後編

ハルの陽気



 ユリヌ校長の進言どおり、オレは再びEクラスの教室にて勉学に励むこととなった

 とはいえ、魔物を逃すために開けられた壁の穴が修繕されていないため、1ヶ月間はDクラスと合同で座学の授業が行われた。


 そして収束後、しばらくして──新任教師の笹野の授業方針が独善的で変わっていると有名になった頃。B、Dクラスの教師が一部生徒に対し不当な取り扱いを行っていた事実が発覚したことで教師を辞し、『アザレア』に戻っていった。

 それから、B、D、Eクラスに新たに教師が配備され、Eクラスの教室の修繕も終わり、徐々に日常に戻っていった。


 新しいEクラスの教師は気弱で、Eクラスの生徒に振り回されている毎日であったが、彼もまた優秀な能力者であり、且つ暴力を働かない温厚な人物であった。噂によると、笹野の大学時代の後輩なのだという。


 これまでの教室の暗い雰囲気は、すっかりなくなっていた。

 しかしながら、オレは、あの一件でギルディア中に名前が知れ渡り、オレのことを恐れる者、人殺しと謗る者は多くいた。

 ただ、その者達に対して、あの一件は実は前任のEクラス教師にも非があると言うことはできない。事実は事実であると、公式の場でオレは認めてしまっていたし、何よりそれで丸く収まったのだから、今更蒸し返すと余計に厄介なことになるから。


 それに、他人から謗られることなどは些事だった。オレにとってどうでも良いことだった。

 オレは、ただひたすらに努力した。自分を待っていると言ってくれた、あの王のもとで生きていきたい、と心の底から願っていたから。



 あの一件から、シャンドレット王について見聞きすることがなかった。

 いや、今までも彼が人々の話題に上がることはなく、仮に上がったとしても、「ギルディアについて何もかも『アザレア』やジルさんに任せっきりの"顔のない王"だ」という非難ばかり。王のことが心配で、教師たちに聞いてみても「とにかく自分がすべきことをしていなさい」と言われるだけだった。


 だったらば、2年後の試験の場で直接確かめる。

 それでもし、あの王に良からぬことがあったのなら、試験の問題用紙を破り捨てて、自ら『アザレア』に出頭して、煮るなり焼くなり腹切り自害なりをしようと、オレは思っていた。


 ひたすら、勉強の日が続く。

 1年も経つと、気弱な新人のEクラス教師は生徒たちに舐められていて、真面目に授業を聞いているのはオレだけ。新人には手に負えないクラスになっていた。


 しかし、その状況が悪だとはオレは考えていない。

 オレが必死で勉強するように、クラスメイトたちは自由に過ごすことで、あの一件を忘れようとしていた。明るく振る舞うEクラスだが、前任教師による精神的な影響は未だ根強く、現にオレの前の席だった女子生徒は、在籍しているものの不登校となっている。

 また、他のクラスメイトたちだって大きな音や怒鳴り声には敏感になっていた。現在の教師たちがそれに気がついているのかはわからない。


 実際に罪を問われたのはオレだけで、日常的に暴言暴力を行っていた教師は、殉職と扱われ二階級昇進扱いになっている。

 オレ含め、それに意義を唱えるものはいない。もう誰も、あの日々を思い出したくないのだ。


 そうして、数ヶ月後、採用試験の日程が周知され、より一層勉学に励んでいると、空席だったオレの隣に、護山 ハル が座るようになった。


 彼女は学校ではちょっとした有名人だった。1年前の事件から数月したころにBクラスに入学し、数日後にはAクラスへ昇級かつクラス内でトップの成績を誇るいわゆるAクラスの"首席"だった。当然、彼女の名は『アザレア』にも伝えられており、彼女の早期卒業を求める声が上がっていた。

 しかし、"首席"という立場にはもう一つ特権がある。すなわち、本人の意思により"『アザレア』以外の一般企業で自由に働ける"というものがある。


 『アザレア』職員入りが生徒たちの栄誉であるため、Aクラスの生徒たちは皆声を揃えて『アザレア』入りを進言するが、かつての『アザレア』の首席卒業生で、現在は魔導書館長をやっているクロエ・マーキュリーは『アザレア』には所属せず、自身で魔導書館を開き経営しているという。そんな特権もあるために、護山 ハルの『アザレア』職員入りの勧誘は慎重に行われているようだった。


 その矢先──

 そんな彼女がEクラスに落ちてきたと言うのは、中々に衝撃的な事態だった。

 Aクラスの首席がどう言う訳か、Eクラスの落ちこぼれで問題児のオレの隣に座っている。

 学校からの嫌味か、もしかしたら、生徒のふりをした『アザレア』からの監視役か。しかし、監視役はすでに学校内で数回見かけており、これまでその人物以外に──『アザレア』戦闘部総長レオ・グルワール以外に来たことがない。そして、監視役が来た日は決まって「今日一日監視を務める」と、わざわざ挨拶をしてくる。


