マーシャル沖海戦

第4話 太平洋艦隊司令長官

 一二月七日に始まった日本との戦争は、しかし太平洋艦隊司令長官のキンメル大将にとって悪い意味で予想の斜め上を行くものだった。

 開戦劈頭、フィリピンに展開していた米陸軍航空軍は日本軍機の空爆によって戦力の過半を喪失してしまった。

 さらにその翌々日にはマレー沖で英国の最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」ならびに巡洋戦艦「レパルス」が、日本の陸上攻撃機によって撃沈されるという信じられないことまで起こっている。


 相次ぐ友軍苦戦の報に、太平洋艦隊は出撃準備を加速させている。

 整備中の戦艦「ペンシルバニア」の出渠を繰り上げ、同じく本土で整備中の空母「サラトガ」ならびに航空機輸送の任にあたっている空母「レキシントン」に対して太平洋艦隊主力への合流を急ぐよう通達している。


 「日本軍の動きはどうなっている」


 報告書から目線を上げ、キンメル長官は傍らに立つ情報参謀のレイトン中佐に最新の情勢を尋ねる。


 「フィリピンで米陸軍航空軍に大打撃を与え、さらにマレー沖で英東洋艦隊を撃滅した日本軍はそれこそ破竹の勢いで進撃を続けています。それと、日本海軍が東南アジアに展開している戦力の概要が分かりました」


 すでにグアムが陥落し、英領香港もまた彼らの手に落ちたことはすでにキンメル長官も聞き及んでいる。

 そして、現状において最も知りたいのは日本海軍の戦力展開だ。

 だから、キンメル長官は目でその先を促す。


 「日本海軍は第三戦隊と第四戦隊それに第五戦隊と第六戦隊、さらに水雷戦隊の大部分を南方戦域に投入しています。また、フィリピン南方沖で一隻の空母が確認されています」


 日本海軍の戦闘単位については諜報活動やあるいは公開情報によってかなりの程度その分析が進んでいた。

 第三戦隊は四隻の戦艦から成り、その型式はそのいずれもが脚の速い「金剛」型だ。

 第四戦隊は「高雄」型重巡、第五戦隊は「妙高」型重巡、第六戦隊は「古鷹」型重巡それに「青葉」型重巡で構成されている。


 「つまり、日本海軍はすべての高速戦艦とそれに重巡の大半を南方戦域に投入したということか」


 「そうなります。ですので、日本海軍については第一戦隊と第二戦隊の六隻の戦艦、さらに第七戦隊の『最上』型とそれに第八戦隊の『利根』ならびに『筑摩』の合わせて六隻の大型巡洋艦が我々への備えとして本土にあるものとみられています」


 第一戦隊は四〇センチ砲を搭載する「長門」と「陸奥」の二隻の戦艦から成る。

 両艦はそのいずれもがビッグセブンに数えられる日本最強の戦艦だ。

 第二戦隊のほうは「伊勢」と「日向」それに「山城」と「扶桑」の四隻を擁し、これら艦はそのいずれもが三六センチ砲を一二門装備している。

 単艦としては「長門」や「陸奥」に及ばないものの、しかし戦隊単位としてはこの第二戦隊こそが日本海軍の最強部隊と言っていいだろう


 第七戦隊の「最上」型重巡は完成当初こそ一五・五センチ砲を一五門装備する軽巡だったが、しかし最近の調査でそれらが二〇センチ砲に換装されたことが分かっている。

 昨年行われた「紀元二千六百年特別観艦式」において、米海軍は諜報員を動員して日本艦の情報収集に努めた。

 この中で「最上」型巡洋艦の主砲が三連装から連装となったことが分かったのだ。

 もちろん、当時の国際情勢から外国人の拝観は一部の艦艇を除いてこれを認められてはいなかった。

 それでも、米海軍の息のかかった日本人はいくらでもいる。

 しかし、その彼らも第八戦隊の「利根」と「筑摩」についてはその詳しい艦型を把握することはかなわなかった。

 ただ、その公開された予算規模から、「利根」型もまた「最上」型と同等の戦力を持つものだと考えられていた。


 「日本海軍についてだが、こちらは少しばかり南方戦域にその戦力を傾注し過ぎているきらいがあるな」


 日本海軍の戦力配分にキンメル長官が首をひねる。

 それぞれ六隻の戦艦それに一万トン級巡洋艦というのは紛れもない大戦力だが、しかし太平洋艦隊の主力を相手取るには少しばかり心もとない。


 「あるいは、日本海軍はマル三計画で整備する予定の戦艦をすでに就役させているのかもしれません。我々もまた『ワシントン』ならびに『ノースカロライナ』を就役させていますから、何ら不思議なことではありません」


