第五章 異世界の扉〈4〉
外へ出ると、それは突然のように起こった。
俺は思わず玄関の下駄箱の上の置き時計に目をやる。時刻は十一時。もちろん午後だ。
そんな時刻に、その目を疑うような光景は、紛れもない現実として俺達二人が外に出た途端起こったのだった……
「なんで……朝日が昇ってるんだ……」
あり得ない時刻の、あり得ない現実……
「来たわね……」
アドリーが呟く。口元には、不敵な笑み浮かべている。
逃げ惑っていた周りの人達ですら、その足を止めてあり得ない時刻の夜明けに呆然とし、モンスター達はその朝日に怯んでいた。
と、その時だった。
『アドリーちゃん! ちょっとゴメンなの!』
「あっ、バカ! ここで変わったら!」
突然リイネの声がしたかと思うと、アドリーの背は見る見る小さくなり、リイネの姿に戻った。
リイネは元に戻ると同時に、ブカブカのドレスを引きずって駆け出しながら声を上げた。
「西条さん! 小倉さん!」
そこに居たのは、突然の夜明けに立ち尽くしていた西城と小倉。だが、こんな状況下でも二人の態度は相変わらずだった。
「才賀、なにアンタ、そのイカレタ格好……」
西城がそう言い、小倉も表情を歪ませる。だが、それでもリイネは必死だった。
「あのね、あのね、携帯電話を持ってちゃダメなの! オバケになっちゃうの!」
「知ってる。さっき、やたらと腹に響く声を張り上げながら走ってくオバサンに会ったから……」
母さんか。そう答える西城、そして隣の小倉もモンスター化していないって事は、携帯はどこかに置いてきたんだろう。
「……ふん、もしかして自分だけが知ってるとでも思った? バカじゃないの」
「才賀のくせにさぁ、偉そうなんだよねぇ~」
西城といい、小倉といい、もう我慢の限界だ!
「おい、オマエら。それが心配して駆け寄ってきたリイネに対する態度かよ…!」
しかし、そう詰め寄る俺をリイネが止めた。
「アンちゃん! 今はいいの! よしてなの!」
「でも、リイネッ……!」
と、そんなリイネは、再び誰かを見つけたように駆け出した。
「菊田さん!」
あの時、リイネの事で俺の事を呼びに来たバスケ部の菊田だった。
「無事でよかったの! 菊田さんも携帯電話を――」
『ダメ! リイネ、そいつは!』
「やっと見、つけた」
この喋り方と声は……!
「リイネ! 菊田から離れろ!」
叫ぶと同時に俺はリイネの腕を取ろうとしたが、遅かった。
「魔蟲召喚――蟲拘束!」
リイネの足下に黒い魔法陣が浮かび上がり、そこから足の長い蜘蛛のような蟲がリイネの足を這い上がってゆく。と、蟲は糸を吐いてリイネを拘束した。その様子に西城と小倉は恐怖の叫びを上げ、俺は怒号を上げた。
「菊田ッ! いや、ミース=キュア! リイネを離せッ!」
制服姿だったはずのミース=キュアは、いつの間にか詰襟がやたらと高い黒い軍服のような長めのジャケットにスカート姿、あの軍服フェアリーと同じ格好になっていた。そして、その軍服フェアリーは、ミース=キュアの肩に腰掛けている。
そんな姿となったミース=キュアは、俺を無視してリイネに詰め寄った。
「才賀璃衣音、アナタ、に恨みは無い。アドリー出てきて」
が、リイネはそれどころではないようだった。いや、恐怖でパニックになっているとかじゃなく……
「アハハッ! ダ、ダメなの! アハ、アハッ!」
笑ってる、楽しそうに……
「どうして笑って、いるの?」
「だって、虫さん達、くすぐったいの」
「怖くは、ないの?」
「ううん、全然なの。虫さん、小さくてカワイイの」
ああ、そうだったな。リイネは虫に物怖じするタイプじゃなかった。家に出たゴキブリすら殺したら可哀想だって手づかみで外に逃がすような奴だった……
「才賀璃衣音、なんていい子……」
いや待て、なんで顔を赤くする、ミース=キュア。
その時だ。突如、モンスターを次々となぎ倒しながらこちらに近付いてくる光の一団が現れた。
「これはこれは、お取り込み中でしたか? ミース=キュア、そして、魔王クイーンアドリアーナ」
100人以上は見える光の一団の先頭を行く何者かが、こちらに話しかけてきた。
銀色の鎧を纏った騎士のような女性――いや、それだけじゃない。あの背中は……
「翼人……天族か……!」
デビルズサーガにおいて勇者を導く存在、天からの御使い『天族』。アドリー達が敵対している相手って、まさか!
