第五章 異世界の扉〈3〉

 アドリーの話によれば、存在証明を乗っ取られた状態というのは、直接肉体に変化をもたらしているわけでは無く、言わば体が入れ替わっている状態なのだという。これはリイネとアドリーの入れ替わりも、乗っ取るか借り受けるかの違いだけで、原理は同じなのだそうだが――つまりは、たとえモンスターを真っ二つにしても、その人間の肉体が傷つく事はないという話だった。

 それを聞いた俺は、辛うじて覚えていたデビルズサーガの序盤の装備品であるロングソードを取り出した。まだMPが回復しきっていない今、聖剣シャイニングブリンガーは使えない。まあ、こんなナマクラじゃ、真っ二つになんて出来やしないが……

 だからアドリーにはだいぶ助けられた。

 ただまあ、コイツは放っておくと、すぐに辺り一面を火の海にしたがるから、それを止めることの方が忙しかったりもしたが……

 そうして家の前に着くと、


「父さん! 母さん!」


 俺は、叫びながら家の玄関に手を掛けた。

 が、俺が玄関を開けるより先に、玄関は開かれた。と言うより、中からブチ破られた。

 飛び出してきたのは、巨大な角を頭から生やしたオーガ。地面に転がったオーガはすぐに人間の姿に戻り、俺は恐る恐る家の中を覗く。

 すると、そこには世紀末覇者さながらに構えをとって「コォー」と、息吹を吐く母さんが立っていた。


「良かった杏、無事だったのね!」

「それはこっちのセリフだよ……」

「まあ、あんなオバケみたいなのが突然家に入ってきて襲ってきた時は驚いたけど、生き物であれば急所なんてみんな同じだもの。お母さんの敵じゃないわよ」


 いやいや、そういう問題か……?


「母さん! 母さんッ!」


 突然、居間の方から父さんの悲鳴にも似た叫び声が聞こえた。

 母さんはすぐに駆け出し、俺とアドリーはその後ろを追う。

 居間では、父さんがゴルフクラブを振り上げ、モンスターと対峙していた。しかし、そのモンスターは――


「スライムか!」


 ヌメヌメと、その溶解液で出来た体で辺りを溶かしながら父さんに迫ってくる。アイツじゃいくら母さんでも、どうしようもない。


「ダーリン、任せて!」


 すぐにアドリーは、コマンドを切って目前に魔法陣を浮かび上がらせる。しかし、それより先に母さんは動いた。

 地響きのような踏み込みでスライムに迫ると、その体に掌底突きを放つ。その瞬間、スライムは内部から爆発するように飛散したのだった。


「ウソだろ……」


 目を丸くしている俺に、母さんは事も無げに言うのだった。


「掌底突きは外部よりも内部の破壊を目的とした技なのよ。衝撃を拡散させる事によって内部に振動を伝えるの。母さんくらいの熟練者になると、水風船に強い波紋を発生させて内部から破裂させる事が出来るんだから」


 さすがは元世界最強の女。いや、今でも世界最強かも……


「と、とりあえず母さん! 父さん! 携帯電話をすぐに手放して! それからネット機器には近付かないで! 人がモンスターになるのはそれが全部原因なんだ!」

「あら、そうなの? まあ、私もお父さんも家の中で携帯は持ち歩かないから持ってはいないけど……」


 そう答えながら、不思議そうに母さんはアドリーに目をやる。

 と、すぐにアドリーは母さんに駆け寄った。


「おさま!」


 おいおい……


「ご挨拶が遅れました。わたくしはクイーンアドリアーナと申します。アドリーと気軽にお呼びになってください。そして、キョウさんのお嫁さんになる天才美少女魔法使いです」


 お辞儀をして、しおらしく挨拶しても、天才美少女魔法使いは譲らないんだな……

 しかし、母さんはそんなアドリーを不思議そうに見詰めたまま……

 すると、信じられない事を口にしたのだった。


「……へえ~、どういう理屈かは判らないけど、りっちゃんはアナタの中に居るのね。それとも、アナタがりっちゃんの中に居たのかしら?」

「「へえっ……!」」


 俺とアドリーはそろって素っ頓狂な声を上げた。リイネだけがノンキに驚く。


『すごいの! お母さん、リイネの居る場所がよく判ったの!』

「ふっふっふっ、空手の眼力はなんでもお見通しなのよ」


 いや、それもう空手関係ないんじゃ……


「ええと、アドリーさんだっけ? アナタからはとても不思議な強い力を感じるわ。息子と、りっちゃんのこと、お任せしてもいいかしら?」

「は……はい……」

「それから杏、心臓の方は大丈夫?」

「う、うん……」

「ならよかった。でも、絶対に無理はしちゃダメよ――それじゃ、お母さんはご近所さんや道場の子達が心配だから助けに行くわね。杏達にはやるべき事があるんでしょ? だったらそれをやりにいきなさい」


 それから母さんは、スライムから人間に戻った男の人を毛布でくるみ、担ぎ上げると、父さんの手を引っ張る。


「さあ、お父さん、行きましょう」

「あ、いや、しかし母さん、りっちゃんはどこに……? あの外人さんっぽい女の子の中に居るとかなんとか……」


 まあ、一番訳が分からないのは父さんだよな……

 しかし、母さんはイタズラっぽい笑みを浮かべ、


「そういう事もあるのよ。さあ、早く早く」


 そう言って父さんの手を引き、玄関の方から外へと駆け出していった。


「お義母さまが強いのは知っていたけど……お義母さまって、アタシと同じ世界の人間だったっけ…?」

「まさか……」

「だって、あの強さと眼力って、高僧兵ハイプリーストモンクのレベルよ。ガチでこられたらアタシだってヤバイかも……」

『お母さんはすごいの! 無敵なの!』

「素直に驚けるリイネがうらやましいよ……」


 まさか自分の母親が世界最強どころか異世界レベルの強さだったとは……


「とりあえず、俺達も行くか……」

「そうね……」


 俺とアドリーは、呆然としたまま玄関へと向かった。

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