溟海揺蕩う宵の城

東山 誉

第一話

――海、それは全ての生命の原初であり地球上で最も神秘的かつ最も恐ろしい深淵。


 私は昔から海が好きだった。実家が海に近いこともあって幼い頃は暇さえあれば海辺に足を運んでいた。

 最初は家族もただ見守ってくれていたが、あまりにも毎日そうしているものだから次第に呆れられた。なぜそこまで海に執着しているのか、これは未だに自分でもわからない。ただ言えるのは、海に来るたびどこか言いようのない懐かしさを感じるのだが、それが非常に心地よかった。


 そんな私も齢を重ねるにつれ海を眺めている時間は少なくなった。実家はそこそこ裕福な方ではあったが、流石に自立しなくてはならない。

 ただ運の良いことに、趣味で書いていた小説を目にした友人がそのまま本を出してくれたところ世間で好評を受けた。それの売上を元に家族を説得したところ「生きていけるなら良い」と二つ返事でOKを貰えたのもあって小説家として活動することとなった。安定した収入は大事だが、それより自分の時間が欲しかった私にとって両方得られるこれは非常に都合が良かった。

 おかげで海を眺めるのもまたできるようになり、執筆時以外は以前のように海辺に行っては波の音を聞き海風を身に浴びた。







「見ろよ、前出した小説と童話かなり売れてるぜ」

「それは何より。君の営業手腕にはいつも世話になってるな」

「いやいや、お前の書く話が良いんだ。これのおかげでこっちも儲けさせてもらってるんだからな」


 ある日の昼過ぎ。売り上げを回収し戻ってきた友人と金を数えつついつものように談笑していた。私の数少ない友人であり、彼がいなければ私は小説家としての人生を送ることはなく、自分の時間を作ることも叶わなかっただろう。


「よし、これで全部だな。にしても今回はいつにも増して売れたな。しばらく何もしなくても贅沢できるぜ」

「そうだな、これを機にどこか旅行ついでに取材でもしてこようか」

「おっ、いいねぇ。それならこれとかどうよ?」


 そう言って友人は新聞を出し、ある一面を指し示した。そこには「怪奇!消えた漁村の謎」という記事。内容としては漁村が一晩でまるごと消失したとある。


「…本当にあったのか?」

「いや、まだ確かなことはわかんないんだってさ。そもそも他の村や街と離れすぎててこの漁村が元々あったのか自体がわからねぇのと、これを書いた記者がどうやって村の消失を知ったのかってことだよな。けどこいつは後日人が見てる目の前で発狂して溶けていったって話もある。海好きなお前にはこういうオカルト系もどうかなって思ってさ」

「…いいだろう。いつもの海以外も見たいと思っていたところだ。だがその前にさっきの人が溶ける話を詳しく聞かせてくれ」


 詳細を聞いたところ、その記者は文字通り体が液体のように溶けたという。現場には身に着けていた衣服や鞄のみが残され、溶けた液体も地面に浸み込み消えてしまったそうだ。

 これを聞いた私はその記者が所属していた新聞社に早速一報を入れた。


「こんにちは、私は――」






 驚くほどあっさり話は進み、私は応接室の椅子で座って待っていた。てっきり断られるものと思っていたのだが。


「お待たせしました」


 そう言って入ってきたのは恰幅の良い男性。お互い軽く自己紹介を交わし、編集長はすぐに話題を上げた。


「さて、早速ですが本題に入りましょうか。うちの社員についてと伺っていますが」

「ええ、貴方の所の記者が突如発狂、液状化して消えたという噂、それの正否や詳細を聞ければと思いまして」

「そうですねぇ、まぁ結論から申しますと何人も見ている中で突然体が溶けたそうで」


 編集長は思い出したくもないといった表情で話す。事件の後会社には無数の電話と手紙が飛んできたそうだ。


「元々あの記事も載せるつもりはありませんでした。村民だけが失踪した、であれば村は残っていますから実際行けば真偽は一目瞭然ですし大きく取り上げることもできるでしょう。しかし村自体が消えたというのは何も残っていないわけですからそれが本当かどうかわかりません。そんな不確かなことを載せるのは信用に関わりますから」

「となると差し替えられたと?」


 僅かな沈黙の後、編集長はため息をついて重い口を開いた。


「彼女はこの漁村出身だったそうです。内容が違うことを聞いた私はすぐに問い詰めようとしましたが、その矢先にこれですよ…」

「それは災難でしたね」


 編集長は椅子から立ち上がり、背後の棚から何かを引っ張り出した。机に置かれたそれは革製の黒鞄、おそらく現場にあった遺留品の一つだろう。


「お察しの通りあの者の残した鞄です。服は警察に引き渡しましたがこれは元々こちらの物ですから、財布など以外は殆どそのまま帰ってきました。そして…」

「日記ですか」

「滲んで殆ど読めませんがね。村についてはこれが最後の証拠になるでしょう。持っていくといい」


 そう言って日記を渡された。重要な証拠を貰えるのは今後活動する身としてもありがたいが、一介の小説家如きにここまでしてくれるのはなぜなのか。気になって訊ねてみた。


「ああ、単純なことです。私、貴方のファンなんですよ。是非これの真相を解き明かし、小説にでもしてくれればいくらかこちらの苦労も報われるというものです」






 そうして編集長から聞いたことと日記に書いてあった情報を元に車を走らせ、例の漁村があったという場所に辿り着いた。

 ここに来るのに友人も誘ったが「悪い、これからデート」と断られた。そうして何度もデートに漕ぎつけ最終的に騙されるかフラれるまでがセットなのだが、いつまでも諦めないその執念には呆れを通り越して尊敬まである。