「おい、アドリー! どういうことだよ!」
『だからダーリンには言いたくなかったのよ。そういう反応になるの分かってたから……』
「当たり前だろ! だって天族って言ったら――」
だが、アドリーは俺を無視するように、
『リイネ、変わるわよ……』
と、リイネの姿が再びアドリーの姿に変わり、天族の女性に目を向けた。
「ペイル、残念だけど魔王はもう廃業したの。今は魔法少女アドリーよ」
「これはこれは、少し見ない間にずいぶんと可愛らしくなりましたね。でも――」
と、天族の女性はアドリーに向かって掌をかざす。その瞬間、アドリーの顔が強張った。
「――
あのアドリーが一歩も動けなくなっている?
「ミース=キュアの拘束の上から我の天威を受けては、さすがの汝も口を開く事すら叶わぬでしょう」
「これはこれは、来栖杏さん。不思議そうな顔をしていますね。無理もない。これは我らが神より授かった天威という力なのです。魔法とは違うのですよ」
そう言いながらペイルは、俺に向かってにこやかな笑顔を見せた。
「お初にお目にかかります。我が名は
「天族には不殺生の戒律があるから敵を殺すことは出来ない……」
「おおっ!、ご存じでしたか!」
「だから自分達の代わりに魔王を討ち、世界を闇から救ってもらいたい。天族によって異世界に召喚された主人公が最初に告げられる言葉です。デビルズサーガの話ですけど……」
「あの我らの世界とこの世界を繋ぐゲートが出来た切っ掛けとなったゲームですね」
「そうです。だから俺は、ゲームの中のアナタ達しか知りませんけど――」
「その認識で間違ってはいません。我らは人々を救済し、導く存在――しかし、そんな使命を持った我らだというのに、我らは汝に謝罪しなければならない……」
途端、ペイルは悲痛な面持ちを見せた。
「……まずはこの状況。アドリアーナを捕らえる為とは言え、この軍団を通す為にゲートを広げ、この世界に混乱をもたらしてしまった。それは深く謝ります。もちろん責任は取りましょう。すでに
見れば、他の天族達が次々にモンスターを倒して回っていた。しかし、倒すとは言っても殺すのではなく、取り憑かれた人の体からモンスターの魂を天威とかいう力で追い出しているように見える。不殺生の戒律はここでも守られているようだった。
そして、傷ついた人々には、やはり天威で治癒もほどこしていた。
「それから我らの不手際によりアドリアーナが汝に迷惑をかけてしまった事。それも深く謝りましょう――しかし、同時にお礼も述べさせて下さい、来栖杏さん。汝のおかげでこうして簡単にアドリアーナを捕らえる事が出来ました。我らはすでにアドリアーナが災いの子としてこの世界に混沌をもたらしているものだと思っていましたから。
にっこりと笑うペイル。それはまさに天使の笑顔だった。でも……
「……でも、アドリーってそんな災いの子なんて言う程、悪い奴とも思えないんです。そりゃ確かにトラブルメーカーではあると思うけど……」
「汝は本当に優しいのですね――しかし、それは本当の魔王クイーンアドリアーナを知らないからです。この者がどれだけ数多の命をその手に掛けてきたことか……」
そう言えば、ミース=キュアも言っていた。あの女子の部室小屋での騒動の時、いつものアドリーならその場に居る全員を皆殺しにしていたって……
「そしてこの状況です。確かにゲートを広げてしまった責任は我らにありますが、ここまでモンスターが溢れかえっているのは――」
「それは、アドリー本人から聞きました。自分の膨大な魔力がモンスターを引き寄せると。だから災いの子なのだと。でもそれは……!」
