転機天弓⑵



「うわああああ!?」



 身体が、浮いている。

 空を、飛んでいる。


 背中に白い翼を生やしたニケの手をしっかりと掴むのと、叫ぶので精一杯だった。



「……お、やっぱり霊園でしたか。この時間はそうですね。お祈りの時間ですから、さっさと報告して陛下には布団に入ってもらいましょう!エドワード、良いですか?」


「うわああああええええ!?あの、なんでオレもあんたも飛んでえええ!?あと、あんた翼が生えてえええ!?」


「あんた、じゃなくて。私はニケです。……ああ、自己紹介をしたことがなかったですね。改めまして、私はニケ。ニケ・ペトラムです。陛下の身の回りの世話係、秘書みたいなものです。……そして能力はこれ。翼が生えて、空を飛ぶ能力です」


「──今のエドワードと同じように、この村の人は私を怖がります。魔物が身近な存在であるギルディアの民にとっては、人のカタチをしていない者は差別の対象なんです」


「──もちろん、能力さえ使用しなければ私はただの人になれるのですが、こんな単純な能力でも、制御ができなかったんです。それで、悪魔憑きと恐れられ、自暴自棄になっていたところを陛下に救っていただいたんです。私が人に心を開けるようになるまで、陛下は毎日私のもとにきてくださった。そういう……返しきれない恩がある。今では能力の制御もできる様になりましたから、きっとエドワードも大丈夫です」


「──さて、せっかく気持ちのいい青空ですが、魔物と間違われて『アザレア』の狙撃手に撃ち落とされては敵いません。陛下の元へ、降りますよ!」



 ニケは一度その白い翼をたたんで、青空の中に身を委ねるようにしていた。

 一方、オレはニケのカミングアウトにも、自分が未だ空の中にいることにも対応ができず、ただただ慌てていた。しかし、着地地点である霊園から、ニケとオレに向かって手を振っている人物の存在に気がつくと、オレにとって大きすぎる存在に対する緊張の方が高まっていった。


 まもなく、霊園が近づいてくると、ニケは再び翼を広げて落下速度を落とし、オレとともに無事着地した。

 着地後、地上に足がついていることに対してオレがほっとするのは束の間で、続いては目の前で二人を見つめながら微笑んでいるシャンドレット王の存在に、鼓動を乱されていた。



「お帰りなさい、ニケさん。それとエドワードも、お久しぶりですね。少し痩せましたか?……あまり無理をしてはいけません……いや、貴方に無理をさせたのは僕なのですが」


「ただいま戻りました、陛下。王家職員試験は滞りなく終わりました。現在はエドワードを除く受験者の採点作業中です。……あ、ほら。エドワード。陛下にきちんとご挨拶をしてくださいねッ!」



 ニケはオレの頭を鷲掴みにし、強引に下げさせた。

 強引さに押されオレは頭を下げ、それからさらに地面に両膝を付き、両手を付き、地面に額を付ける勢いで深く深く礼をした。


 間も無く、シャンドレット王はオレの背丈に合わせる様にして、その場にしゃがみ込んだ。



「……お、王様!こ、この度はこんなオレなんかのために、色々と手を尽くしてもらって……。それなのに、オレ、あなた様になんと言った良いのかもわからなくて」


「──あの裁判のあとで、倒れてしまったあと、あなた様のことを聞いても誰も教えてくれなくて、オレ、すごく心配で……今日、またお会いすることができて、お元気そうで、本当……よかった」


「……エド。顔をあげてください。ご心配をおかけしてすみませんでした。僕はこのとおり、大丈夫ですよ。貴方が僕を心配してくれる一方、僕も貴方のことが心配でした。だから、どうか今一度、そのお顔を僕に見せていただけませんか」



 頭を下げ続けるオレの顔にシャンドレット王が触れる。


 今日もまた、ひどく冷たい手。その手が頬に触れるとざらざらとしている。

 オレが顔をあげて、その手を横目で見てみると、その手は皺だらけであった。


 元気そうだ、なんて言ったことを後悔した。手は冷たいし、皺だらけで、顔の目元には隈ができている。そして冬晴れの冷たく爽やかに感じられる風が軽く吹いただけで、身震いをしていた。



