青天の霹靂⑵



 オレが入学してから2年が経った頃のこと。

 その日も「お前たちは落ちこぼれだ」というお言葉を担任から賜ってから、特に機嫌が良かったのか、珍しく座学の授業をしていた。

 尤も、勉強なんかまともに教えてもらったことはないから、問題を出されたってわからないことが多かった。

 それで答えられないでいると、教科書を投げられ、罵声を投げられる。クラスメイトたちは自分の保身で精一杯で、問題を教えあうこともできない。次は自分が当てられるかもしれないからと、教科書の関連するページを読み漁るばかりになっていた。


 オレも、目の前で回答できないまま立たされている女子生徒を気の毒に思いながら、次は自分の番が来るかもしれないと思って、教科書のページをめくっていた。



「あーあ。貴様ら、本当危機感がないというか……答えられなくても暴力で済まされるから良いとか思ってんのか?」


「──じゃあ、わかった。こうしよう。次、貴様ら落ちこぼれ共が答えられなかったら、あのガキと同じ目に合わせてやるよ」



 Eクラス教師は、教壇に立ちながらオレの目の前にいる女子生徒を指差した。


 あの時、能力暴走を起こした生徒は、Eクラス教師に指を差されただけで暴走を止めていた。止めざるを得なかったのだ。生徒の足があらぬ方向にねじ曲がっていては、立ってもいられないし、痛みとショックで意識を保つことすらできなかっただろうから。


 Eクラス教師が女子生徒を指差したことで、教室内には、さらなる緊張が伝わる。



「では、問題だ。二度は言わないからよく聞けよ?落ちこぼれ共」



 教師は問題を出した。


 幸いにも難しい問題ではなかったから、オレ含む全員がホッとしていた。

 しかしながら、問題を出されてからいつまで、女子生徒は答えを言わなかった。後ろの席だったオレは、女子生徒が問題を解らないものだと思い、答えを書いた紙をそっと机の上に乗せた。


 だが、それでも女子生徒は答えなかった。

 彼女は、オレが後ろから見ていてわかるほど震えていた。そして、ちょぼちょぼと水が流れる音が聞こえる。見ると、彼女の足を伝って水が滴っていた。



「……お、お願い。エドワード君、見ないで。見ないで……。あたし、君にだけはこんなみっともない姿、見て欲しくなかったのに」



 女子生徒は顔だけ振り向かせて、オレの方を見ていた。ひどく赤面し、大粒の涙を流して、ただ「見ないで」と懇願していた。



「おい、貴様」



 教師が声を上げると、「ひっ」と女子生徒は悲鳴を上げた。

 口では「先生、ごめんなさい」と言っているようだったが、恐怖で震えてしまっている口は、断片的な声を発しているだけだった。

 そうしていると、教師はツカツカと女子生徒の前に移動し、強い力で威嚇するように彼女の机を蹴った。



「……俺は、問題に答えろと言ったんだ。ションベンを漏らせとも、謝れとも言っていない」


「ご、ごめなさい!せんせ……ごめんなさ……!許し、許して、てくだ……」



 謝る女子生徒のことを無視し、教師は彼女の頭髪を掴み、頭を机に押し付けた。何度も、何度も。


 この教師にとって、生徒への暴力は日常的なこと。

 このクラスにとって、教師からの暴力は日常的なこと。



「それに、なんだ?自分の痴態をエドワードにだけは見られたくないだって?貴様には、この俺も、仲間の落ちこぼれ共も眼中にないってか。道理で、そんな無礼を働けたもんだなあッ!!」



 そう言って教師は、ふと手を止めた。

 顔を机に打ち付けられた痛みでうめく女子生徒をよそに、教師の視線はオレに向いた。



「ああ、そうか。……んなら、よおく見てもらえよ。好きな男子の呪われた左目の中に映してもらえたら、そりゃきっと幸せだ。なあ、エドワード。貴様も嬉しいだろ。こんなションベン垂れの女子に好かれてよお!!」



