第5話 クーデター
731部隊の生き残りともいえる人が、この療養所の発足人に名を連ねているということを、どれだけの人が知っているというのだろう。
幹部でも、昔からいる人でなければ、知る由もない。
何と言っても、戦後75年以上経っているのだ。
その時、
「まだ若手」
ということで、
「これからの時代を担う」
という年齢であっても、今だったら、100歳になっている計算だ。
今の職員というと、その人であっても、子供のさらに孫くらいが、入ってきてもいいくらいであろう。それだけ時代の流れというのは、何と激しいことであろうか。
昔、
「戦争を知らない子供たち」
なる歌が流行ったが、それも、もう半世紀前くらいになるのだ。
今の世代であれば、
「戦争を知らないどころか、戦争があったということすら、意識がない」
といってもいいだろう。
さすがに、学校では習うだろうから、
かつて、
「太平洋戦争」
なるものがあったということくらいしか分からないに違いない。
しかも、これは、
「連合国によって、そう言わされている」
と思っている人がいるだろう。
しかし、これは認識が違っている。
というのは、
「確かに、開戦時に、閣議決定された名前と違っている」
それは、
「日本を占領するうえで、自分たちが植民地政策をしていたことへの反発から出た名前」
ということで、この名前を、
「日本における戦争のスローガン」
ということになると、
「戦争が起こったのは、欧米列強による植民地政策のせいだ」
といって、日本の戦争スローガンを肯定してしまい、これから戦争犯罪を裁くという意味で、まずいことになるだろう。
だから、閣議決定され、日本で言われていた
「大東亜戦争」
という言葉は、
「口にしてはいけない」
ということになったのだ。
戦争のスローガンは、
「東アジアから、欧米を駆逐し、東アジアにて、新秩序を築く」
という意味で、
「大東亜共栄圏の建設」
というのが、日本における戦争の意義だったのだ。 それを認めるわけにはいかないということで、
「日本において、大東亜戦争という言葉を使ってはいけない」
ということになり、ずっと今までその慣習が続いているのだ。
だから、ほとんど、
「大東亜戦争」
という言葉を使う人はいないが、本来なら、サンフランシスコ講和条約において、日本が占領状態から脱却し、独立国として成立した時、本来であれば、
「大東亜戦争」
という言葉は解禁されたはずだった。
しかし、なぜか、ずっと、
「太平洋戦争」
という言葉を使っている。
考えてみれば、それもおかしな話で、
「戦争は、太平洋でしか起こったわけではない」
と言える。
確かに、アメリカ相手であれば、戦場のほとんどは、太平洋上でのことであったが、それ以前の、
「シナ事変:
さらに、陸軍の勢力範囲であった、東南アジアから、インド、ビルマにいたる南アジアという国だって、イギリスなどの欧州の国と戦った戦場ではないか?
これだけでも、
「いかに、アメリカに気を遣っているのか?」
ということであり、なるほど、
「日本という国は、独立していても、永遠にアメリカの属国だ」
と言われるわけだ。
「アメリカの国債を、強制的に買わされ、それを返さなくてもいい」
という、
「日米和親条約」
あるいは
「日米修好通商条約」
などの、不平等条約に勝るとも劣らない状態ではないか?
確かに日本は戦争に負けた。しかし、独立国としての権利は回復したではないか。
それなのに、どうして、日本は、
「アメリカのいうことを聞かなければならないのだ?」
ということであった。
日本が戦争に負けたということは、それまでアジアにおいて、
「盟主」
であった日本が瓦解したことで、他のアジアの国は、
「解放された」
と思っているかも知れないが、結局は、宗主国が戻ってきて、戦争や、ゲリラ戦によって独立を獲得した。
もっとも、
「それだけの時代背景だった」
といってもいいのかも知れないが、実際には、
「日本軍が残していった武器や、戦時中の教育などが行き届いていたことで、独立を勝ち得た」
と言えるのではないだろうか?
