応援団体に厳しい面、辛い面があるのは、活動の内容から考えても、ある程度仕方のないことだと思う。長い試合の間中、試合をしている選手を励ます観客のリードをする。観客が居なければ自分で励ますこととリードの双方をする。それらは、少なくとも自分自身の気持ちの上では選手の活動を上回るものでなければ務まらない。だって、選手が『駄目かも知れない』と一瞬でも思う気持ちに『いやいや其様なことはない、お前なら出来る』と天使の(?)の囁きをするのだから。


 そういう活動上の厳しい面、辛い面が有りながらも、辞めずに、猶も活動を続けていけるのは、自分自身の達成感は勿論のこととして、中学での応援団でも少なからず感じた仲間としての繋がりと、上級生と下級生の『個人を個人として見遣る心』あってのことだった。


 近代的な応援団体は、非常に《組織的》な側面を持っている。それは多くの観客を効果的かつ楽しく応援に導くためにリーダー、ブラスバンド、チア・リーダーが細かく仕事を分担し、其の仕事を確実にこなす、という所謂「歯車」としての役割である。

 一方で、其の歯車に潤滑油を差すのが『個人を個人として見やる心』である。自分が単なる歯車でしかないと感じたならば、抜けた(辞めた)ところで代替品など幾らでもある、という感情が先走り、辛さに耐えきれずに辞めて了う、当たり前のことだ。

『これが出来るのは自分しか居ない』ということを他人から感じ、自分自身でも感じられてこそ、初めて其処に踏み留まることが出来る。其のための方法は、半分は上級生・同級生・下級生との接点から、半分は自分自身との自問自答から得るものだった。


 *     *     *


 新人で入団して初めての大きな活動は六大学野球だった。これは中学・高校の延長線上にあるもので、其の応援団なりの応援の仕方を学んでいけば、残りは体力、気力勝負の連続だった。また、一年のうちに何回か行われる演舞会についても、日頃の練習の成果を発表する場として考えると、無理なく突入していけるものではあった。各種部活との懇親会についても、高校までのそれにアルコールが入ったものと思えば他の変化はなし。

 ただ、一つだけ中学・高校とスケールが大きく違ったもの、それが七帝戦だった。

 七帝戦とは俗称で、当時の正式な名称は「国立七大学総合体育大会」。此の「国立七大学」を構成するのが、北から西へ北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学。戦後に国外となった旧京城帝国大学と旧台北帝国大学以外、日本本土の旧帝国大学間で行われる運動各部の総合定期戦だ。

《真のアマチュアリズムの追求》というスポーツ的な趣旨がある中で、これら七つの旧帝国大学の学生が主に夏休みの期間を利用して一つの地域に集まり、競技を通して交流を深めることも目的だった。開催地域は、参加大学の持ち回りで、全国を巡回し、全大学の総長も臨席する開会式を挟んだ期間には全大学の応援団も一週間ほどの日程で滞在し、泊まりがけの応援を行う。

 此の七帝戦は、応援団にとって、『期間が長い』、『二十四時間ノンストップ』で行われることから、《イベントの規模》としては六大学野球に次ぐものだった。

 集合日のエール交換(対面式)・懇親会(対面コンパ)に始まり、市中パレード、開会式、演舞会、演奏会とイベントが続く。其の合間に可能な限り、試合の応援に駆けつける。

 其の応援の場で興味深く感じたことが一つあった。当時、チアの部員たちは目が悪い子ならコンタクトレンズにしていたのだが、リーダー部ではコンタクトレンズのケアに時間を取れない。忙しいか忙しくないかではなく、男女の几帳面さの違いだった。下級生は地元での応援ならば眼鏡をかけて眼鏡バンドという姿が多かったが、遠征で泊まりがけとなると、もう眼鏡を無くす怖さの方が先立って、眼鏡は荷物の奥底に、ということの方が多かった。しかし、幹部ともなれば試合経過や全体の動向に目を配らなければならない。だからといってコンタクトレンズのケアにかける時間が勿体ない。するとどうなるか、試合で大きな流れがありそうな局面が来ると、ほぼ例外なく、幹部が眼鏡をかける。そして、試合が落ち着くとまた眼鏡を外す。それがまるでクイズ番組に出ている女優のように、見られることが恥ずかしいかの如く、そそくさとかけたり外したりしているのが実に奇妙な光景だった。