「来栖杏さん、災いの子というのは、それだけではないのですよ」
そう言うと、ペイルは胸の前で両手を組み合わせ、祈るように言葉を続けた。
「『かの者は人々を惑わし、世を混沌へと導く者なり。かの者は一切の浄化を受け付けず』我ら天族の預言書には、そう記されているのです……」
「浄化……?」
「人は皆、例外無く業を背負って生まれてきます。これを原罪と呼ぶのですが、その原罪が人に苦悩や哀しみ、嫉妬、憎しみ、恐怖と言った負の感情をもたらします。そこで震えている西城恵理さんと小倉由香里さんのようにね」
ペイルは西城と小倉に目をやる。二人は「ヒッ……!」と悲鳴を漏らす。
「しかし、我らはそれを浄化する事が出来るのです。それでこその天族なのです。でも、アドリアーナにその浄化は効きません。それが災いの子である証なのです。放っておけば、アドリアーナは再びこの世界でも混沌をもたらすでしょう」
「それじゃ、アドリーは……」
「ええ。このまま我らの世界に連れ帰り、再び幽閉されます」
このまま? えっ!
「ちょ、ちょっと待ってくれ! それじゃリイネは! リイネはどうなるんです!」
「残念ですが、汝の愛する才賀璃衣音さんはすでに手遅れです」
「手遅れ! 手遅れってなんだよ!」
「アドリアーナの魂に才賀璃衣音さんの肉体――この世界における存在証明は、アドリアーナの膨大な魔力によりすでに浸食されてしまっています。いずれ彼女の肉体はアドリアーナの物となるでしょう」
俺は信じられない思いでアドリーに目をやった。
「本……当なのか……?」
と、今まで静観していたミース=キュアが不意に口を開いた。
「天族達の言っている、事は全部本当。今まで、にも兆候はあったはず。才賀璃衣音のまま勝手、に喋り出したり、殺気を、放ったり」
そうだ……確かにあった……
「逆に、アドリーの姿の、まま才賀璃衣音が話す事、が出来たり。それはアドリーの、支配力が強くなっている、証拠。才賀璃衣音は、戻らないのじゃなく、戻れない」
「で、でも、さっきはリイネが自分から元に戻って…!」
「それは単にアドリー、が譲っただけ。すでに才賀璃衣音、の意識は薄れてきている」
さっきからリイネが喋らなくなったとは思っていたけど、まさか……
俺は、アドリーの目の前まで行く。信じたくなかった。
「アドリー、オマエ、俺を騙していたのか……」
うつむくように、アドリーは目を逸らす。
「そうなんだな……」
「でも、才賀璃衣音を救う、方法が一つだけある」
俺は思わずミース=キュアに振り返る。
「よしなさい、ミース=キュア!」
ペイルは叫んだが、ミース=キュアはそのまま言葉を続けた。
「アドリー、を殺せばいい。そうすれば才賀璃衣音、は助かる」
気が付けば、俺はロングソードを手にしていた……
「いけません! 来栖杏! いかに愛する者を救う為とは言え、殺生をするなど!」
もう誰の声も俺の耳には届かなかった。リイネを守る、ただそれだけ……
その時だった。アドリーの目の前に赤い魔法陣が浮かび上がる。と、アドリーはその体から炎を吹き上げ、全ての拘束を振りほどいた。
そして、俺を睨んだ。
「悪いけどダーリン。いくらダーリンでも、はいそうですかって殺されてあげるわけにはいかないの」
「アドリー……」
「いいわ。五年前の決着をつけましょう」
「五年前の……」
「さあ、掛かってきなさいよ、勇者キョウ! この黒衣の魔王クイーンアドリアーナに勝てるものならね!」
ルビーのように美しい赤い瞳からは、凄まじいまでの殺気が炎のように放たれた。
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