転機天弓⑴
思いもよらない彼女の行動に呆気に取られていると、突然ぞくりと悪寒を感じた。
「エ〜ドワ〜ド〜??」
地の底から這い出てきた亡者のように低い声が隣から聞こえて、オレは思わず声のした方向を見た。
刹那──
ゴン、と重い一撃がオレに襲いかかった。鬼の形相をした付き人が、手に拳を作りオレの頭にぐりぐりと継続的に攻撃を加えていた。
「い、いて、いててて!?」
「貴方はなんってことを、なんって人に向かって言ってるんですか!?自分の立場わぁかってますかぁ!?……何やら事情があるようですが、でも貴方は罪人で!それでも陛下の慈悲を受けて!試験に合格するまで執行猶予という身分なのに!」
「──『アザレア』最高責任者の秘書に向かって、あんな暴言って!ようやくまともに自分の意見を喋ったと思ったら、最低、最悪な、言葉遣いで!ああ、もう〜〜〜〜ッ!!」
「う、ぐぐ……す、すみません、すみません!も、もうしません、きをつけます!ゆ、許してくださ……」
付き人のゲンコツを食らいながら、そんなふうに謝罪の言葉を10つくらい連続で並べて言うと、ようやく願いが届いたのか、ふっと頭の痛みが治った。
付き人の怒りが収まったのかと恐る恐る彼女の顔を見上げると、彼女は相変わらず顔を顰めていたが、間も無くニッと歯を見せて笑った。
「でも、よく言いましたね。……ふふ、正直、私も『アザレア』の連中は、陛下の優しさの上にあぐらかいてるくせに偉っそうなところは好きませんので。貴方が思いっきり言ってくれてスッキリしました。どうもありがとう」
「……え、あ。どういたしまして」
それから付き人は「ふんふーん」と軽く鼻歌を歌い、その場で踊るようにくるくると回った。くるくると回りながら、オレの向かいの席へと移動をし、そこでぴたりと止まった。
「……あの秘書の人、採点していかず、エドワードも放ったままですけど、後で上に怒られたりしないのかしら。まあ"これ以上関わらない"という約束を守るためには仕方がないとして」
「……試験の採点とかは、どうなるんですか?」
「採点?もちろんやるに決まってるじゃないですか。『アザレア』は貴方から手を引くようですが、それは罪人の貴方が野放しになったってだけですし」
「……言い方。ちょっとひどくないですか」
「エドワードの口汚さよりはマシです。仮に王家職員となった場合はまずその口から綺麗にしてあげますからね」
そう言うと付き人は椅子に座った。
机の上に放置された問題冊子と解答用紙をそれぞれ交互に見比べて、オレのものであることを確認している。そして、確認を終えると付き人はまたオレの方へ向き直り言った。
「……罪人エドワード。貴方は執行猶予という形でこの2年間、陛下の慈悲に応えるために様々努力をしたと思います。その努力の成果が、この試験にたくさん詰まっていることでしょう」
「──シャンドレット王陛下が貴方に課した課題は試験に合格することです。先ほどのように『アザレア』が手放そうとそれは変わりません。合格できなければ、私は貴方を連れて『アザレア』に向かい、王家職員として相応しくなかったと申し出、その後のことは『アザレア』に任せるつもりでいます」
「──厳しいようですが、これが陛下の御意志です。どんな結果であろうと、その意志に従えますね?」
付き人の言葉を受け、オレは答えた。
「……わかってます」
「では、採点を開始しますので、そこで静かに待機していてください」
こうして、またしばらく静寂が訪れる。
付き人が採点のためにペンを走らせる音だけがやけに響いて聞こえていた。
そして採点開始から20分、30分……と経過し、ペンが走る音の心地よさと今までの勉強疲れによって、オレの意識がうつらうつらし始めた頃、付き人がペンを置いた。その音でオレはハッとなって、付き人の方を見つめると、彼女は暗い顔をしていた。
ダメだったのか。手応えはあったと思ったが。
そんなことを考えていると、付き人が口を開いた。
「……400点満点の試験で、8割取れていれば合格です。エドワード、貴方の得点は382点でした。素晴らしい結果です。ですが……」
結果は合格点以上であった。
すなわち、王家職員採用試験合格ということで、晴れて青空に、オレは犯した過ちの償いをしてみせたのであった。しかし、付き人の表情が暗いために、いまいちその喜びを表現できない。
「……ですが、って何か足りないことが?」
「私、380点だったのに、越されたじゃん。これからどうやって、貴方に先輩ヅラをしたら良いんでしょうかぁ!!」
「え、えぇ……」
「あ、いや!勉強が全てではありません!王家職員としては様々な力が求められますからね!その点、私の方が先輩です。うん!──ともかく、エドワード!いきましょう!」
数秒の間に落ち込んで、立ち直り……付き人は突然立ち上がった。それから、オレの手荷物を勝手に持って、オレの手を引いて、走り出した。
部屋を飛び出て、廊下を走り、階段を上へ上へと登っていく。
「え!?あ、ちょっと、どこに、行くんですか!?」
「当然、陛下にご報告に行くに決まってるじゃないですか!」
「そ、そりゃわかるけど、なんで階段登って!?出口は一階では!?」
「私の場合、上なのです。それに、今朝は陛下の体調が良かったので、まずは陛下を探しに出る必要があるんです!」
「い、意味がよくわからない……!」
「まあ、この私、偉大なるシャンドレット王陛下の付き人である"ニケ先輩"に任せておきなさい、エドワード!掴まって!」
気がつけば、オレと王の付き人ニケさんは、試験会場の屋上へ出ていた。
ニケはオレの手を引きながら、走るスピードを落とさずズンズンと前へ突き進んだ。
しかし、二人の目の前は試験会場の建物の屋根の終わりで、屋根の終わりには転落防止のため低い柵が設置されているものの、オレの嫌な予感を抑えるには頼りなさすぎた。
「……え、あれ!?ちょ、ちょっと待て!まさかこのまま飛ぶとか言いませんよね!?」
「そのまさかです!ギルディアの空がこんなにも、こんなにも晴れ渡っているのです!飛ばなきゃ損です!さあ、手すりを飛び越えますよ!1、2──」
掛け声と共に、ふわりと、白い羽根が舞う。
その光景をいつか見た気がしたが──
同時に足が浮き上がる感覚がして、それどころではなかった。
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