第五章 異世界の扉〈2〉

 俺は驚いて辺りを見回す。だが、アドリーは驚く様子も無く、ただ呆れた顔でその声に返したのだった。


「だからぁ、アンタは相変わらず言葉の切り方がおかしいのよ、ミー」

『わたしをミー、と呼ぶな!』

「お、おい、アドリー、この声はどこから……」


 と、シルヴィが斜め上をアゴで指す。そこには――


「フェアリー?」


 昆虫のウスバカゲロウのような羽をはためかせ、それは俺達を見下ろしていた。幼い少女のような顔立ちに、やたらと詰め襟の高い黒い軍服のような長めのジャケットとスカートを履いている。フェアリーはデビルズサーガにも何度も登場するが、大抵はワンピースかドレスを着ている。あんな軍服みたいな格好のフェアリーは初めてだ。


「久しぶりね、ミース=キュア」

「ミース=キュア……?」


 と、シルヴィーが上空の軍服フェアリーに鋭い視線を向けたまま答えた。


「我らの内の三人目だ」


 そうか。漆黒の魔王アドリーに付き従う二人の手下の内のもう一人か。

 シルヴィ戦の後に戦う事になるのかと思ったら、次には漆黒の魔王アドリーが出てきて結局戦う事は無かったけど……


「……でも、三人目ってフェアリーだったか?」

「ダーリン、アレはあの子のペットよ。要するに使い魔。今はあの子によって喋らされているの。そして、あのペットの目を通してずっとアタシ達を監視もしていた」

「監視って……オマエら、仲間なんじゃ……」

「気付い、ていたの…?」

「当たり前じゃない、アタシを誰だと思ってんのよ」


 アドリーは上空のフェアリーを睨み付ける。


「アタシが子供だった頃のダーリンを助けた後、アンタはシルヴィと一緒に受肉に成功した。そして、アタシは底をついてしまった魔力を回復させる為にリイネの中に避難し、魂の眠りについた。その時からずっと監視していたものね」

「つまり、五年も前からあのフェアリーは、俺とリイネの周りを飛んでいたっていうのか!」

「気付かぬのも無理はない。フェアリーは姿を消すことが出来るからな」

「西城達にダーリンが裸のリイネを運んでいる動画を渡したのもアンタでしょ?」

「なっ……!」

「アナタが完全に覚醒したか調べる、必要があった。それには才賀璃衣音と来栖杏を窮地に追い込む、のが最良の手だった。だから西城のスマホ、にあの動画を匿名で送ってやった。部室での事は西城あの子達が勝手、に仕組んだこと。上手く事は運んでくれたけど、アナタは完全には覚醒していない、みたいね。覚醒していた、ならその場に居る人間を皆殺しにしている、はず」

「そうだったっけ?」


 とぼけるように鼻で笑うアドリー。


「それでもアナタの魔力は膨大、すぎる。すでにここの座標はアイツら、に知られてしまった。もう向かって、来ている。奴らの予言の書に記された災いの子、であるアドリアーナを再び幽閉、する為に」


 災いの子?


「んなこたァ分かってるわよ。――で、どうする気?」

「アイツらが来る前にアナタ、をコロスッ……!」


 そう言い放つと同時に軍服フェアリーは姿を消し、俺達はいつの間にか黒い影に囲まれていた。ザワザワザワザワと、無数の不気味な足音が聞こえる……


「これは……」

「火炎蟲に毒霧鎌に人斬り蟲。よくもまあ、この勝手の違う異世界でこれだけの魔蟲を召喚したものね。あぁ~、キッモ……」

「ミース=キュア。蟲姫の異名で呼ばれている女だ」

「蟲使いか!」


 蟲系のモンスターはデビルズサーガでも厄介な部類の敵だ。一個体は小さいが集団で襲ってくる。その後ろで蟲使いが統率を取ったら、それはもう軍隊と変わらない。


「しかも火炎蟲が混ざっているんじゃ、アドリーも炎を使えないか……」


 火を纏ったダンゴ虫みたいなモンスター『火炎蟲』。アイツは火を吸い取って魔力に変え、それを仲間に分け与えてしまう。


「……こういう時は、まず蟲の足を止める!」


 俺は右手を前にかざし、左の人差し指でコマンドを切る。上、下、左、右。

 目の前に浮かび上がる水色の魔法陣。呪文を詠唱。


「すべてを凍てつかせる暴風よ――暴風氷雪ブリザード!」


 氷の結晶が俺達の周りを守るように渦巻き、やがてそれは暴風となって触れるものすべてを凍り付かせる。中級魔法では最高ランクの氷魔法だ。これで大半の蟲たちは凍り付く――はずだった。


