白麗、花見の宴で笛を吹く

第29話 荘本家屋敷は花見の宴の準備で慌ただしい


 朝と夜は冷え込む。池に薄氷が張り、日中にときおり小雪が舞うのも相変わらずだ。しかし、陽射しの煌めきは隠しようがなく、荘本家の表座敷に望む庭に植えられた梅の花の蕾は五割がたほころんでいる。


 昨夜は、特別に冷え込んだ。朝になって、慶央の街を取り囲む城壁越しに西の方角を見やれば、六鹿山を中心とした山並みは白く雪化粧だ。


 しかしながら、花見の宴が催されるこの日は、まるで天上界に住まわれる神々に祝福されたかのように、晴れ渡った。夜のうちに真白く降りた霜は、東の空に昇り始めた陽に撫でられてきらきらと輝きながら解けていく。



 

 荘本家の屋敷内は、蜂の巣をつついたような騒ぎだ。大勢の下働きのもの達が花見の宴の準備のために忙しく立ち働いている。


「おい、手順を抜かるなよ」

「万が一、粗相があれば、屋敷から放り出されるぞ」

「そんな……。冷酷で通っている家宰さまでも、それはなかろう」

「いや、今日の花見の宴は特別だ。宗主さまのたいせつなお客人、白麗さまのお披露目なのだからな」


 男たちの間に、大きな荷物を抱えた女たちが割り込む。


「おまえさんたち、そこに立っていられたら邪魔だよ」

「箒を持って、いつまで庭を掃いているんだい。こちらは猫の手も借りたいほどに忙しいというのに」


「おい、おい。言ってくれるじゃないか」

「俺たちはな、昨夜は寝ていないんだぞ」


 動き回る人と人、重なり合う大きな声と声。

 彼らは体と手を動かしながらも、口もまたよく動いていた。


 だが、話の内容は忙しいことへの愚痴だが、その口調は明るい。

 こうした祝い事の慣例で、宴の終わった後に残った料理と酒は彼らに下げられる。客人たちが去れば、今夜は無礼講だ。彼らは腹が裂けるまで肉を食べ、美味い酒を吐くほどまで呑む。


 この日のために、暖かく動きやすい新しい着物が、荘本家の屋敷で働く者たちの皆に下された。お仕着せであっても、新しい着物に袖を通すのは、女たちには心が弾むほどに嬉しいことだ。また、酒席の酌のために妓楼の美女たちも呼ばれている。男たちは、彼女らの歌い舞う姿をちらっとでも拝めればそのまま昇天してもいいとさえ思っていることだろう。




 早春の陽射しがますます金色に輝きながら中天に昇り詰めたころ、用意万端整った荘本家屋敷に客人たちが集まり始めた。


 ごく内輪の宴という触れ込みであり、また実際にもそうである。


 しかし、荘本家の宴の末席にでも座りたいと願うものは、この慶央にはごまんといる。そのうえに、今回は、荘興が掌中の珠とする少女のお披露目をかねているのだ。


 白麗という名の少女は、天女のように美しい容姿だそうだ。そのことはすでに慶央の街中に広まっている。


 そして少女の吹く笛の音を聴けば、天にも昇る心地がして、万病が癒されるそうだ。


 ただ、少女がいつ笛を吹くのかは誰にもわからない。それでも屋敷内から漏れ聞こえる笛の音のせめてさわりだけでも聴けたらと願って、荘本家屋敷の高くめぐらした塀の外に、人々が集まるようになった。


 笛の音が風に乗って流れてくるのを、今か今かと彼らは待ちながら噂しあう。

「宗主さまの道楽が、ほんとうのことになるとは!」

「宗主さまは、いずれ、白麗さまを娶られるのだろうか?」


 そのうちに、いつ聴けるかわからない笛の音のために、通りの真ん中に椅子を持ち込んで座り込む者まで現れるようになった。そのうえに、それを当て込んで、熱い茶や饅頭を売りつけようとする商魂たくましい者まで出てくる始末。彼らを追い払うために、門番の人数が増やされた。


 そのような物見高い見物人たちが十重二十重と取り囲む荘本家の正門の前に、花見の宴の客人を乗せた馬車が次々と停まる。


 馬車から降りる彼らは、荘本家に招かれた優越感と、噂の美しい少女を間近に見る機会を得た期待を隠そうとしない。皆が皆、この日のために誂えた真新しく豪奢な着物をまとい、その顔には満面の笑みを浮かべている。


 そして、門前で待つ允陶の慇懃かつ丁寧な挨拶を受け、彼らは屋敷内へと入っていった。

 





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