確かに、東南アジアに侵攻し、欧米勢力を駆逐した後、日本化計画が実施されたのは間違いのないことだろう。
しかし、統治するには、外国ではうまく行かず、一種の宗主国としての体制を押し付けるといえば言葉は悪いが、宗主国の体制や風俗を根付かせるというのは当たり前のことである。
「だったら、占領国が、欧米から日本に変わっただけではないか?」
と言われるかも知れないが、どこまで日本という国が、統治ということになったのかが問題だった。
そもそも、日本のように、
「欧米に負けないだけの体制を、共栄圏という形で育んでおく必要がある」
というわけだ。
その中で、盟主として、日本が代表となって、欧米に対抗するということに、どんな問題があるというのか?」
それを、統治されていた国は、
「欺瞞だというが、日本のおかげで、インフラは整備され、独立のための、準備が日本軍のおかげでできた」
というのも事実である。
「結果論だ」
と言われるかも知れないが、本当にそうであろうか?
最初にしっかりとした統治を行い、共栄するためには、いかに早い時期に、
「独立国家として」
さらに、
「共栄圏の一部としての機能を果たせるか?」
ということが大切なのではないだろうか?
そんな独立国家となった日本だが、それはあくまでも、
「建前上」
ということであって、結果としては、
「アメリカの属国」
ということであり、
「同盟国」
というのは、建前である。
言い方を変えると、
「傀儡国家」
といってもいいかも知れない、
何と言っても、日本という国は、かつて、
「満州国」
という隷属国家を作った。
日本もその満州国のようなものである、
「日本という国を後ろ盾にして、以前であれば、金を出させるということだったが、最近では、自衛隊の派遣というものを言ってきたり、アメリカの武器を買えなどといってくるので、属国としては、買わないわけにはいかないということだ」
日本のような国家は、アメリカにとってありがたいといってもいいだろう。
手放さないのは、どうしても、アジアで何かがあった時の、
「前線基地」
にできるからだ。
しかも、今は、朝鮮半島の緊張、中国の、尖閣諸島における領土問題、さらには、
「一つの中国」
というキャッチフレーズにおける。、
「台湾問題」
など、すべては日本の前線基地からの出撃である。
その後方支援をするのが、
「自衛隊」
ということで、
「防衛費の増額」
などと、ソーリのバカげた口車に乗せられた市民は、政府から、必要以上の、中国や北朝鮮にいたる防衛線を、必要以上に怖がって、ソーリの進める、
「軍事費増額」
というものに、恐怖心を植え付けられるのであった。
「そもそも、あいつが、戦争している国に、金をやったり、武器まで供与しようっていうんだから、バカバカしいにもほどがある」
というべきである。
なんといっても、今の憲法では、日本は、
「中立以外の道はない」
はずなのに、アメリカの口車に乗せられて、
「金を出してやったり、もう片方の国には、経済制裁を掛けたり」
という、本来であれば、戦争をしている片方の国と、同盟を結んでいるかのようなやり方である。
もっとも、その場合は、
「相互防衛」
ということで、
「同盟を結んでいる国が、第三国と戦争をする時は、同盟を結んでいる国と一緒に、相手国に対して線背を布告しないといけない」
というのが軍事同盟である。
日本の場合は、憲法にて、専守防衛が決まっているので、いくら同盟を結んでいても、同盟国が攻撃されているからといって、反撃してはいけないのだ。
あくまでも、
「自国が攻撃された場合、法律の範囲内での、防衛することができる」
というものである。
これは、まるで、刑法などにおける。
「違法性阻却の事由」
というような、
「正当防衛」
「緊急避難」
というものでもない限り、ありえないということになるのだった。
そんな日本において、実は、もう一つ、極秘裏に動いているプロジェクトがあった。
こちらの方がその機密性は高く、
「国家のトップクラスの人間であっても、知っていてはいけないレベル」
であった。
そのために、日本には、大日本帝国に近い形のものが、極秘裏に存在していた。だから、日本という国は、
「表の国家が存在していて、さらには、裏にも、国家というものが存在している」
ということである。
これは、もちろん、アメリカ政府も知らない。本当の地下組織であり、普段は、政府として、まったく機能しているわけではない。
もし、この組織が、
「国家として成立し、表に出てくることがあれば、それは、すでに、日本という国が、今の日本ではなくなってしまった時であり、自分が、その時に生きているという保証は、どこにもないのだった。
この組織は、大日本帝国における軍国主義が基本になっている。その主義において、何が強いのかというと、
「軍と警察」
であった。
すでにその時は、
「日本国政府」
