第4話 軍と政府

 ドイツが開放された時、アウシュビッツを始めとした、

「ホロコースト」

 と呼ばれる、国家ぐるみでの、

「民族壊滅計画」

 という恐ろしい計画が催されていた。

 そこでは、

「ユダヤ人であったり、政府に対して批判的な人間を送り込んで、虐殺を繰り返していたのだ」

 ということであるが、本当にそれだけのことであろうか。

 旧日本軍、特に、関東軍が進めていたのは、

「民族壊滅計画」

 というものではない。

 なぜなら、日本における、

「満州国」

 というものの存在意義、

 さらには、

「大東亜戦争」

 の先頭意義というのは、一貫して、

「東アジアファースト」

 であったといってもいいだろう。

 満州国の建国理念の中に、

「五族共栄」

 というものがあった。

 これは、

「漢民族、満州民族、モンゴル民族、朝鮮民族、さらには、日本民族」

 という、これらの民族が、

「手に手を折り合って、新しい国、満州をともに、経営していこう」

 というものであった。

 しかも、そこにもう一つの、

「王道楽土」

 というスローガンがあり、

「満州族の国家である、清朝のような、満州人の国家」

 ということでの、帝国主義によって、進められる、

「あくまでも、日本の傀儡ではない」

 ということを言いたかったのだろう。

 しかも、満州国の建国というのには、大きな理由があった。

 それは、

「中華民国による、反日に対しての抵抗」

 というのもあったが、それ以上の問題としては、

「日本という国の、人口問題」

 というのが大きかった。

 当時日本は、凶作と、昭和恐慌によって、大きな打撃を受けていた。それによって、農民などは、

「娘を売らないといけない」

 というところまで追い込まれていて、それによって、人民の不満が大きくなっていたのだ。

 さすがに、実際に、領土が少ない日本ではどうすることもできない。

 そこで、満州鉄道の敷地付近に権益のある日本としては、クーデターを計画し、そこで一気に、満州を占領するという計画を立てたのだ。

 それが、日本における、

「満蒙問題」

 と、

「人口問題」

 を一気に解決するということにつながるのだ。

 満蒙問題とは、

「ソ連の脅威」

 であった。

「今は、ソ連がまだ、国内で混乱が続いているので、まだいいが、そのうちに、朝鮮や満州に食指を延ばして、念願の、不凍港というものを手に入れようとして、南下してくるに違いない」

 ということを防ぐための計画だったのだ。

 それを懸念した関東軍が起こした、

「満州事変」

 ただ、問題は、

「完全に占領してしまう」

 ということになると、

「日本における侵略行為」

 として、世界から攻撃を受けるということは当たり前のことであった。

 さすがに、欧米列強が、そんな日本の事情を知らないわけもなく、この作戦行動というのは、あくまでも、

「日本の自衛行動」

 でなければいけない。

 そのためには、占領し、植民地ということにしてしまうと、欧米列強が行っている植民地計画に、遅まきながら、乗っかるということになるのだ。

 だから、このままでは、欧米列強を刺激するということになるので、それをしないように、日本はそれらの計画を、

「欧米を刺激してはいけない」

 ということで、

「傀儡国家」

 という形にしたのだ。

 だから、

「清朝のラストエンペラーである、愛新覚羅溥儀を擁立し、彼をまずは執政ということで、満州国を建国し、そして、皇帝にすることで、満州帝国という、独立国家を作ったのだ」

 ということだ。

 その満州国の中に存在したのが、この、

「731部隊だ」

 ということである。

 この部隊は、満州国でも、2番目くらいの大都市である、

「ハルビン郊外にあった」

 とされる。

 ここで、本来の存在意義として言われている、

「建前」

 というのは、

「兵士の感染症予防や、そのための衛生的な給水体制の研究を主任務とすると同時に、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関」

 というものであった。

 だが、実際には、

「人体実験や、生物兵器の実戦的使用を行っていたとされる」

 と言われているのだった。

 つまり、彼らの目的は、

「民族壊滅のための虐殺」

 ということではなく、

「あくまでも、戦争に勝利するための、兵器開発のために、人体実験が行われていた」

 ということであり、どちらが、人道に反していたか?

