第10話 「翔鶴」被弾

 敵編隊が頭上にその姿を現すまでに、第二航空艦隊は三群に分かれていた。

 空母が一網打尽にされることを避けるためだ。

 「瑞鶴」と重巡「筑摩」それに「朝潮」と「大潮」の二隻の駆逐艦が取舵を切り、「雲鶴」と軽巡「川内」それに「満潮」と「荒潮」の二隻の駆逐艦が面舵を

切ってそれぞれ左右へと離れていく。

 一方、「翔鶴」ならびに「朝雲」と「山雲」それに「夏雲」と「峯雲」の四隻の駆逐艦はそのまま直進、第一艦隊の後方を追求した。

 そして、当たりくじあるいは貧乏くじを引いたのは「翔鶴」だった。


 「やはり、こちらに来たか」


 二〇機近い急降下爆撃機に狙われているというのにもかかわらず、二航艦司令長官の小沢中将は小さく笑みを漏らす。

 敵機が「翔鶴」に殺到したことで、逆に「瑞鶴」と「雲鶴」の安全が確保されたからだ。


 「翔鶴」が高角砲を、四隻の「朝潮」型駆逐艦が主砲を持ち上げて反撃の砲火を放つ。

 これらのうち、四隻の「朝潮」型駆逐艦の主砲は対空戦闘には不向きの平射砲だから、敵機に有効打を与えられるのは「瑞鶴」の一六門の高角砲のみだった。

 敵急降下爆撃機の周辺に高角砲弾炸裂の黒雲がわき立つ。

 しかし、撃ち墜とされるものはただの一機もなく、敵急降下爆撃機は悠々と「瑞鶴」上空に遷移する。


 「敵機、急降下!」


 見張り員の怒声のような報告から数瞬後、左右両舷に装備された一二基の二五ミリ三連装機銃の射撃音が「翔鶴」艦橋に飛び込んでくる。

 同時に「翔鶴」がその舳先を左へと回し始める。

 敵機の機動を先読みした城島艦長があらかじめ取舵を命じていたのだ。


 敵急降下爆撃機が次々にダイブしてくるが、命中する高角砲弾や機銃弾は一発も無い。

 艦が回頭する最中にあっては、正確な射撃など望めないから、これはこれで仕方が無いことでもあった。


 投弾を終えた敵機が「翔鶴」の頭上をかわしていく。

 中には機銃を撃ちかけてくる機体もあったが、二五七〇〇トンの巨躯を持つ「翔鶴」に対してはなにほどの打撃でもない。

 ただ、人間に当たればそれはそれで大変なことになるのだが。


 「敵機ハSBDト認ム」


 間近まで敵機が迫ったことでその正体を看破した見張り員が、爆撃による喧噪に負けまいと大声を張り上げる。

 その直後、「翔鶴」の左舷あるいは右舷後方に立て続けに水柱が立ち上る。

 敵の投弾は「翔鶴」の後方に逸れるばかりで直撃弾は一つもない。


 (速力の見積もりを誤っているのか)


 小沢長官が関係者から聞いたところでは、「翔鶴」は公試排水量が三万トンに迫る巨艦なのにもかかわらず三四ノットの高速が発揮できるとのことだった。

 これは韋駄天を誇る高速中型空母の「蒼龍」や「飛龍」に匹敵する速度性能だ。

 そう考えている間にも「翔鶴」の左舷あるいは右舷の海面に飛び込んだ爆弾が炸裂、海面に次々に水柱を立ち上らせていく。


 巨艦の「翔鶴」だが、しかし一方で飛行甲板の幅は三〇メートルに満たない。

 その程度であれば、高空から見下ろせば一本の細い棒にしか見えないだろう。

 そこに爆弾を命中させるのはよほどの熟練でもない限り困難なはずだ。


 (あるいは、「翔鶴」はその快足をもって無事にこの修羅場を乗り切ることが出来るかもしれん)


 小沢長官が淡い期待を抱いた刹那、しかし爆発音とともに「翔鶴」艦橋が揺さぶられる。


 「後部飛行甲板に被弾!」

 「消火急げ!」


 見張り員の報告や艦長の命令で「翔鶴」艦橋が喧噪に包まれる。

 さらにもう一度衝撃が続き、そのすぐ後に「翔鶴」の前部飛行甲板から爆炎がわき上がるのが小沢長官の目に飛び込んできた。

 それは敵急降下爆撃機隊の最後尾にあった機体が投じた爆弾だった。


 「敵機引き揚げます!」


 安堵交じりの見張りの声に、「翔鶴」艦橋にほっとした空気が流れる。

 そのような中、城島艦長が小沢長官に頭を下げる。


 「申し訳ありません。私の操艦が至らずに大切な艦を傷つけてしまいました」


 「翔鶴」は二〇機近いSBDの猛攻を受け、飛行甲板の前部と中央部それに後部に合わせて三発を被弾した。

 城島艦長の謝罪に、だがしかし小沢長官は小さく首を振る。


 「謝るのは私の方だ。麾下の空母を一網打尽にされないための措置だったとはいえ、艦長以下『翔鶴』乗組員たちにはつらい役どころを押し付けてしまった」


 そのようなことはありませんと、慌てて首を振る城島艦長に小沢長官は最も懸念する事を端的に尋ねる。


 「『翔鶴』は助かりそうか」


 「翔鶴」は被弾してから各所で火災が発生し、艦橋にも煙が流れ込んできている。

 その「翔鶴」を救うべく、現在は副長と運用長が共同で消火の指揮にあたっているはずだ。

 小沢長官からの問いかけに対し、城島艦長は電話で運用長の福地少佐を呼び出して状況の確認をする。


 「消火のほうはなんとかなりそうです。ほとんどの機体が出払っていたのが不幸中の幸いでした。もし、格納庫に多くの艦上機が残っている状態で被弾していれば、あるいは『翔鶴』は助からなかったかもしれません」


 「翔鶴」は運が良かったのだという福地運用長の見立てに城島艦長が心底ほっとしたような表情を浮かべつつ、彼の言葉をそのまま小沢長官に伝える。

 同時に旗艦を「瑞鶴」あるいは「雲鶴」に変更してはどうかと具申する。

 小沢長官は少し考え、城島艦長の意見を採り入れる。

 「翔鶴」は一刻も早く、本土に戻して修理すべきだと考えたからだ。


 「『翔鶴』には『夏雲』と『峯雲』を護衛につけて後送する。艦長は必ず『翔鶴』を無事に本土へと持ち帰ってもらいたい」


 そう城島艦長に申し渡しつつ、小沢長官は幕僚らに「瑞鶴」への移乗準備を急ぐよう命じた。

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