第3話 二つの航空艦隊
「米国が軍縮条約明けを待って六〇〇〇〇トン級戦艦の建造に着手する」
このことが誤情報だと分かった時には、マル三計画はすでに回帰不能点を越えていた。
その後の調べで、米国は複数の三五〇〇〇トン級戦艦ならびに四五〇〇〇トン級戦艦の整備を進めていることが判明した。
このうち三五〇〇〇トン級戦艦は昭和一六年乃至一七年、四五〇〇〇トン級戦艦のほうは昭和一八年から二〇年にかけて完成する見込みだということも分かっている。
軍縮条約明け後の戦備に決定的とも言える影響を与えた誤情報とそれに伴う一連の騒動は俗に海軍甲事件と呼ばれていた。
当然のことながら、この件については程度の差こそあれ、大勢の関係者が処分されている。
一方で、この一件は帝国海軍の情報に対する意識あるいは取り扱いを、それこそ一八〇度転換させるほどにまでその影響を与えていた。
平時でさえたった一つの誤った情報によって組織が甚大なダメージを被ることがあるのだ。
もし、戦時に情報の錯誤あるいは誤謬があれば、それは将兵の血によって贖われることになる。
だから、これまで戦略や戦術を重視する一方で情報や通信を軽視、もっと言えばないがしろにしてきた帝国海軍上層部のエリートたちはその姿勢を一変させ、情報収集やその分析に情熱を傾けていった。
もちろん、それは誤情報の当事者にはなりたくないということが一番の動機だ。
もしそうなれば、完全に出世の道を閉ざされてしまう。
一方、その情報という新しいトレンドに乗っかって、手っ取り早く実績あるいは手柄を挙げようと考える者たちも大勢出てくる。
機に乗じるのは官僚の十八番だ。
海軍士官もまたその例に漏れない。
彼らの多くが英国とそれにドイツがしのぎを削る欧州大戦を情報収集の草刈り場に選んでいた。
彼らはそれこそ貪るようにして同盟国のドイツからあらゆる知見を取り込んでいった。
その中にはレーダーやソナーをはじめとした探知技術や、あるいはそのレーダーを活用した早期警戒態勢の構築ならびに航空管制、それに二機を最小戦闘単位とした四機一個小隊のシュヴァルムといった編隊空戦術も含まれている。
そのような状況の中、呉海軍工廠で一隻の艨艟が産声を上げる。
超弩級戦艦「大和」。
全長二八三・五メートル、全幅四〇・五メートル、基準排水量七八〇〇〇トンの船体に四六センチ三連装砲塔を四基搭載する世界最大の軍艦だ。
建造に際しては徹底した機密管理が行われ、それは完成した今も同様だ。
これまで、連合艦隊旗艦は最新最強の戦艦がその任にあたることが帝国海軍の伝統だった。
しかし、連合艦隊旗艦ともなれば平時でさえ大量の通信のやりとりが必要となる。
そうなれば、いやでも外国からの耳目を集めてしまう。
このため、連合艦隊司令部は「大和」ではなく日吉にその拠を移すこととした。
関東圏に海軍省と軍令部、それに連合艦隊司令部を集中させることで、本来であれば呉の「大和」に注がれるはずだった間諜の目を東に向けさせることがその目的だった。
その「大和」は一五〇〇〇〇馬力のエンジンを搭載している。
排水量の割に馬力は小さめだが、しかし長大な船体と新しく採用された球状艦首の効果もあって二七ノットの速力を維持していた。
それと、「大和」はこれまでの戦艦と違って副砲は装備していない。
ただでさえ巨大な艦型の、そのさらなる肥大化を抑えるためだ。
その代わりに左右両舷に一二・七センチ連装高角砲をそれぞれ六基装備している。
「大和」が七八〇〇〇トンという巨艦でありながらそれでも昭和一六年八月一五日に完成したのは、工事着手時期が早かったことと、それに横須賀や佐世保から多くの技術者や造船工の応援を得たことが大きかった。
この措置によって、工期のうちのかなりの部分を昼夜二交代で作業することが可能となったからだ。