 ということを考えると、

「単純に比較対象できるものではない」

 と言えるだろう。

 だが、あくまでも、ドイツにおいての、国際軍事裁判では、

「A級戦犯」

 ということで、裁かれた。

 しかし、日本でも、

「人道についての罪」

 ということでの

「A級戦犯」

 としては、

「731部隊」

 というものが問題ではなく、

「南京における虐殺事件」

 というものを中心に裁かれたものだった。

 これこそ、

「でっちあげだ」

 という話はある。

 確かに、

「南京事件」

 というものは、存在したことであろう。

 それが、どれほどの影響をもっていたのかということを考えると、

「日本を裁く」

 ということでは大きな意味があっただろう。

 しかし、本当であれば、

「731部隊」

 というものが裁かれるはずなのに、それが、

「連合国側の都合」

 ということで裁くことができないのだ。

 ということになると、やはり、ターゲットは南京事件ということになるだろう。

 そうなると、

「7人の処刑者」

 というのは、どういうことになるのか?

 あの裁判は、

「満州事変にさかのぼって」

 ということで裁かれているのであれば、

「石垣征四郎」

 という人物は、満州事件だけではなく、他でも罪状が明らかだっただけに、しょうがないとしても、

「計画、立案」

 という意味での最高責任者ともいうべき、

「石原莞爾」

 が裁かれなかったのは、おかしいという人もいるだろう。

 だが、これは、戦争犯罪人を裁くということで、一番の問題である、

「戦争を始めた内閣」

 ということで、

「東条内閣の面々」

 が、被告とされ、逮捕されている。

 となると、東条英機と犬猿の仲だったとされる、石原莞爾を裁くのは、

「本末転倒だ」

 ということになるのではないだろうか?

 そう考えれば、石原莞爾が起訴すらされなかったのも、分かる気がする。

 さて、そんな、極東軍事裁判であったが、今でも、その正当性が疑われている。

 というのは、C級戦犯としての、

「平和に対する罪」

 というのが、どういうことなのか?

 ということである。

 これはそもそも、事後に成立したものであり、司法において、そんなことは許されないといってもいいだろう。

 しかも、

「平和に対しての罪」

 ということであれば、戦争をしたのはお互い様であり、それを裁くのが、戦勝国だというのが、理不尽であった。

「では、無差別爆撃を行ったり、原子爆弾を投下し、一発で、数万人という人を虐殺し、大都市を、粉砕してしまうだけの悪魔の兵器を開発し、使用した方には、何の責任もないというのか?」

 ということである。

「こんな理不尽なことが、本当にあってもいいのだろうか?」

 日本は、平和のための、捨て石にされてしまったということになるのだろうか?

