第6話 恐怖症

 いちかは、この街の保養所でおとなしくしているはずだった。

 だが、ある日、いちかの中で、一つの病気のようなものが発覚したことが、

「いちかの人生の、分岐をあたえた」

 といってもいいだろう。

 彼女の身体が弱いことは、前述でも書いてきたが、その分、彼女には、

「他の人にはない」

 と言われる不思議な力が備わっていた。

 その力は、本人もよくわかっていないほど、的を得ることのできない大きなものだった。

 それは、

「あまりにも近づきすぎると、綺麗に見えるものも、見えなくなる」

 という感覚に似ていて、

「富士山を見る」

 という感覚に似ているのではないだろうか?

 要するに、

「灯台下暗し」

 とでもいおうか、見えているのに、近すぎて見えないという、一種の、

「石ころ」

 という発想に似ているのではないだろうか?

 そして、その石ころという存在こそが、

「相手に自分の存在を悟られないようにする」

 というものであり、その方が、

「曖昧な中に隠すにはいい」

 ということだろう。

 それは、一種の

「保護色」

 のようなものであり、それは、動物の中に、

「防衛本能」

 に結びつく特性ということになるのだろう。

 しかし、人間には、

「防衛本能」

 というものはあっても、そんな保護色のような機能が備わっているわけではない。

 それよりも、

「曖昧さ」

 ということで、相手に悟られないようにして、相手を騙すということで、こちらの身の安全を確保しようとする、

「頭を使ったやり方」

 というものが必要になってくるということであった。

 人間にとっての本能の凝縮のようなものが、

「この街の診療所には、存在している」

 といっていいだろう。

 この街における診療所というところは、そんな曖昧で、相手を欺いておいて、そして、「こちらを見えなくするというか、意識させない、石ころのような存在に見せておいて、何かの計画を暗躍する」

 ということになるのだろう。

 その暗躍というものが、進行していたのかということは定かではないが、その中で、暗躍しなければいけない立場だったものが、表に出てこようとするものの影響で、その機能があらわになってきた。

 それに気づく人は、いなかっただろうが、

「あんなところに、おかしな診療所がある」

 ということを、次第にたくさんの人が意識するようになるのだった。

 というのも、

「最初こそ、本当の石ころであり、目の前にあっても、その存在をまわりに意識させない」

 というような、保護色と照らし合わせても、そん色のないという、そんな存在だったのだが、次第に、そのメッキが剥がれていくように感じられたのだった。

 そのメッキというものがどういうものなのか、それを誰も気にしようとはしない。それが、

「診療所の曖昧さ」

 なのかも知れない。

 どこか、捉えどころのないその雰囲気に、次第に見えているのに感覚がマヒしてきているように思うのは、それは、最初にいきなり強烈なインパクト、いや、快感のようなものを植え付けて、その感覚を忘れてしまいそうになるのを、

「忘れたくない」

 という思いに集中させることで、肝心な部分への感覚をマヒさせるというやり方だってあるだろう。

 人間にとって、強烈な快感は、

「身体の感じる一部に集中させるのが、効果的だ」

 ということである。

 その感覚があるから、

「男と女は、馬鍬うことができて、子孫にその血を受け継いでいかせる」

 ということが可能なのだということになるのだろう。

「そんな快感というものを、いかに持続していくか?」

 ということで、

「人間だけではない、どの動物にも備わっている」

 ということなのだろうが、

「人間のように、反射的に行動するわけではなく、そこに思考というものが絡んでいる」ということで、人間にとって、

「何が大切なのか?」

 ということを考える必要が、きっと、どこかにあったのであろう。

 それを考えず、

「もちろん、考えなければいけない」

 という意識はあったに違いないが、それを考えずにきてしまったため、この診療所というところは、

「どこかで、何かのクーデターなるものでも起こさないと、その存在意義が失われてしまう」

 ということになるのだった。

 だから、このクーデターは、

「起こるべくして起こったクーデターだ」

 といってもいいだろう。

 しかし、クーデターだといっても、実際に、兵器を手にして戦うようなクーデターではなかった。

 内容は、

「軍事クーデター」

 に変わりはないが、やってのけたのは、いわゆる、

「サイバークーデター」

 といってもいいだろう。

 コンピュータサーバーの中に入り込んで、相手のコンピュータに重大なバグを起こさせ、その混乱に乗じるというのが、

「サイバーテロ」

 というものだ。

 だから、ここでいう、

「サイバークーデター」

 というのも、

「サイバーテロ」

 と内容的には、さほど変わるものではないだろう。

「テロが、クーデターに変わっただけだ」

 と言ってしまえばそれだけだが、

「その内容は、実際に起こったこととしては、まったく違ったことになるのかも知れない」

 といっても過言ではないだろう。

 そんな

「サイバークーデター」

 というものに、この街にただ、療養に来ているだけの、一人の女の子が絡んでいるというのはどういうことなのだろうか?

