渋谷~駒沢大学

 工事中の大橋ジャンクションの脇を抜け、自転車は夜の街を走った。

 市ケ谷を出てからすでに一時間以上が経っていた。坂道で歩いたり、二人乗りだから加速が遅かったり、思ったより時間がかかっていた。そして先ほどから私の胃は空腹を訴えていた。

「不便なものですね、有機生命体というものは。これほど頻繁に捕食が必要とは」

 彼女も先ほどから空腹を感じているようだった。摂食ではなく捕食と言ったのはわざとだろうか。

「どっかにファミレスでもあるといいんだけど」

 池尻大橋の街は繁華街というよりオフィス街で、なかなか飲食店が見当たらない。たまに明かりの灯る看板が見えても、なぜかバーばかりだった。

 三宿の辺りまで来てようやく食事のできそうな店も出てきたが、高級ハンバーガーだったり渋い蕎麦屋だったり、高校生や浪人生の夕食としては相応しくない気がした。いかにも高そうだし、私の胃袋を満たすには量も足りなさそうだった。

 そもそも自転車を止める場所もなかった。駐輪場や駐車場のあるファミレスは、多摩川を越えないとないのだろうか?

「ちなみになんか食べたいものとかあったりする?」

 一応尋ねてみる。フレンチとか言われても困るし、逆にマックと言われても微妙だが、考えてみれば彼女の意見も考慮するのが妥当ではあるだろう。

「そうですね……」

 彼女はしばらく考えて言った。

「サイゼリヤというところに行ってみたいです」

「サイゼリヤか……」

 これはまた、妙な答えが返ってきた。

「知りませんか?」

「いや、サイゼリヤぐらい知ってるけどさ」

 サイゼリヤ。通称サイゼ。サイゼリ「ア」ではない。数あるファミレスの中でもトップクラスの低価格を誇る、イタリアン風レストラン。そこにあえて女の子を連れて行き、反応を見るという話が出てきたのはもっと最近のことで、この頃はまだ、デートに使ってはいけない店という話しかなかったはずだ。

 けれどそもそも普通に考えたらサイゼリヤに限らず、デートでファミレスになんて行かないだろう。ファミレスは子供連れのファミリーのための店だ。高度成長期ならそれも立派な外食だったかもしれないが、今となってはどちらかと言えば消去法で選ぶ場所だ。子供を歓迎してくれるレストランが他にないから。子供自身が行きたがるから。一人で安く食事をする場所が他にないから。学生グループでお金をかけずにダベりたいから。

「ミラノ風ドリアというのが食べてみたいです」

「あれは美味いよね」

 まあ、気心の知れた恋人同士、たまにはそういうものが食べたくなって行くこともあるかもしれない。ケースバイケースだ。

「けどそう都合よくサイゼがあるかな?」

「他のファミレスでも大丈夫です。必要なカロリーと栄養素を摂取できれば良いので」

「了解。どっかにはファミレスぐらいあるだろ」

 無事意見は一致し、自転車はまだ見ぬファミレスを目指して進む。私たちの目的はデートではない。銀河政府へのレポートを携えた彼女を、夜明けまでに相模湾に移送しなくてはならないのだ。少なくとも名目上はそういうことになっている。

 話をしている間に歩道には人が増えてきていた。三軒茶屋の繁華街に近づいてきているのだろう。私は再び自転車を車道に出した。


 三軒茶屋の駅前にファミレスっぽいパスタ屋はあったものの、駐輪場もなく、歩道は酔っているらしく大声で話している学生風のグループや、ギターケースなどを背負ったバンドマンの集団でごった返していた。ひとつのバンドにしては人数が多すぎる。どこかで対バンでもしていたのだろうか。果たしてそこをファミレスと言っていいのかも分からなかったし、信号でも停まらなかったので、なんとなく素通りしてしまった。