 なぜ、この診療所が、国家機密扱いになっているのかというと、

「血液銀行」

 の場合と違うからであった。

 それがどういうことであるかというと、その病院の幹部になった男が、

「7361部隊の幹部ではなかった」

 ということからだった。

 しかも、その男は、それを偽って幹部になり切ろうとした。

 そのことが国家に分かってしまった。

 最初は、そのことを、

「まるでなかったかのようにしようではないか?」

 ということを考えたのだが、そうもいかない。

 何と言っても、

「我々は敗戦国なのだ」

 ということである。

 そんなことが、相手にバレると、せっかく、独立国家としての復興を目指しているのに、すべてが水の泡になってしまうということは許されないことだった。

 何と言っても、幹部ということが、何かあった時に、

「簡単に抹殺できる」

 という考えが、相手国にあったのだ。

 幹部でなければ、相手にバレたからといって、簡単に抹殺することはできない。

 幹部であれば、

「やつは、731部隊の幹部だったということが分かったので、秘密裡に処分した」

 という言い訳も立つというものだ。

 しかし、

「幹部ではない」

 つまりは、

「幹部としての祥子がない」

 ということであれば、表向きは、

「一般市民なのだ」

 もう時代は、

「治安維持法が存在した時代」

 というわけではなく、あの頃というのは、基本的に、

「国民全員が一つの方向を向いている」

 という状況であった。

 つまりは。

「立憲君主」

 ということであり、

「憲法の範囲内」

 であれば、国民の権利を制限できるという時代だったのだ。

 法律というのは、今も昔も同じで、

「憲法という骨格になる法律があり、後の私法と呼ばれるものは、その憲法の範囲内で作られる」

 ということである。

 要するに、

「憲法の下で決まった法律なのだから、国民にとって理不尽であっても、従わなければいけない」

 というものだ。

 つまり、治安維持法というのは、

「国家の方針に従わない個人や団体は、検挙されるものだ」

 ということだ。

 だから、

「当局から眼をつけられた人物に対しては、国家が合法に、盗聴、盗撮が許される」

 ということだ。

 それが、首相であっても同じことで、下手をすれば、

「陸軍の、参謀総長」

 であっても、例外ではないかも知れない。

 大日本帝国における、

「陸軍の参謀総長」

 というと、軍の中では、

「天皇に次ぐ第一人者」

 ということであり、実質、

「軍のトップ」

 ということである。

 つまり、有事においては、

「一番従わなければいけない人物」

 ということになる。

 有事、つまりは、戦争中ということである。

 だから、宣戦布告の詔には、一般臣民とは別に、わざと、

「陸に海において」

 といって。

「目的完遂、つまり、戦勝という目的のために邁進する」

 ということを定めているのだった。

 日本という国は、国家の代表が、実際の戦争指導者ではない。

 大日本帝国の仕組みを知らない人は、

「政府が、いわゆる首相が戦争指導者だ」

 と思っているかも知れないが、実際にはそうではない。

 戦争責任者というのは、あくまでも、天皇であり、天皇直轄の軍というものが、その遂行を行うということだ。

 大日本帝国憲法には、

「天皇の統帥権」

 というものがある。

 これは、

「天皇は、陸海軍を統帥す」

 という言葉に書かれていることであり、つまりは、

「軍というのは、天皇直轄に存在している」

 というわけだ。

 明治時代からの慣例として、

「天皇は、政治に口出しはしてはいけない」

 ということを言われている。

 実際に、上奏してきた首相に対して、

「お前の言っていることはさっぱりわからん」

 といって、中座し、せっかく上奏してきた首相に、それ以上会おうとしないということをしてしまったことで、首相は責任を感じ、すぐに、内閣が総辞職してしまったということがあったのだ。

 この事件は、満州事変が起こる数年前に起こった、

「張作霖爆殺事件」

 と呼ばれるもので、その事件を聞いた首相が、上奏し、

「関東軍が関わっていないということを確認し、もし関わっているようであれば、即刻、調査して、ご報告します」

 といって、天皇は納得したのだったが、

 それからしばらくして、また首相が上奏した時、天皇に、

「どうなったのか?」

 と聞かれると、

「我が軍は関わっていない」

 というと、何か言い訳めいたことを並べて、天皇を、まるで、

「煙に巻こう」

 としたかのような態度だったことで、天皇もいらだちを覚えたのか、

「お前の言っていることはさっぱりわからん」

 ということになったのだ。

 本来であれば、政府の要人にこのようなことを言ってはいけないと分かっていたのだろうが、我慢できなかったのだろう。

 これが、

「昭和天皇と、田中義一首相」

 とのやり取りだったのだ。

 内閣総辞職になってしまったことを、天皇はかなり憂いていたという。

 だから、その後の御前会議などでも、あまり発言することなく、特に開戦前夜なども、その気持ちを、

「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」

 という、明治天皇の句を読み上げ、自身の気持ちは、

「平和愛好にある。外交努力に邁進せよ」

 と言いたかったのだろう。

 と言われている。

 これも、天皇の、

「ギリギリの考えによるものだった」

 といってもいいだろう。

 だが、不幸にも戦争になってしまった。

 それも、きっと、軍の考えに一理あると思ったからではないだろうか?