 彼女にはどんな秘密があり、その秘密が、この暗躍するために作られた、

「最重要国家機密扱い」

 というものにされた組織を、クーデターに導くことができるというのは、一体。どういうことなのだろうか?

 実際に、いちかという、

「まったく、診療所とは関係なく、あんなところに診療所なんてあったんだということを後になって知ったくらい」

 という女の子が、果たしてどのような影響を、この診療所に与えるというのだろうか?

 それを思うと、この世界が、どのように暗躍していたのか?

 ということを知ることになるだろう。

 それを示すのは、果たして、

「いちか」

 なのだろうか?

 それとも、この診療所内部からの、

「内部リークなのだろうか?」

 まさか、意外や意外、

「ここをひた隠しにしたい」

 とずっと考えていた、

「国家内の誰か」

 ということになるのだろうか?

 今まで、まったく療養所とは関係ないと思われていたいちかが、なぜ、どうして療養所とかかわりになったのかということは、誰も知らなかった。

 そもそも、今でも、いちかが療養所と関わっているということを知っている人は、ほとんどいないだろう。

 別に隠しているわけではないが、いちか自体があまり目立つタイプでもなく、それだけに、誰も、いちかのことを気にしようとは、思ってもいなかったのだろう。

 それだけ、療養所や、保養所の近くと、それ以外の場所とでは、まったく雰囲気の違ったとことだと言っても過言ではないだろう。

 それを思うと、

「この街に住んでいる人は、他の街とあまり変わりはない」

 ということで、それでも、この街に、こんな施設が偏っているというのは、後にも先にも、考えられることとしては、

「自然環境が整っている」

 というだけのことだった。

 最優先としては、自然環境で、それ以外のところでは、

「可もなく不可もなく」

 という状況であれば、それでよかった。

 この程度の街といえば、都会から見れば、さほど変わったところがない、おとなしく見えるところであった。

 だからこそ、このあたりの風光明媚なところを、街としても誘致することに、はばかりはなかった。

 何といっても、お金が何もしなくても、土地を貸すというだけで転がり込んでくるわけだし、都会に働きにいかなくても、療養所が、人数的には少ないが、一定数を雇ってくれるというのはありがたかった。

 保養所の方でも、

「お手伝いさん」

 という形で、世話をする人を募集しているところもあったりで、こちらも、職にはこまらない。

 それが、

「この街に療養所や、保養書の誘致に成功した」

 ということになるのだろう。

 いちかが、母親と一緒に、この街にやってきて、いちかが、一番不安に感じたのが、

「街の雰囲気」

 だった。

「どうしてなの? この街は静かでいい街じゃない」

 と母親がいうのだが、いちかは、完全に毛嫌いしているようだった。

「何が怖いというの?」

 と聞くと、

「夜が来るのが怖いのよ。真っ暗で薄気味悪いわ」

 というではないか。

「確かに、お母さんも、夜の暗闇は、寂しさを誘うようで嫌いだけど、慣れてきたつもりよ。あなたもそのうちに慣れてくるんじゃないの?」

 と、母親は、自分の経験からその話をした。

「そうかも知れないけど、私は嫌なの」

 と、半分ヒステリックになるのだった。

 どうやら、母親が自分の気持ちをまったく分かっていないかのように話すことに、苛立ちを覚え、さらに、こちらの言っていることの意味を理解しようとしないことがさらなる苛立ちを覚えるのだった。

 それを感じると、

「お母さんには、何を言っても無駄だわ」

 ということになったのだ。

 母親とすれば、

「きっと、この子は、おかしくなったんじゃないかしら?」

 と考えたのではないか?

 と、いちかは感じた。

 それはあくまでも、お母さんに対して、

「自分が下に見られている」

 と感じるからで、それが、

「親子の関係の、それではない」

 と思ったからだ。

 確かに、親子関係であれば、母親が子供に対して、

「自分が上だ」

 と思うのは当たり前で、そこには、子供に対しての、

「子育てを行う上での、権利と義務が存在している」

 ということである。

 普通であれば、

「子育てというのは、義務感が強くなる」

 と思うものだが、実際には、権利というのも存在しないと、親とすれば、きついだけである。

 それを子供の立場では分からない。

 子供の頃であれば、いろいろ言われるのは、

「親が義務を果たしてくれているから仕方がない」

 という、

「大人の理屈」

 というものが分かるような気がするのだった。

 だが、今度は子供が成長するにしたがって、次第に分からなくなってくる。

「大人になるにつれて、分からなくなるなんて」

 と思うかも知れないが、

「子供が大人になる」

 というためには、必要なことがあり、それが、

「思春期」

 であり、親や大人に対しての、

「反抗期」

 というものではないだろうか?

