第31話 春仙と春兎という名の二人の妓女



 花見の宴が始まった。荘興が口を開く。知名を迎えた彼の声量は若者のそれに負けてはいない。聞く者が自然とひれ伏したくなるような、朗々とした声が響きわたる。


 遅まきながらの新年を寿ぎ、来客たちには旧年中の引き立てへの謝意と新しい年の変わらぬ交流を、彼はこいねがった。そして、荘本家の者たちには、今までの働きをねぎらいこれからの無事息災を、彼は願った。


 祝いの席であれなんであれ、彼の挨拶はいつも短い。その内容もいつも似たり寄ったりだ。彼の言葉を聴く者たちは皆殊勝な顔をしているが、その内心は横にはべる妓女と彼女たちが持つ酒瓶の中身にしかないことを、彼は知っている。


 しかし今日はその後に特別な言葉が続いた。


「私事ではあるが、昨年、我が屋敷に美しい客人を迎えた。すでに承知されていることとは思うが、この場を借りて、そのお方を、あらためて皆に披露目しようと思う。その名を白麗さまといわれる。その可愛らしいお顔と姿ゆえに、天女だという噂があることも承知だ。また、この俺が、西国から来たという姉弟の女衒に騙されたという噂があることも承知だ。それらの噂が真実であるかどうかは、皆のその目でしかと確かめるとよいだろう」


 そこで彼は言葉を切り、満座を見渡した。期待に満ちた多くの目が彼を見つめている。それを確かめて、声と同じく年齢を感じさせない浅黒く精悍な顔に、人を魅了する笑みを浮かべた。


「ただ、天女であれ妓女であれ、女というものはその身支度には、男が思う以上の時が必要なものであるらしい。しばし待たれよ」


 その言葉に、女にじらされた覚えのある男たちはどっと笑い、その横にはべる女たちからは黄色い嬌声があがった。


「白麗さまがその姿を現せば、庭の作誇った梅の花も恥ずかしさで、たちまちに色あせてしまうことだろう。では、それまで、梅の花を愛でつつ、美酒を愉しまれるとよかろうぞ」


 その言葉を合図に楽器の妙なる音が流れてきた。庭に敷かれた毛氈の上で平伏していた女たちが立ち上がり、優雅に舞い始める。



 

 荘興の横に侍る妓女の春仙が男の持つ盃に酒を満たしながら言う。


「宗主さま、お招きありがとうございます。花見の宴は格別に盛況のご様子にございますれば、この春仙、我がことのように嬉しく思います」


 彼女は、少し前までは、その気品ある美しさと華やかさで、慶央一といわれる妓楼・紅天楼の看板を背負って立っていた。


 ここに居る妓女たちの誰よりも高く複雑に結い上げた艶のある黒髪。そして挿したたくさんの簪と笄。凝った織りと刺繍ではあるが、彼女の年齢を考えて少々地味にも見える薄青色の着物。あえて梅の花と競い合うことを避けた、彼女の賢さの表れでもある。晴れ渡った早春の薄青色の空があってこそ、梅の花もその美しさが引き立つというものだ。


 春仙が女らしくたおやかにその体を動かすたびに、簪の飾りは煌めいて揺れ、着物に焚きしめられた白檀がよい香りを放つ。


 少々その盛りは過ぎたが、それでもいまも『紅天楼に春仙あり』といわれている。美しくもあり賢くもあり寝所での術にも長け、そして琵琶の名手でもある。荘興と深くなじむようになって十年が過ぎた。


 病弱な正妻・李香が亡くなれば、荘興は彼女を身請けするだろうとは、慶央の姦しい雀たちのもっぱらの噂だ。しかしそれがないとは、春仙自身が一番よく知っている。

 

――妓女のあたしを蔑むこともなく、宗主さまはいつもお優しい。でも、そのお心は、病弱な正妻・李香さまものでもなく、また、李香さまの代わりに抱かれてきたあたしのものでもない。宗主さまはそのお心の中に、三十年もの長い間、髪が白いという少女を住まわせてこられた。そしていま、昨年の秋に白麗さまと出会い、この屋敷に住まわせておられる。いずれ、白麗さまを娶られるだろうという世間の噂。そうなれば、あたしも紅天楼から身を引いて、言い寄ってくださっているどなたかの妾になるしかない。しかしその前に……――


 酒の甕を手にしたまま、春仙は荘興の三男の康記の横に座る春兎を見やった。


 今年十五歳となる春兎は、将来を約束された美貌と才覚で、春仙の再来といわれている。春仙のもとであと数年修業して、紅天楼を背負って立つ妓女となる身だ。


 彼女はべったりと康記に貼りつくようにして座っている。


 康記が何ごとかを春兎の耳に囁く。口元を覆うこともなく春兎はけたたましく笑い、甲高い嬌声をあげた。その姿態は、酒館の安っぽい酌婦のようだ。初めて男の体を知った、盛りのついた犬猫と同じだ。


 それとなく意見をすることはしている。しかし、「あたしのことよりも、春仙お姐さまはご自分のことを心配なさったら。宗主さまのお心が離れてしまわないうちに」と、言い返された。


 細く弧を描いた眉と眉の間をひそめ、心優しい春仙は心を痛める。


 

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