※ 第一章 ※

荘興、さまよう白い髪の少女の存在を知る

第3話 十五歳の荘興、慶央を出奔する


 青陵国せいりょうこくは、広大な中華大陸の東の端に位置する国だ。

 大河を囲んで平野が広がり、遠くには低く連なる山々を展望する。気候は温暖。稲作が盛んで、田植えの季節ともなると、文字通り緑一色に染まる。


 青陵国は南北に細長い。

 それはまるで人の胴のような形をしている。


 その腹は隣国の越山国に向かい合い、その境をめぐって時に戦いが起きる。そしてまっすぐな背骨が貫く側は果てのない海だ。その広く青い大海原には島影の一つさえなく、遠く水平線の先で、突然、途切れているらしい。瀑布となった海水は奈落の底へと流れ落ちている……。




 これから始まる物語の主人公は荘興そう・こうという名だが、彼は彼の父・荘健政そう・けんせいのもとで、家族とともに青陵国の慶央けいおうという街に住んでいた。


 青陵国のみやこは北の地にある安陽あんようで、慶央はその安陽より遠く離れた南の地にある。青陵国に攻め入られその支配下に入る前までは、慶央は小さな国の都であった。そのために立派な城壁と、碁盤の目のように整然と区切られた街並みは、いまでも美しい形と機能を保っていた。


 光沢のある薄灰色の瓦の色から、<慶央の真珠>と称えられた美しい宮殿は戦乱の大火で消失してしまったが、その跡地には、役所や長官や太守の屋敷が、冬でも葉を落とさない木々に囲まれて建っている。


 慶央の街は、西は越山国えつざんこく、南は呉建国ごけんこくとの国境が近い。そのために、昔からいくさの絶えない地であった。だがそれは他国の人と物資が常に入ってくるということでもある。それはまた、慶央の街の南を悠々と流れる大河・江長川こうちょうがわの利とも重なっていた。


 安陽が青陵国の北の都であれば、慶央は青陵国の南の都だ。




 荘健政そう・けんせいは、慶央の市場を管理する役所で下級役人として働き、妻と子どもたちを養っていた。健政の父もそのまた父も、下級役人だった。そのために、彼も下級役人のまま、その一生を終えることは誰の目から見ても明らかなことだった。


 当時の人の一生というものは、母の胎内より生まれ、おぎゃあと産声をあげた時にすで決まっていた。自分ではどうしようもない出自というものが、身分という名前を持って死ぬまでついてまわるのだ。


 しかし、健政はなかなかに賢かった。また、人の頼み事にいやな顔をすることなく応え、それを解決する能力を持っていた。そのために、市場の人たちの間で、彼は下級役人でありながら人望があった。市場は人の往来が多く物に値がついて飛び交う分、厄介ごとの種は尽きることがない。「荘さんに頼めばなんとかなる」という噂は噂を呼び、そして人は人を呼んでくる。


 日々に持ち込まれる厄介ごとを引き受けては、彼はみごとに解決し謝礼を受けとった。そのうちに、その金子を元手として、彼は役人を辞して人足を斡旋する口入れ屋の主人となった。


 市場では、常に、働きたい者と人手の欲しい者の情報が溢れている。そういう人たちの仲介をする口入れ屋は、顔が広く世話焼きな彼の天職といえた。しかし彼は、この稼業を銭儲けというより人助けだと思っていた。


 当時にしては珍しく、健政は妻の珂葉かよう一人しか娶らなかった。荘家を継ぐ男子はこうだけで、あとは下に女の子が二人。その一人息子の興は、幼い時から利発で賢かった。父に似て顔つきもよく、長じるにつれて上背もあり体格もよくなる。誰もが神童だと誉めそやした。


 興が十五歳になるのを待って、健政とその妻の珂葉は今までに溜めた銭を彼に持たせて、都の安陽に遊学させることにした。


 都でよい先生について勉学に励み、いずれは科挙の試験に合格して欲しいと、彼ら夫婦は願った。そうなれば、荘家代々の者たちが望んでも手に入らなかった上級役人としての地位に、彼の息子はつくことが出来る。


 そのために、旅の道中の安全を考えて、安陽に向かう商団の一行に息子を託した。商団のしんがりについていく興の背中を見送る父母の心中は如何ばかりであったことだろう。とくに母の珂葉にとっては。


 この日のために、彼女は夜なべして着物を縫った。丈夫な木綿の筒袖の上衣と裾を紐で縛ったズボンだ。


 それをまとうひょろひょろと細い息子を、彼女は手を合わせていつまでも見送った。髷の根本を結んだ布の端と、道中に必要な一切合財を詰め込んだ大きな頭陀袋が揺れるその背中を、彼女は目に焼き付けた。


 しかしながら、親の心を子が知らないのはいつの世も同じだ。上級であれ下級であれ、当の本人である興には役人で一生を終える気持ちはさらさらなかった。皆に盛大に見送られて慶央を出立したが、彼は安陽に着くことはなかったのだ。


 慶央を出るとすぐに彼は商団を抜けて、青陵国を放浪する旅に出た。



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