「あれ? なんで……」


 蟲の大群の前列だけを凍り付かせると、ブリザードはすぐに止まってしまったのだった。

 と、アドリーが俺に呆れた顔を向けた。


「今のダーリンの魔力で魔法が使えるわけないじゃない。あのトカゲ女に散々吸われているんだから」


 そうか。生身じゃゲームみたいにパラメーターが見えるわけじゃないから気が付かなかった……


「ダーリンは正直すぎるのよ。こういう時はね、こうするのが一番」


 アドリーは俺の左手を握り、右でコマンドを切る。


「流麗なる風の流れよ、翼となりて我を運べ――高速飛翔ハイフライ!」


 アドリーは、一瞬で俺を連れて空へと舞い上がった。


「逃げるが勝ちってね」


 そう言ってウインクするアドリー。

 だが、空に上がった俺達の前にさっきの軍服フェアリーが立ちはだかる。


「逃が、さない!」


 言い放つと同時に、軍服フェアリーの背後から凄まじい羽音が聞こえてきた。どこからか現れたのは、こぶし大の大きさをした黒いハエの大群。吸血蠅だ。


「だから、しつこいのよ!」


 アドリーは即座に右手でコマンドを切り、真っ赤な魔法陣を浮かび上がらせる。


「熱風よ、触れるもの全てを焼き尽くせ――豪炎暴風ファイヤー・ゲイル!」


 炎系高位魔法。1000度を超える熱風が吹き荒れ、吸血蠅の大群を焼き尽くしてゆく。

 しかし、昨日みたいにアドリーの赤い瞳が輝くことも、その赤い髪が逆立つこともなかった。てっきり炎系の魔法を使うとそうなるものだと思っていたけど……


「ぐぬぬぅ……」と、歯ぎしりをする軍服フェアリー。


 と、そんな軍服フェアリーにアドリーはニヤつきながら言うのだった。


「ほらほら、下はいいの? アンタのかわいい蟲たち、ほっといたらシルヴィにみんな殺されちゃうわよ」


 見れば、シルヴィは魔剣ゴウスツの一振りでかなりの数を減らしていた。その魔剣も、そして纏った魔装クワイエンもすでに元に戻っている。魔を冠する装備に自己修復機能が備わっているのは、デビルズサーガゲームと同じみたいだ。


「こ、こらー、シルヴィ! ゆる、さない!」


 軍服フェアリーは、慌てるように地上へと向かう。


「シルヴィ、ここは任せたわよ!」

「うむ、任された!」


 アドリーはシルヴィの返事と共に俺を連れて上空へと登り工事現場を離れる。


「なあ、アドリー、本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。シルヴィって中身は残念だけど、強さはダーリンも知っての通りだもの。それに、もし万が一後れを取るような事があっても、ミーは殺すまでしないわ。あの子が本当に殺したいのはアタシなんだから」

「なんでそんなに恨み買ってんだよ。仲間じゃないのか?」

「共通の敵を前に休戦協定を結んだだけよ。あの子がアタシを許すなんて永遠にないと思うわ。過去にアタシ、あの子の可愛がっていた蟲どもを皆殺しにしてるから」

「それじゃ恨まれて当然だろ……」

「でもさダーリン。う~んとね……あっ、ダーリン、肩にゴキブリ!」

「はっ? えっ! ウソッ!」


 俺は思わずバタバタとするが、ゴキブリなどは付いていない。

 と、アドリーは疲れるように言った。


「ねっ? 普通はそうなるでしょ。でもあの子にとってはゴキブリもカブトムシも、ウジ虫もアリンコも、蛾も蝶も、全部等しくかわいい蟲たちなの。アタシは全部キライだけど。で、そんなミーはその昔、アタシのアジトの近くで蟲たちの楽園を作ったのよ。そりゃあ地獄絵図だったわ。アタシはただ害虫駆除をしただけよ」


