第3話 美しかった少年

夏だとしてもこんな時間に服を着たまま、それも真っすぐに海の中に入って行く少年を不思議に思う。一瞬悩んだが、どこからか嫌な予感がした私は少年に向かって叫んだ。


「何してるんですかー!」

大きな声で叫んでみても少年は振り向かなかった。どんどん海の中へと入って行く。

ジャバジャバという音と共に足取りが重くなっているのを視覚的に感じる。

「ちょっと!なにしてんの!」

聞こえているはずなのに彼は止まらなかった。


私は言うより先に彼の方へと動き出していた。

走りにくい。手の形をした手が私の脚を掴んでいるかのように走れない。私も少年の入水地点付近から海の中へと入り、少年を追いかけた。海水も足を掴んでくる。少年の姿が見えない。まさか沈んだのかと潜って探す。


「ねぇ!」

感情に任せて出る声は何度も裏返り、掠れた。

見つけた。

少年の白い腕は魔時の海の中でひと際目立っていた。少年を追いかける。


その腕を掴んだとき、消えそうな少年は幻ではなく実在している人間であることを実感した。掴んだ腕を思い切り、上にあげ、彼の体を抱える。夏と言えど、冷たい海の中で長時間いるのは正直辛くないと言えば噓になる。だが私は長い間少年の顔を見つめていた。少年の顔は時間という概念を忘れさせるほどに美しかった。簡単に言えば塩顔俳優と言われてすぐに浮かぶような顔立ち。全く荒れていない肌に、夕日の欠片の光が先に刺さった長い睫毛、すっと高い鼻に薄桃色の唇。それを際立たせている銀髪は絡まりの一つなく艶に身を纏われていた。意識を飲み込まれてしまいそうなその顔立ちからハッとして離れた。


「なんで……」

漏れてしまった声に彼の目が徐々に開いた。

「海の中に……入っていったのか……?」

「……そう」

水が入ってきて上手に喋れなかった。それは彼も同じはずなのになぜか彼の方が淡々と話しているのが気になった。魔時の空気に紛れて消えてしまいそうなその少年を少ない力で抱きかかえて砂浜へと向かった。後ろから迫る波と空気も通さない重い水に足を取られる。波が来ないギリギリの位置まで来たあと、私は感情に任せて言葉を吐き出した。


「なんで……なんで海なんかに……!」

少年は口を開かなかった。ずっと下を向いている。髪からは水が滴り落ちていた。

「……別に関係ないでしょ」

開いた口から出てきたのは言葉ではなかった。

「答えて」

彼は再び黙り、お互い息が整いだした頃に口を開いた。

「死んでみようかなって」


やっと整いだした息を飲み込む。数秒間、それを吐き出して吸う動作を忘れた。

「何があったの」

「特に。いつもと何も変わらない日常を過ごしてて、その中でふと死にたいと思って海の中に入った。で、君に助けられた。」

「馬鹿なの?」

彼を美しいと思った事を後悔するほどに憤りの感情が心の中を埋めた。


「馬鹿を助けるほど君は暇だったわけだ」

「助けてもらってその態度はなんなわけ?」

「偽善な行動にお礼も何もないよ。それに僕だからまだ良かったけど本気で死のうとしてる人に馬鹿って言っちゃいけないよ」

少年は立ち上がり、私がきた方とは反対方向へと歩いて行った。その足取りはぎこちなかった。

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