 というのも、

「戦争が始まって、まず、初手で大勝利を重ねて、ある程度のところまでいけば、講和条約を持ち掛けて、都合のいいところで戦争を終わらせよう」

 という考えだったのだろうからである。

 戦争というものに限らず、

「問題は、始める時よりも、終わらせる時の方が難しい」

 ということだ。

 戦争に突入することはできても、いかに終わらせるかということが難しいのだ。

 特に、日本は、

「資源の少ない国」

 特に、満州国の建国も、

「人口問題」

 であったではないか。

 それを考えると、日本が戦争に突入したというのは、無謀といえば無謀だったともいえるだろう。

 天皇が、この時、田中内閣総辞職を考えて、政治に口を出したというのは、ある意味。この時の、

「開戦前夜の句を詠んだ」

 という時と、終戦における、

「玉音放送の時だ」

 と言えるだろう。

 それ以降は、天皇は象徴ということなので、口を出すことはしない。

 だが、それはあくまでも、

「政治に対して」

 ということである。

 では、

「226事件の時はどうだったのか?」

 ということを聞く人がいるかも知れないが、これは、あくまでも、

「政治」

 というものではなく。

「陸軍青年将校におけるクーデター事件」

 ということなので、逆に、大元帥として。指示を出すのは当たり前ということだ。

 この時は、天皇も分かっていたのだろう。

「君側の奸」

 と見なした連中を、クーデターで暗殺していくというもので、そのほとんどが、

「昭和天皇の頼りにしている人」

 ということだったのだ。

 それも当たり前ということで、

「天皇は政治に口出しできないが、決定は天皇がするものだ」

 ということなので、当然、天皇には相談役というものが必要になってくる」

 その連中が一気に暗殺されたのである。

 ということは、天皇からすれば、

「反乱軍は、逆賊」

 ということになり、許せるわけはないのだ。

 それに、その時の事件の、時代背景、つまりは、軍内部の情勢というものが、問題だったのだ。

 というのも、この事件の前夜として、

「陸軍内部は、派閥争いでカオスになっていた」

 という事実がある。

 皇道派と呼ばれる連中と、統制派と呼ばれる連中との派閥争いが展開され、その中で、皇道派の青年将校が起こした、

「クーデター」

 だったのだ。

 狙われた人たちが全員、統制派だったということから考えると、これだけでも許されることではない。

 そして何よりも大きな問題は、

「天皇の軍隊」

 である軍を、

「勝手に動かして、暗殺に及んだ」

 ということである。

 つまり、統帥権において、軍を派遣するには、天皇の許可がいる。

 ということである。

 それは、参謀総長においても同じで、特に海外派兵は、勝手にやってはいけないということで、

「満州事変における林銑十郎、朝鮮総司令官が、まだ満州国が建国されていない満州に、朝鮮から越境するというのは、国外派兵と同じことになるのだ」

 その当時、朝鮮はすでに日本に併合されていて、

「国内」

 も同じことだったのだ。

 しかし、それでも、林銑十郎司令官は、その後、首相にもなる人だったので、それだけ満州事変というのは、大きな出来事だったといってもいいだろう。

 そんな国家において、大日本帝国は、

「天皇の国」

 ということなのだ。

 それが、臣民として当たり前のように受け止めていた。

 つまりは、

「軍というものは、天皇の軍」

 ということで国民も周知のことだっただあろう。

 だから、

「軍の命令は絶対」

 といってもいい。

「戦時中においての、絶対的な権力を有していたのは、内閣ではない。大本営なのである」

 ということだった。

 だから、天皇は、その時、

「反乱軍は許せない」

 といって、反乱軍に同情的だった陸軍首脳に対して。

「お前たちがやらないのなら。私が自ら軍を率いて、鎮圧する」

 と言ってのけたのも、無理もないことだろう。

 さすがに軍部もビックリして、

「私たちが説得します」