 七帝以外の応援では、こういった光景を目にしたことは殆どなかった。所謂「他人」との接点という「遠慮」が眼鏡に対しても緊張感を持たせていたのだろう。元々『旧帝国大学』という無形の帰属意識、それに加えて学生服のボタンも全く同じで、違うのは襟の徽章だけ。また一週間寝食を共にして、二十四時間顔を突き合わせるイベントを毎年重ねて幹部となっているのだから、各大学の応援団同士の心の垣根は低い。謂わば仲間同士である。


 夕方、其の日の応援が全て終了すれば、全大学の応援団・応援部が集合し、渉外会議で反省会が行われた後、解散となる。と同時に《人買い》と呼ばれる儀式が始まる。聞こえは悪いが、上級生が下級生をピックアップし、食事と懇親会に連れて行く。主に幹部の意向で「お前とお前、あとお前、ん~、お前もだ。他は勝手について来い。」と指名されるので《人買い》と呼ばれる。中には『解散』の声と同時にダッシュし、ハードな飲食がメインと噂される上級生を避けて、比較的ソフトなイメージのお目当ての上級生にピッタリと寄り添う狡猾な下級生も居たり、《修業》と称して一週間ハードな上級生だけを渡り歩く強者の下級生も居たり、夕方のキャンパスには鳥渡した悲喜こもごもの情景が繰り広げられる。


 開催地にもよるが、大抵繁華街から歩いて帰れる場所に宿舎を設定しているため、大体午後六時から日付が変わる頃まで、数時間の『夜の部』が始まる。最後まで《連れ子》として《お供》する者も居れば、途中にすれ違った他の上級生との間で《トレード》される者も居る。最初に穏やかな上級生に付けたからと言って、最後まで穏やかに過ごせるとは限らない。また、見た目許りで判断しても、我が身を危うい状況に落としかねない。下級生には下級生同士の情報の交換があった。

 そして、当然のことながら、未成年はアルコールは《非対応》である。《乾杯で口をつける》程度は別として、懇親の席上、ずっとソフト・ドリンクでお付き合いをする。一定量までの場合、アルコールよりもソフト・ドリンクの方が余程きつい。いくら夏だと言っても水分の吸収には限界があるから、腹がだぼだぼになる許りだ。それにはそれの智恵があり、排出の早いアイス・ティー、アイス・コーヒー系ならば飲んだ傍から不要な水分はスムースに排出されていく。しかし、店内ではなく、トイレも無いような屋外での宴席となると、此の手も善し悪しだった。

 内容も飲食許りとは限らず、『電車がないな、歩いて帰るぞ』と数駅先までの十km弱の道のりを歩いて帰る上級生(「歩きごっつぁん」)、『飽きただろ、花火でもするか』と学生服を前後ろ反対に着込んで顔を隠し、自らが的となって左右に動くのを下級生にロケット花火で狙い打ちさせて呉れる上級生(「花火ごっつぁん」)、『もう食事も酒もいっぱいだろ』とシャワー、着替え、映画、喫茶店、そしてお話一辺倒という夢のようなフルコースを案内して呉れる上級生(「インテリごっつぁん」)等々、様々なタイプがあった。

 其のタイプも、上級生個人によって固定されているかといえば、さにあらずで、昨日インテリごっつあんだったと聞いた上級生に連いて行ったところ、其の日は朝まで延々酒浸りだったり、昨日は歩きごっつぁんだった上級生が今日はお風呂ごっつぁんだったりと、下級生にとっても、宝くじのかロシアン・ルーレットのような気の抜けないものだった。

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