もし仮に呉の要員だけで工事を進めていたとしたら、最低でもあと数カ月は完成が遅れていたことだろう。
その「大和」と時を同じくして三隻の大型艦が竣工あるいは就役を開始していた。
「翔鶴」と「瑞鶴」それに「雲鶴」の三隻の「翔鶴」型空母だ。
「翔鶴」型空母は基準排水量二五七〇〇トン、運用される艦上機は常用七二機に補用一二機で、帝国海軍の空母の中でも「加賀」と並んで最大級の搭載能力を誇る。
(「大和」など造らずに、「翔鶴」型空母をあと二隻造ってくれていたら、帝国海軍の洋上航空戦力も盤石だったというのに)
日吉の連合艦隊司令部、その長官室で山本大将はこのところ恒例となっている胸中ボヤキに興じる。
ある意味におけるストレス発散だ。
(それでも物は考えようだ。帝国海軍に大騒動を巻き起こした世紀の大誤報も、しかし結果だけを見ればある意味ラッキーだったとも言える。本来であれば手元にある「翔鶴」型空母は二隻だけだったはずなのが、しかしこれが三隻に増えたのだからな)
対米戦が現実の危機として認識され、さらに事情をよく知る者たちはもはやそれが避けることが出来ないということも理解している。
山本長官もまたその一人だ。
(しかし、レーダーという新兵器への理解の深まりと、それになにより「大和」の存在で真珠湾奇襲攻撃がお流れになったのは計算外だった)
このままでいけば、米国との戦争は年末か年明けになる。
そして、その時期であれば「大和」は慣熟訓練を終えて参陣することがかなう。
もちろん、本来であれば「大和」ほどの巨艦ならば半年程度は訓練に充てたいところだ。
しかし、差し迫った時局がそれを許さない。
それでも四カ月乃至五カ月あれば、帝国海軍でも選りすぐりの将兵であれば「大和」を十全に扱えるようになっているはずだ。
そして、帝国海軍はその「大和」を使って西進してくる太平洋艦隊を迎え撃つ方針を固めている。
「大和」がその戦力を完全に発揮することがかなえば、太平洋艦隊の戦艦群などなにほどのものでもない。
それと、オアフ島にはまず間違いなくレーダーが配備されているから、艦上機による奇襲攻撃とその成功はまず望めない。
十中八九強襲となるはずだ。
それゆえに、投機的で危険極まりない真珠湾攻撃の許可が下りるはずもなかった。
(真珠湾攻撃が認められなかったことは残念だが、しかし第二航空艦隊を編成出来たことは重畳だ。一個艦隊の中に七隻もの空母を集中させるというのは、鉄砲屋や水雷屋から見てもさすがに無理があると思えたのだろう)
昭和一六年四月一〇日に編組された第一航空艦隊は「赤城」と「加賀」それに「蒼龍」と「飛龍」を基幹戦力としていたが、ここに三隻の「翔鶴」型空母を加えると七隻になる。
しかし、この数だと艦隊運動の制約が大きく、このことでかなり運用が窮屈になる。
そこで、帝国海軍は第二航空艦隊を新編、三隻の「翔鶴」型空母をここに配備したのだ。
もちろん、艦隊を二つにしたことで一個艦隊に割り当てられる護衛艦艇の数は減少してしまう。
しかし、そこは割り切るしかなかった。
(三隻の「翔鶴」型空母の参入で帝国海軍の正規空母は七隻となり、米海軍と肩を並べるところにまでその戦力を向上させることがかなった。そのうえ、米海軍のほうはそれら空母を太平洋と大西洋に分散配備しているからこちらの有利は動かない)
彼我の戦力見積もりとその配備状況をエビデンスに山本長官は自身を鼓舞する。
決して山本長官自身は戦争を望むものではない。
しかし、それでも一個人の力ではどうしようもなく、今となっては戦争への大きな流れに身を任せるしかない。
その山本長官率いる連合艦隊と、そして宿敵である太平洋艦隊との激突はもはや決定事項だ。
残る問題は、それがいつになるかということだけだった。
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