 まあ、事情が変わったということもある。

 きっと戦闘部総長だって、オレの監視を常に行えるほど暇ではなく、およそ3年後に行われる塔の封印執行者とやらの候補だとも噂に聞く。代わりが配備されてもおかしくはなかった。


 だから、ハルのことは特に気にしない。ただ勉強をして、試験に合格することこそがオレの使命であるのだから、監視役の目とか、隣のやつの境遇なんかは頭に入れる必要はない。


 ……と思っていたのだが。



 ──君は勉強好きなんだね。私はあんまり好きじゃなくて。


 ──Aクラスには居たんだけど、なんか合わなくて。

 それでずっと、学校の花の世話をしてるの。ほら、この花は笹野先生がね!


 ──このクラスは賑やかでいいね。ウィル先生は大変そうだけど……

 あ、みんなで遊んだりもするの?しない?なら今度みんなで一緒に遊ぼうよ!


 ──あのね笹野先生は、保健室のマドンナのこと好きなんだって。

 それで、私が恋のキューピットになるって交渉したんだよね。


 ──え?『アザレア』に入りたいんじゃないかって?

 んー……あの人たちなんか怖いねん。そんでもって、うちはうちの花屋を継ぎたいんや。


 ──え?ちゃうよ!別に花屋は隠語とかじゃなくて。

 は……脱法ハーブなんて売らへんわ!


 ──ところで、エド君。うちの言葉わかるんやね。

 教養の一つって、この間は他の国の語学の本も読んでなかった?

 それも教養なん?怖……、ちょっと出来すぎて引くわ。なんでEクラスなん?



 喋る、とにかくハルは喋る。


 あの事件があってから、Eクラスは賑やかになり、お喋りの声が絶え間ないから、勉強をしているオレにとってうるさいことに変わりはない。

 Eクラスの皆が自分の心を守るために騒がしくしていることを知っているから、多少騒がしくても何も思わない。

 何より、学校の生徒全員、好んでオレに話しかけてくる人物がいないから、このお喋り声も環境音の一つと変換して、教室で勉強していた。


 が、彼女の場合──ハルの場合は違った。

 めちゃくちゃ話しかけてくる。話しかけてくるから、環境音にすることも難しいし、無視するとさらに絡んでくる。


 溜まりかねたオレは「元Aクラスならオレのことが怖くないのか。さすがだな」と嫌らしく言ってみても、ハルはキョトンとしたままであった。

 そういえば、彼女はあの事件から数月経って入学してきたから、そもそも事件のことを知らないのでは……いや、それにしても、噂くらいは聞くだろうに。



 ──エド君の噂?なんやそれ?有名人なん?

 もー、面白い話なら言うてや!ほら、Aクラスってエド君みたいに勉強ばっかだから、そういう噂が届かないっていうか、うちが教室に顔を出さないからっていうか……。


 ──日本の学校から、能力の勉強のために転校してきて、初めておしゃべりした生徒がエド君なんや。あ、笹野先生とはいっぱい喋るけど!



 ハルは事件のことを何も知らなかった。噂すらも聞いたことがないという。

 だから、事件の当事者であるオレにも屈託ない笑みを向けてくるのだった。

 最初は煩わしく思っていたが、他の生徒や教師とは違い表裏のないハルとのおしゃべりは、人生で初めての"日常"だった。



 ──え、もうすぐ王家の職員になるん?

 あーそのために試験勉強してたんか。というか、それならあんまり話しかけへん方が良かった?え?今はもう慣れた?……ならよかったぁって、良ぅないわ!

 今までは邪魔しとったんやろ。あーもう……そういうことは早く言うてや?


 ──でも、エド君は本当嬉しいんやろうな。Aクラスの皆はな、皆苦しそうに勉強してんねん。笹野先生もどうにかならないかなあて言うてたわ。

 でも、エド君からはそういうの感じへんから、ほんま良かったなあ。


 ──王家の職員ってことは、あの王様やろ?うちもここ来た時少しお話ししたけど、なんかこう……良い人が溢れる良い人って感じやったわ。お身体が悪いってのは心配やけどな。


 ──うん、だけど。エド君、頑張りややからそれも報われるだろうし、絶対に大切にしてもらえるだろうから、うんうん、ほんまに良かったなあ。あーあ。うちも、良い加減に決着つけへんとな。



 そんな会話の後、ハルは「勉強頑張ってな。うちも頑張るから」と言葉を残したきり、以降オレの隣の席に座ってお喋りしにくることがなくなった。


 学校には欠かさず来ているようで、時折花壇に水をやっているところを目撃し、向こうから「エド君おはよう!」と挨拶が飛んでくるだけ。

 ハルとのお喋りという日常がなくなってしまったが、試験が近いこともあったため、寂しさを紛らわすためにも勉強に集中した。


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