というものは、この世には存在せず、存在しているものというと、
「新しい国家体制による、富国業兵がなされたあとの強力が軍隊と、どこにも妥協しない、腰抜けの日本政府ではない、新たな国家であろう」
と考えられる。
「その時は、何が起こってそんな風になっているのか、想像もつかない」
誰に想像がつくというのか、実際に、その時を密かに待っている、秘密組織の幹部たちにも想像ができない。
何と言っても、裏の政府として、その出番をじっと待っている幹部連中も、
「できることなら、俺たちが中心となった政府など、できないに越したことはないのだ」
ということであった。
そんな政府ができるということは、現在の日本政府が瓦解して。本体なら無政府状態で、カオスな世界の、一種の無法地帯状態において、モラルも何もなく、ただ、
「今日をいかに生きるか?」
ということを考えるだけで、その存在は、どうすることもできないのではないだろうか?
そんな秘密国家体制が、闇に蠢いているということを誰も知らないはずなのだが、実はこの街の湖のほとりにある、療養所は知っていたのだ。
知っているといっても、理事長だけが知っているだけだった。だから、具体的な現場の人にはする由もなく、だから、現場からどこかに漏れるという心配もなかった。
つまり、
「ここ日本には、少なくとも、二つの誰にも知られてはいけない、国家ぐるみに近い組織がある」
ということだ。
一つは、国家の中でも一部の人が知っているだけで、表には出せないという
「療養所」
の存在がある、
その理由が、創設当時の幹部に、
「731部隊」
のメンバーが関わっていたということが、今に尾を引いているからであった。
ただ、実は、それは表向きのことで、本当は別に理由があるのだ。
その、731部隊という問題があったとしても、本体であれば、
「あれから何年経っているというのか?」
ということである。
すでに、50年どころか、さらにそこから四半世紀が経っているのだ。
その人の、子供の孫が、今はすでに幹部になっていてもおかしくない時代である。
国家元首を世襲で行ったとすれば、
「すでに、3代以上くらいは続いている」
というくらいの時代背景ではないだろうか?
というのも、近くにある国で、国家元首が、世襲で受け継がれている国が、戦後から存在するが、そこも今は三代目ということになるではないか。
もっといえば、今の日本の天皇おそうだ、
「昭和から平成、そして令和」
と長く続いていることである。
「この元号は、天皇一代で、一元号ということに、明治以降は決まっている」
しかも、今回の、
「平成から、令和」
へと受け継がれたのは、これまで基本だった、
「生前退位」
があってはならなかったのだが、今回特例ということで認められ、明治以降の初めて、
「上皇」
というのが存在するようになったのだ。
これは、元々、
「これは、
「歴史上みられたような上皇や法皇の存在が弊害を生むおそれがあることと、天皇の自由な意思に基づかない退位の強制がありえること」
が理由であるということであったが、政府での話し合いにおいて、
「特別法」
を制定し、とりあえずは、
「今回は特例」
ということで、平成天皇の生前退位を認め、上皇が存在することになった。
しかし、これも考えてみれば、確かに歴史的に、平安時代などで行われた、
「院政」
というものがそれであり、天皇が、
「上皇になることで、天皇よりもさらに強い力を握ることで、自分の権力を維持していける」
という、それこそ、自分の立場を、誇示するということで、
「天皇の都合」
によっての、いわゆる、
「見せかけの譲位」
ということであった。
だが、それは、天皇が、
「国家元首だった」
という時代のことで、そもそも院政の始まり自体が、
「白河上皇の、皇位継承問題を有利にするため」
ということだったはずだ。
それだけ、自分の都合で、政治をいかようにもできる天皇というのは、そこまでの力があったのだ。
しかし、今の天皇は、あくまでも、
「象徴」
である。
大日本帝国においては、
「立憲君主の国」
ということで、実際に憲法上では、
「主権は天皇にあり、決定権のほとんどは天皇にあった」
ということであった。
前述のように、
「軍を統率はするが、政治には口を出さない」
という慣習が存在し、そのように行われてきた天皇制は、日本においては、
「うまく行っていた」
といってもいいだろうか。
正直そのために、、政治利用され、軍国主義に突っ走ったのは、天皇制があったからといってもいいかどうかは、果たして答えが出ているかどうか難しい、答えが出るとすれば、それは、今の、
「民主主義になって、大日本帝国は間違いだった」
と言えるだけの根拠がなければ、証明されたことにはならないだろう。
そういう意味で、この、
「日本国」
というのは、本当にいい国だと胸を張って言えるだろうか?