「陛下、いつからここに?まさか、私が試験監督をしている間ずっとですか?……見たところ、人をつけていないようですし、また勝手に……」



 ニケが低い声で問う。

 一方シャンドレット王は、「今日は大切な日ですから」と特に悪びれる様子なく答えた。



「ニケさんと一緒に──それもあのニケさんが翼を広げて真っ先に飛んできたと言うことは、王家職員採用試験に合格されたということですよね。おめでとう、エド。これはとても素晴らしいことですよ」


「──ですから、もっと顔をあげて。前を向いて。残念ながらこれからも様々な困難が貴方に立ちはだかるでしょうけれど、どうか折れることなく──困った時は僕やニケさん、他の王家職員の皆さんと共に、このギルディアの未来のために進んでいきましょう。ああ、そうだ、二人ともこちらへ来てください!」



 シャンドレット王は、ぽんっとオレの肩を叩いて言った。

 それから立ち上がってスタスタと、どこかに向かって歩いていく。



「陛下!あまり歩き回ると転びますよ!……ほら、エドワード。多分あの人の身体は完全に冷え切ってて、すぐ足もつれさせて転ぶから、先に行って支えてやってください。私は羽をしまわないと。一度広げると無駄に大きくてしまうのが大変で……」


「……は、はい!王様……えっと、陛下!待ってください!」



 オレは立ち上がり、先を行くシャンドレット王を追いかけた。歩くスピードは速くはなく、むしろ遅いくらい。

 すぐにシャンドレット王に追いつくと、オレはすぐさまその身体を支えた。

 ニケの言うとおり、シャンドレット王の身体は冷え切っていた。身体に触れ、身体を支えて初めて分かったのは、強い風が吹けば飛んでいってしまいそうなその軽さと、華奢な身体つき。



「どうもありがとう、ごめんね」


「……無理は、しないでください」


「ん、ニケさんは?……ああ、翼をしまっているのですね。彼女の翼、ふわふわで柔らかくて、息を飲むほど美しくて僕は大好きなのですが……あんまり見せてくれないんですよ。だから、今日見せてもらえたのは幸運でしたね」


「……オレはさっき、あの翼に驚いてしまいました。まだ、謝れてなくて」


「驚くのは仕方のないことです。……大事なのはその後どうするか、ですから。ニケさんは怒ると本当に怖いですが、優しい人です。だから、これから彼女とよく話していけばきっと大丈夫ですよ。まだまだ、始まったばかりですから」



 そう言うと、シャンドレット王は足を止めた。

 そして、まっすぐ指差し「ほら、見てください」と言った。


 翼をしまい終えたらしいニケもオレ達に追いつき、3人でシャンドレット王が指差す方を見つめた。

 霊園は、人々が暮らす住宅街から少し登ったところにある。シャンドレット王が「ついてきてほしい」と案内した場所、霊園にある展望台で、その場所からはギルディアの村が一望できた。


 王宮、『アザレア』の建物、中央広場──

 どの場所にも行く人が居て、生活をしている様子が窺えた。



「今日も、平穏でなによりです。これもひとえに、王家職員の皆さん、『アザレア』の皆さん……そして、民のおかげです。しかし、今日はもう一つ良いものが見えますね」



 シャンドレット王がさらに指を差した先──

 青天に、大きな虹がかかっていた。



「わあ、虹!反対向いて飛んだから気がつきませんでしたよ。良いですね、また空を飛びたくなります!」


「ええ、とても幸先が良いです。天弓は良い方向への転機を象徴しています。"転機天弓"──エドワードの新たな人生の始まりに相応しいです」



 ──エドワード。貴方の努力と強さは、今日この場にて、この青天(あおぞら)が証明をしてくれました。


 ──その青天と同じ色の瞳を持つ貴方よ、どうかこの先も、健やかで在らんことを。この虹と空に願いましょう。


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