 ということで。反乱軍とみなされたことを兵に告げ、減退復帰を勧告した。

 それによって、減退復帰がなり、鎮圧された形になったのだが、これは、以前に海軍が起こした、

「515事件」

 とは、事情が違っていた。

 あの時は、

「犯罪者たちの刑は、恐ろしく軽かった」

 ということもあり、今回の反乱軍としても、

「死刑になることない」

 ということで、

「もし失敗しても、法廷で、君側の奸というものをぶちまけてやる」

 と考えていたことだろう。

 しかし、首謀者で、自害をせず、その役目を請け負ったつもりでいた連中だったが、結果としては、

「非公開、弁護人なし」

 という、最悪の状態で、全員が処刑されるということになったのだ。

 つまりは、

「臭い者には蓋」

 ということであろうか、最後には、

「クチナシ状態だった」

 ということになるのだ。

 このような、悲惨な事件が起こったことで、いよいよ軍部が力をもつようになる。

 というのも、

「皇道派が滅びて、統制派だけが生き残るような格好になったことで、統制派に固まったということになる」

 であろう。

 そうなると、曲がりなりにも統一された軍は、強く結集したといってもいいだろう。

 そんな状態で、満州から中国大陸に食指を延ばしていった日本は、いよいよ、

「大東亜戦争に突入していく」

 ということになるのだ。

 そんな状態において、天皇が軍部に口出しをしたということがあった。

 といっても、当時の参謀総長に、

「苦言を呈した」

 ということであるが、

 それが、開戦前夜の、当時の陸軍参謀総長であった、

「杉山元参謀総長」

 に対してであるが、その時天皇は、戦局について展望を尋ねたのだ。

「海軍は、半年や一年は、戦争継続はできるということであるが、陸軍としては、南方の資源確保までに、どれくらいかかると思っているのか?」

 ということを聞くと、

「三か月くらいではないかと思っております」

 と答えたという。

 それを聞いて、天皇は、

「威勢のいいことを言っているようだが、実際にまだ中国大陸の戦線では、もう、あれから2年が経とうとしようとしているのに、いまだに膠着状態ではないか?」

 と言われたが、それに対して、杉山総長は、

「何分、中国大陸は広く、奥地に入られては、時間がかかります」

 と言った。

 それを聞いた天皇は激怒し、

「太平洋はさらに広いではないか」

 といってあからさまに怒りをぶちまけたということであった。

 確かに天皇のいうとおりであり、さすがに杉山総長も、

「何も言えなかった」

 ということであった。

 それだけ、天皇は軍部に対していい分が強かったということであろう。

 天皇というのは、それだけ軍に対して強かったのだ。

 だから、敗戦後、占領軍は、

「天皇制廃止」

 というものに、舵を切っていたようだが、連合軍最高司令官であったマッカーサーは、

「天皇との面会で、言い訳一つしなかったことに感服し、天皇制を認めた」

 と言われるが、そもそも、国体として成り立っていたものをいきなり解体してしまえば、占領国として統制が利かあなくなるというのも、困るというものだ。

 天皇を、

「象徴」

 として残すというのは、あのマッカーサーの中で、

「数少ない営団だった」

 と言えるだろう。

 マッカーサーという男、少々危ない人物で、その後に起こった

「朝鮮戦争」

 というものでは、何度もやかかしている。

 特に、

「北朝鮮が攻めてくることはない」

 と考えたこと、そして、

「中国軍が介入してくることはない」

 ということで、何度も読み間違えて、韓国や連合軍を窮地に追いやったのだあ。

 挙句の果てに、

「中国に対して、数発の原爆投下支持」「

 というものを、トルーマンに進言するなど、さすがのトルーマンも恐ろしくなったのか、すぐに、

「マッカーサー解任」

 ということになったのだ。

 マッカーサーというのは、それだけ危険人物だったということだろう。


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