「戦争がなかった」
というだけで、どんどん悪い方に進んでいく。
政府の腐敗がそのいい例ではないだろうか?
「やはり、この国は、どこまで言っても、そこから超えることができない結界の中で、右往左往しているだけの国なのだ」
ということであった。
そんな中で、療養所が、一つのクーデターを起こした。
それは、世間一般には分からないことで、分かってしまうとまずいということになるのではないかと思えるのだ。
そのことをどのように考えるかというと、
「世間に見つかってしまうと、クーデターの失敗を意味する」
ということであった。
そもそも、この施設が、
「731部隊の生き残りによって作られた施設」
ということが分かってしまってはまずいからだった。
それは、政府が考えている、
「まずい」
ということではない。
政府が考えている、
「まずい」
ということは、かつての占領軍への
「遠慮」
ということであり、そもそも占領軍が、
「今になってまで、そんな過去のことにこだわりを持っているかどうか」
ということも分からないのに、勝手な忖度をしているからだ。
それは、
「大東亜戦争」
という言葉を使っても構わないのに、まだ、
「太平洋戦争」
という言葉を使うことで、いまさら存在しない、
「占領軍」
に気を遣っているというのと同じではないか?
ただ、これは、すでに、
「太平洋戦争」
という言葉が浸透してきているところ、いまさら、
「大東亜戦争」
と呼び変えるというのは、
「日本がかつての、軍国主義に帰ろうとしているのではないか?」
という、右翼的な考えの人間に忖度しないということと、アジアのかつての、
「大東亜共栄圏」
を押し付けられたと思っている国に対しての、忖度ではないだろうか?
ということは、
「日本は何に対して、遠慮しているのか? まるで立憲君主制だった国とその体制に対しての見えない亡霊に怯えているかのようであった」
それは、この診療所にも言えるのではないだろうか?
しかも、その感情は、さらに大きなもので、
「大日本帝国」
というものが、どういうものだったのか、今の時代に知っている人は、ほぼいない。
学校教育では、
「大日本帝国」
という時代が、日本にはかつて存在し、その国が、戦争を引き起こしたということを時系列で習うくらいだった。
「なぜ、戦争が起こったのか?」
そこは、結構曖昧だ。
あくまでも、歴史の流れの中で、
「戦争が起こった」
ということにしておかないと、戦争に対して、賛否両論があり、それぞれの主義に偏ってしまうと、それこそ、せっかく、
「太平洋戦争」
という言葉を使って、気を遣っているのに、その努力が水の泡になってしまう。
だからこそ、日本という国は、
「曖昧な中に存在していないとまずい」
ということになり、
「かつての敗戦国として、まだ、刑に服している」
という状態になって、しかるべきなのかも知れない。
それを思うと、
「日本が、このまま荒廃していくとすれば、この忖度の状態が、まったく影響していないのだ」
とは言えないだろう。
そのくせ、日本は、かつての戦争において、
「あまりにもたくさんの状況を、曖昧にし、もみ消してきた」
といってもいいだろう。
かつて存在した
「大日本帝国」
と、今の、
「日本国」
とでは、それだけ違う国になってしまったということであろう。
「日米安保」
などという問題が起こり、学制運動として暴動化した時代もあったが、もはや今の日本では、そんなデモや、過激派と呼ばれる人たちは、出てくることもないだろう。
それだけ、
「平和ボケ」
しているといってもいいのだろうが、では、
「この平和ボケは、自然と出てきたものなのか?」
それとも、
「誰かの手に寄って作られたものなのだろうか?」
と言えるのではないだろうか?