 まあ、そこまで極端だとアドリーの気持ちも分からなくもないが……


「それよりダーリン、ここからは覚悟してね。アタシの予想が正しければ、町はきっと蟲なんかよりも地獄絵図になってるから……」


 上空から町へと下りてゆくアドリー。

 と、そこには目を疑う光景が広がっていた。


「なんだよこれ……モンスターだらけじゃないか!」


 町にはオークやゴブリンなどの人型モンスターが闊歩し、獣型、虫類型、アンデット型、ヒドラなんて巨大モンスターまで暴れている。訳も分からず悲鳴を上げて逃げ惑う人々。その中には逃げながらモンスターへと姿を変える人までいて、アドリーの言う通り、確かに町は地獄絵図だった。


「やっぱりね。アイツら、アタシがゲートの周りに張った結界を破ってゲートを広げたんだわ」

「ゲートって、デビルズサーガとアドリー達の世界を繋げているっていう……」

「ええ、そうよ。さっきシルヴィも言っていた通り、アタシが広げたとは言ってもゲートは人間一人が通れるくらいの小さな穴でしかない。あんなヒドラみたいな巨大種が通れるような広げ方はしてないもの。だけど、数日前にアタシが覚醒した事でアイツらはアタシの魔力をすぐに感知してゲートを発見し結界を破った。そうやって出てきたモンスターが、あのリザードマン変異種やオークやゴブリン共。その前にこの町を騒がせていたリザードマンなんかは、シルヴィーが秘密裏に処理してくれていたみたいだけど」


 朝アドリーが言っていた秘密裏に処理していた人物ってシルヴィーの事だったのか。


「でも、それにしたって出口になっているのはデビルズサーガだろ? 五年も前のゲームだぞ? そりゃ、今もプレイしていない人間がいないわけじゃないだろうけど――」

「それじゃ、ダーリンを襲ったモンスターどもは、どこから出てきたと思う?」

「えっ……?」

「デビルズサーガがオフライン仕様だったら問題も無かったでしょうけど、残念なことにあのゲームはオンライン。そして、この世界のインターネットはすべて繋がっているでしょ?」

「そうか……異世界からゲートを通ってデビルズサーガに出てきたモンスターの魂は、ネットを介してどこからでも現れる……それじゃ、こんな事が世界中で!」

「落ち着いてダーリン。それは大丈夫。こんな事態になっているのは、きっとこの園北市だけだから」

「それは、どういう……?」

「こんな事、隠してもしょうがないから正直に話すけど、こんな風にモンスターが溢れてきているのは、半分はアタシのせいでもあるの。アタシの中の膨大な魔力がモンスターを引き寄せちゃうのよ。こんな事は、子供の頃からそう……」


 辛そうな、寂しそうな、そんな顔を見せるアドリー。それは、初めて見るアドリーの表情だった。

 膨大な魔力を持って生まれてきてしまった為に、モンスターを引き寄せてしまう。きっと子供の頃から忌み嫌われ、だから災いの子だなんて……

 でも、それは決してアドリーのせいなんかじゃなく、その気持ちは俺にも痛い程よくわかった。俺も自分の心臓のせいで色々と辛い思いをしてきたから。


「とにかくアドリー、今はこの状況をどうにかしよう。まずは人間のモンスター化を食い止めるには、どうすればいい?」

「ネットに繋がる物に近付かない事ね。魂は物質世界じゃ長く存在できないから漂って誰かに取り憑くなんて事はないけど、電源の入った状態で密着させていたら取り憑かれるわ。ダーリンはケータイ持ってないし、リイネはアタシが中に居るから大丈夫だけど」

「わかった。それじゃ、町の人にそれを呼び掛けながらモンスター化した人間は倒して助ける!」


 と、駆け出そうとしたその時だった。


『アンちゃん! アンちゃん!』

「リイネか!」


 突然、頭に響いてきたリイネの声。


「リイネ、話せるようになったのね……」


 ん? アドリーの表情が一瞬曇ったような……


『あのね、アドリーちゃん。お家に行ってほしいの。お父さんとお母さんが……』


 しまった! 何やってんだ俺は! テンパリ過ぎて家のことを忘れるなんて!


「アドリー! とりあえず家に向かうぞ!」


 俺は家へと駆け出した。

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