「大人になると、子供の頃のことを忘れたように、子供に対して、苛めのような感覚になる」

 と言われるが、それは、この、

「思春期」

 であったり、

「反抗期」

 というものを忘れてしまうのではないだろうか?

 といちかは、今考えていた。

 しかし、彼女は大人の立場というのは分かる気がするが、自分のことがよくわかっていない。

 だから、身体がどうして弱いのか?

 ということすら、自分で分からないことに、苛立ちを覚えるのだった。

 いちかは、実際に、

「頭が悪い子ではない」

 確かに、身体が弱いというところはあったが。それは、裏を返せば、

「繊細である」

 ということであった。

「気温や湿度の変化に対して、弱い」

 ということであり、さらには、

「喘息などの場合は、アレルギーに弱い」

 ということから、この保養所というところを進めてくれた医者は、

「ファインプレーだった」

 といってもいいだろう。

 そのことは、いちか自身も自分で分かっているのだが、何か苛立ちがあるのは、

「思春期の弊害があるからなのかしら?」

 と思うのだった。

 彼女の思春期は結構早かった。

 小学生の5年生の頃から、身体が発達し始め、初潮もその頃だった。

 さすがい、ビックリしたが、話には聞いていたので、

「ちょっと早いわね」

 というだけで、ただの儀式として、通り越えただけだった。

「身体の成長が早かったのは、お母さんも同じだったので、あなたには、ちょっと早いかと思ったけど、初潮の話はしておいたの」

 というのだった。

 そういう意味では、

「お母さんは、私のことをよくわかってくれているんだわ」

 と思ったのだが、逆に、

「それだけに、怖い」

 と思うのだった。

 そう考えると、いちかというのは、

「自分のことも、母親のことも結構よく分かっているのだが、その分かっているという自分に、いまいちの自信が持てない」

 ということになるのだろう。

 これは、誰にだってあることだろうが、早熟ないちかには、少し早すぎるのだ。

 だから、本来の年齢で感じなければいけないことが、少し早い時期で感じてしまうので、その分、自分の身体に負担が来ているというわけだ。

 医者はある程度のことが分かっているので、

「下手に薬を使うよりも、自然治癒できることなので、そっちの方がいい」

 と考えるようになったのだった。

 いちかというのは、それを考えた時、医者が考えていることも、少しは分かっていた。

 要するに、いちかのこの状態は、

「マイナス部分というよりも、それを補って余りあるだけの、プラス部分があるということになるので、それを生かす方がいい」

 と考えたのだ。

 だから、一番いいのは、

「最適な環境に、身体を慣らさせる」

 ということであった。

 しかし、それでひょっとすると、

「プラス部分が、消えてしまうかも知れない」

 という思いを、医者は抱いていた。

 それでも、

「どうすることが彼女のためにいいのか?」

 ということを考えると、

「これが一番いいに決まっている」

 と思ったのだ。

 しかし、まさか、彼女のこの感覚が、いや、彼女の中にある、

「密かな性格」

 というものが、秘密組織に利用されるなどということは思いもしなかった。

 もっとも、

「彼女の本質に近い性格」

 いや、

「その奥にある強い力」

 というものを、実は医者も分かってはいなかったのだ。

「何かある」

 とは思っていたが、それがどこまでのことなのか、それを思い知るというところまでは行っていなかったに違いない。

 いちかが、この病院を訪れたのは、偶然街で知り合いになった女の子が、この療養所に入院しているということを知って、お見舞いに来た時だった。

 この病院は、特殊な患者を受け入れてはいるが、だからといって、特別扱いをしているわけではない。

 だから、彼女としては、

「普通にお見舞い」

 に来たのであるし、病院側も、

「普通にお見舞い患者を受け入れた」

 というわけだ。

 ただし、精神疾患などがある患者に対しては、さすがに病院もシビアだ。

 盗聴や、病室の録音、防犯カメラなどは、普通に設置してある。

 もちろん、プライバシーに関しては、十分に厳しい。

 下手に、録音を表に流したり、ここで得たプライバシーを横流ししたり、しようとすれば、

「最低でも、この人は社会的に抹殺される」

 といっても過言ではない。

「処刑されないだけでも、ありがたいと思え」

 というほどの重大なことであり、さすがに、これは非合法なことなので、表の誰も知らないことだ。

 この秘密をばらしても同じことで、そうなると、まるで、

「国家反逆罪なみに、極刑に、処せられてもしかたがない」

 ということになるだろう。

 そして、ここに入院している人、それは

「深町唯」

 という女の子で、極端な高所恐怖症であり、それが原因で、様々な精神疾患になってしまっていたのだ。


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