老婆心なのかも知れないが、誰かの手に寄って作られたと考えざるを得ない。そうでなければ、このような日本という国が、
「どうして、今まで戦争もせず、他の国の戦争に巻き込まれることがなかったのか?」
ということになる。
それは、
「日本を平和ボケにするために、何かの組織であったり、プロジェクト計画が暗躍していた」
といってもいいのではないだろうか?
そんな暗躍の中に、
「ひとつ関わっていたのではないか?」
と言えるのが、この診療所であった。
ここは、そもそも、
「731部隊の残冬」
が建設したということで、まわりにひた隠しにする秘密をもっていたわけなので、もう一つ何か暗躍するものが増えたといっても、どうせ、秘密裡にことを運ばなければいけないことに変わりはないのだ。
それを思うと、この組織は、
「どこまで。その任務を負っているのか?」
ということが、問題になるのだろうが、結局、
「いつ終わりにすればいいのか?」
ということを分からずに、今もずっと暗中模索していることで、
「終止符を打てなくなってしまっていた」
といってもいいだろう。
「戦争は、始めるよりも、終わらせる方が何倍も難しい」
というではないか。
ただ、一つ言えるのは。
「終わらせることの大変さ」
というものを、いかに和らげるか? ということになるのだとすれば、問題は、
「始める時の難しさ」
にあるのではないかと考えられる。
始めることの数倍、難しいと言われる
「終わらせること」
そのきっかけが、
「始めること」
というのであれば、これは、滑稽な禅問答のように思えてくるから、不思議なことであった。
そんな時代を考えていると、
「堂々巡り」
を繰り返しているというよりも、
「負のスパイラル」
というものを描いているということで、明らかに、破滅の道を歩んでいるようだ。
その破滅が何を意味するのか、
「施設の破滅」
というだけなのか、それとも、
「日本国の破滅」
ということなのか、さらに、
「日本国というものの体制の破滅」
ということなのか?
後の二つは、似ているようで似ていない。
「似て非なる者なのだ」
体制の崩壊だけであれば、国民はまだ生存できているということで、いいような気がするが、それは、占領を意味している。
かつての日本が、徹底抗戦をしていれば、
「日本国の破滅」
を意味し、
「国破れて山河在り」
という言葉は存在しなかったといってもいいだろう。
しかし、
「体制の崩壊」
というのであれば、立憲君主国という大日本帝国が崩壊しただけで、新たに、
「民主主義」
という日本国ができたというだけのことであろう。
しかし、
「そのために、今のような国家が生まれた」
ということで、
「永遠に終わることのない秘密をたくさん抱えたまま、まわりに怯えて忖度しながら、存在していないといけない」
という、足枷を付けていなければいけないのだった。
それで、本当に、
「存在している」
と言えるのだろうか?
それを考えると、日本の存在意義というものがどういうものなのかということを考えると、
「この秘密だらけで、今の日本国を象徴しているような、曖昧さというベールをかぶった組織」
が、いよいよ、その我慢の限界に達したといってもいいだろう。
では、その我慢というのは、どういうものなのだろうか?
正直、いまのところ分からない。
だが、何かのきっかけで、そういうことが起こったのだろうとしか言えないのだ。
その秘密を握っているのが、松橋いちかだったのだ。
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