 あくまでも可能性の話ですが、と前置きしつつレイトン中佐が自身の考えを述べる。

 日本海軍は軍縮条約明けと同時にそれぞれ二隻の戦艦と空母の建造を開始したことが分かっている。

 これはなにも機密情報といったものではなく、帝国議会に予算を通達している事項だから調べればすぐに分かることだ。

 それによれば、戦艦は一隻あたり九八〇〇万円、空母のほうは八一〇〇万円となっている。

 米海軍の情報部門は当時の日本の物価を考慮したうえで、戦艦のほうは四〇〇〇〇トン前後、空母のほうは二〇〇〇〇トンを大きく超えるものと見積もっていた。


 (そうなると、日本海軍が太平洋正面に回せる戦艦は最大で八隻となり、しかもそのうちの二隻は新型ということになるな。こちらは九隻あるが、しかし『コロラド』はどうやったって間に合わん)


 キンメル長官は胸中でうめき声をあげる。

 四〇センチ砲を搭載する「コロラド」は姉妹艦の「ウエストバージニア」それに「メリーランド」と並んでビッグセブンの一角にその名を連ねる太平洋艦隊最強の戦艦だ。

 しかし、その「コロラド」は現在本土においてオーバーホールの最中であり、どんなに急いでも太平洋艦隊に復帰するのは来春以降となる。

 そこで、米海軍上層部は戦力不足に悩む太平洋戦線のテコ入れとして三隻の「ニューメキシコ」級戦艦を大西洋艦隊から太平洋艦隊に異動させることにしている。

 しかし、これら艦もまた太平洋艦隊に合流するにはまだしばらくの時間が必要だった。


 そうなってくると頼みの綱は補助艦艇となる。

 日本海軍のほうは南方戦域に多くの戦力をつぎ込んでいるから、こちらのほうは米側のほうが優位にあることは間違いない。

 各型の重巡それに「ブルックリン」級大型軽巡は合わせて一三隻あるから、こちらは日本艦隊の二倍以上だ。

 駆逐艦もまた、日本海軍のほうは南方戦域に盛大にばら撒いているので、こちらの有利は動かないだろう。


 そうであれば、残る問題は空母だった。

 太平洋艦隊には、「エンタープライズ」と「レキシントン」それに「サラトガ」の三隻しかないのに対し、日本側は大小合わせて八隻を擁している。

 ここにマル三計画の二隻の空母が加われば、さらにその差は隔絶する。

 しかし、空母の価値は搭載している艦上機にこそある。

 母艦ごとの搭載数はもちろんだが、機体性能や搭乗員の技量も大きなファクターだ。

 だから、キンメル長官はそのことについてレイトン中佐に尋ねる。


 「海軍情報部のほうでは『赤城』と『加賀』それに『蒼龍』と『飛龍』の搭載機数はそれぞれ四〇機程度と見積もっているようです。しかし、私はそれに対しては正直なところ懐疑的です。日本海軍の空母は我が国のものには及ばないでしょうが、しかし英仏のそれと同等と考えるのはいささかばかり相手を侮りすぎだと考えます」


 「赤城」と「加賀」は「レキシントン」級に対して明らかに劣る。

 「飛龍」と「蒼龍」もまたその排水量の限界から「ヨークタウン」級には到底及ばない。

 それは米海軍の中では常識だ。

 レイトン中佐もまたそのことについては否定しないが、しかしその差は上層部や情報部門が考えているほどには大きくないと思っている。

 しかし一方で、そのことについての確たるエビデンスやファクトは持ち合わせていない。


 「日本海軍の正規空母については五〇機程度に上方修正したほうが無難かもしれんな。そして、仮に日本海軍がマル三計画の空母をすでに就役させていたとしたら艦上機の数は六隻合わせて三〇〇機にも及ぶことになる。一方こちらは三隻の空母を合わせて二二〇機から多くても二三〇機までだろう。かえすがえすも『ヨークタウン』の回航が間に合わないことが残念だな」


 そう言いつつもキンメル長官の表情に悲壮感は無い。

 戦は数だというのはある意味で真理だ。

 しかし、それは双方の質が互角であった場合だ。

 そして、航空先進国である米国の艦上機はその性能において日本のそれを大きく上回ることだろう。

 英国でさえ雷撃機は複葉なのだから、日本のレベルはさらに低いはずだ。

 搭乗員にしたところで、米国もっと言えば白人がアジア人に劣ることなどあり得ない。

 まして、猛将ハルゼー提督に日々鍛えられている太平洋艦隊の母艦乗りであればなおのことだ。


 「二倍あるいは三倍もの数の開きがあればともかく、しかしこの程度の差であれば問題は無いだろう」


 そう言って、キンメル長官は思考を切り替え、別の案件に話題を旋回させた。

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