 教師の邪悪な考えを理解し抗うために、オレは左目をぎゅっと瞑り、両手で押さえた。


 許可なしに能力を使ってはいけないということを必死で訴えたが、許可するのは教師であり、そもそも今現在オレの空色の瞳を見つめているのは、Eクラスの教師だ。

 案の定、「許可をするからさっさと見てやれ。男なら女子の好意には応えてやるべきだろうが」と、いやらしい笑みを浮かべながら話している。


 それでも、オレは抵抗した。

 左の瞳は、何をするかわからない。青天に突然起こる雷のように。

 オレの能力は、無害なこともあるけれど、そうじゃないこともある。本当に無作為で、無差別だ。しかし、この極限状態で起こることなんて、絶対悪いことに決まっているから。



「……ああ、そうかエドワード。貴様も俺に抵抗するのか。じゃあ、いいよ。別にただ目を開かせることで能力が発動するんだ。難しいことじゃないんだからな」



 そういうと、教師はオレを立ち上がらせた。

 そして、両手で左目を押さえるので精一杯で、無防備な腹部めがけて膝蹴りを入れた。


 オレの抵抗は虚しく、一瞬だった。

 常に意識して片目だけを閉じているのは難しい。不足の事態が起これば気が緩み、左目を閉じることへの意識は薄れる。

 突然加えられた蹴りと、腹部への痛み、吐き気によって思考と意識が全て持っていかれる。必死に閉じようと意識していた左目は、蹴りを入れられた衝撃により、一瞬だけ開いてしまった。


 雷鳴と雷光が教室に広がった。


 蹴られたことによる痛みと吐き気が全身に広がり、オレの視界が白くぼやける。

 そのぼやけた視界の中で、大きな影が動いた。



「え?ま、魔物……?」



 教師が、驚きの声を上げる。

 クラスメイトたちの悲鳴が響く。


 教師の言うとおり、そこには魔物がいた。


 大きな嘴を有した首長鳥の魔物。

 その魔物にとっては小さな教室の中で一度翼を広げると、あたりに白い羽が散らばった。そして、首長鳥の魔物は、その大きな嘴で教師の身体を一突きした。血が噴き出すと辺りに散らばった白い羽が赤く染められていく。

 それから、ざく、ざくと首長鳥の魔物は大きな嘴で器用に小さな人間の身体を啄ばんでいた。


 その光景を目にした生徒の大半は教室から逃げ出した。

 ほとんどの生徒に外傷がなかったことは、この事件を語る上で"一番幸運なこと"だった。


 首長鳥の魔物は、本能によって夢中で教師だったモノを啄んでいる。

 オレは、その間になんとか既に気絶していた前の席の女子生徒を引き寄せて、魔物の足元で、ただ息を潜めていた。


 間も無く、騒ぎを聞きつけた教師達がやってきた。

 駆けつけた教師は、須藤と当時はまだ新任教師の笹野だった。この頃、須藤が本職に戻るため学校を辞めることが決まっていた。そして二人は引き継ぎのためちょうど顔を合わせていた。

 事態を理解した須藤はEクラスに居る魔物を目撃すると、攻撃をしようとしていた笹野を制し、先にオレと女子生徒達を保護するように指示をした。


 笹野の能力によるものか、オレ達の身体はスルスルと笹野の元に引き寄せられていった。オレ達が助けられた様子を確認すると、須藤は一人教室に足を踏み入れて、勢いよく扉を閉めた。


 30秒ほど経ったあと、ドンという音が響く。

 笹野が扉を開くと、須藤は教室の端に立って外を見ていた。驚くべきなのは、校庭側の窓がある壁がそっくりなくなっていた。



「あの子は逃したよ。……魔物に罪はない。ただ、縄張りからこの教室に転移させられただけ。先生を喰らったのも、それが本能だからね」



 須藤が静かに言った。



「……ならば、問題にすべきは、居るはずのない魔物がどうしてここに居るのかということ。そして魔物を呼び寄せ、『アザレア』の職員を食い殺した犯人が、今ここに居るんだ」


「ああ……またお前なのか。エドワード。……今回ばかりは、"ジルさん"へ報告する」



 駆けつけたBクラスとDクラスの教師──彼らはEクラスの教師と同じく、『アザレア』の職員である──が言った。

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