「それにしてもここまで何もないとは」


 見たところ確かに村があってもおかしくない広さの海岸があり、綺麗な眺めでこそあるが、そこにあったはずのものが一掃されたかのような不自然さがあった。何か事が起きたのは間違いないだろう。

 あの時渡された日記を開き、中を見る。来る前に少しだけ目を通したが編集長の言った通り殆どのページが滲んでいる、もしくはくっついていたりとまともに読める状態ではなかったが、なんとか乾いたページを引きはがしたところ一部だけ読めた。すると普通の日記らしいことが書かれている箇所とは別に明らかに異質な部分があった。



――8月3日

どう■■新聞に載せることがで■た。これで誰かの記憶■■■■くれれば、さらに言えばあの■■来てくれればま■■■る。どこ■でも■■■■る。


――8月4日

おか■い。頭■■で妙な音がする。耳じ■■い、これを書いている間■■■■と何かのささ■■■のような変な音。すご■■快だ。


■院に行ってみ■■幻聴だと言■れた。今も尚あの■■■まないどころかどんどん大きくなってきている。どうして?


―― 月 日

どうし てわたしが   まだ■■はあるのに    いやだ■■がして


――8月6日

怖い。昨■の私は一体何が■■たの?急いでここ■■■ないと。幸い■の声は今はしない。



「…なるほど、創作物で見たことはあるがまさか本物を見る日が来るとは思わなかったな」


 日を追うごとに段々悪化しているのがそれっぽいが、最後だけ正気に戻っているのがなんとも不気味だ。そして8月6日といえば丁度この記者が消えた日でもある。

 この日記の内容を信じるとするならば、これの持ち主は何かに追われていた。それと関連があるかは不明だが、頭の中の音に悩まされ街を離れることを決意した。しかし最後の最後でそれは叶わず、といったところか。

 だがそれと村の消失、その情報を新聞に載せることになんの関係があるのだろう。記憶とあるところから推測して、漁村についてだれかに覚えてもらう必要があったとかだろうか。


「…よくわからないな」


 そもそもこの日記に信憑性があるかどうかもわからない以上、余計なことを考えすぎても仕方がないかもしれない。とりあえずこの場所を色々調べた方が有意義だろう。


 それから数時間に渡って調べたが、建物どころか人がいた痕跡すら一切見つけることはできなかった。

 小説のネタにできそうなものもなく、空も雲がかかり薄暗くなってきたこともあり、そのまま帰ろうとしたがせめて最後にとカメラを海に向けて構えた。その時だった――


バサッ、バササッ


「!!」


 何かが背後で動く音がし、私はすぐさま振り向いた。今の今までそんな音を立てる物はなかったからだ。


「……これは一体…」


 それは全長70センチほどの謎の生き物だった。銀の光沢を放つ体、その4分の1はある大きな目とカジキやダツなどのような細長い口吻こうふんがある。ここまでは魚類のそれだが、鱗がなくヒレもない。代わりに前から後にかけて触手かトゲのようなものが生えていた。


 深海に棲む生物はその過酷な環境で生きるために独特な進化を遂げている。これも新種の深海魚かと一瞬思ったが、それにしては泳ぐのにも獲物を捕らえるのにも適した姿でもない。生物というよりライフル銃に近い形状で、私の知る他のどの生物にも類似しない全く未知の存在だった。


「…やはり海は面白い、こんな生き物がいたとは。…いや待て」


 新種の生物発見という偉業と好奇心に興奮していたが、ふと思い留まる。さっきまでここには何もなかった。そして今この生物は動いていないが先ほどの音は間違いなくから発せられていた。であるならばこの状況は…


「!!」


 私は直感的に後ろに飛び退いた。それと同時に倒れていた生物が起き上がり、細長い口吻から何かを発射した。

 発射物は目にも止まらぬ速さで私の立っていた場所に当たると小さな爆発を引き起こし、まさかの攻撃とその威力に完全な不意打ちを受けた私は体制を大きく崩し転んでしまう。すぐに立ち上がろうとしたが、宙に浮かぶその生物は既に第二射を撃つ直前らしく頭部が少し上がるのが見えた。

 こういう時、諦めた人間は目をつぶり顔をそむけるのが創作物の定石だが、私は目を離すことができなかった。


 やがてあの頭が再び私に向けられ、二発目が――


 




 放たれることはなかった。


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