 高架を挟んで通りの反対側にガストの看板がチラリと見えた。駐輪場はあるだろうか? しかし高架の下は中央分離帯だし、次の信号も青だった。

「反対側にガストあったけど……」

 言っている間に信号を過ぎてしまう。

「戻る?」

「んー、そうですね……」

「まあ、そのうちこっち側にもファミレスぐらいあるんじゃない?」

 彼女があまり気乗りしない様子だったので、私はペダルを漕ぎ続ける。

 しかしその後ファミレスらしき店はなく、自転車は三軒茶屋の駅前からどんどん離れてしまった。


 そんなわけで私たちがたどり着いたのは、結局駒沢大学近くのサイゼリヤだった。自転車は近くの歩道に何台か停まっていたので、そこに並べた。

「やはりサイゼリヤが一番ですよ。これはもう運命です」

 受胎告知の絵の前の席で、彼女はそう言いながらテーブル脇のメニューを取り出した。

「でも、デートだったら来なくない?」

「そうですね……。この星の肉食哺乳類は、メスが子育てし、オスが狩りをするという分業を基本としています。もちろんライオンなど例外もありますが、胎内で子を育てるという生存戦略を採用している都合上、その方が合理的なんですよ。そうするとメスが繁殖相手を選ぶ基準は、食料獲得能力が高いことが最優先となります。現代では経済力が食料獲得能力とニアリーイコールですから、デートでは高いお店の方がオスにとってアピールに有利で、コスパが良いということになります」

 単純明快な理屈だが、改めて聞くと人類も所詮哺乳類の一種に過ぎないという気がしてくる。

「もちろん繁殖相手を見定めた後はその限りではないでしょう。必要な栄養価を効率的に摂取すべきです」

「そうだろうね」

 あまり食事に効率を求めるというのも味気ない話だったが、まずは議論より空腹を満たしたかった。

「えーと、何頼む?」

 私はメニューを開き、彼女に向けた。

「ミラノ風ドリアがいいんだっけ?」

「はい。卵を乗せて、あと小エビのサラダと、ピザも取り分けませんか?」

 向けられたメニューをめくることなく、彼女はすらすらと答えた。

「結構食べるね」

「夜は長いですから」

「っていうか、メニュー知ってるんだ?」

「それはインプットされています。現代日本で活動するうえで必須の知識ですから」

 ずいぶんと都合のいい話だった。


 時刻は確か夜の一〇時近かったはずだが、サイゼリヤはそこそこ混んでいた。子供は寝る時間だと思うが、少し離れた席から子供のはしゃぐ声も聞こえてくる。隣の席では外国人らしい男性が二人、四人掛けの席に隣り合わせで座り、英語で話している。そういうカップルもいるのだろう。様々な声と音が混ざり合い、意味を為さない喧騒となる。

「なるほど、これがミラノ風ドリアですか。確かにこの値段で食べられるならお得ですね。繁殖相手を見定めた後ならこれで充分ですよ。繁殖相手を見定めた後なら」

 彼女は満足げにドリアを食べ、サラダとピザを食べ、ドリンクバーの野菜ミックスジュースを飲んだ。

「コーヒーフレッシュとレモン汁とガムシロップと水を混ぜるとカルピスの味になるらしいですよ。ドリンクバーはいらなかったかもしれません」

 ずいぶんと安っぽい宇宙人だ。厳密には人工生命体であって宇宙人ではないのだけれど、同じようなものだろう。それにしても、もしかして彼女はかなりの貧困家庭の生まれなのだろうか。あるいは逆にものすごいお嬢様で、今までサイゼリヤに来たことがなかったとか?

「ちなみに今、どれぐらい来たんですかね? 相模湾まであとどれぐらいですか?」

「うーん、どうだろう? まだ東京も出てないからね……」

 思ったよりも進みは遅かった。とはいえ、夜明けまではまだ七時間以上もある。

「そういや、なんで夜明けまでに行かなきゃならないんだっけ?」

「探査船の都合です。あんまり人が多いといろいろと面倒なので……」

 彼女は曖昧に言葉を濁した。元々が出鱈目なのだから、さすがの彼女も合理的な設定を思いつかなかったのかもしれない。それについて私はそれ以上追及しなかった。

「まあいいじゃないですか、そんなことは。夜の旅を楽しみましょう」

 周囲から見ればきっと、私たちは高校生か大学生の初々しいカップルに見えたに違いない。

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