第三章 悪意の渦中〈3〉

 女子部室小屋の前まで行くと、そのドアは開けっぱなしになっていて、そこで俺は愕然と立ち尽くした。

 下駄箱が並ぶその先。壁一面にロッカーが並ぶ更衣室で、困った笑顔を浮かべて立ち尽くしているリイネ。その手には、ズタズタに切り裂かれたバスケットシューズが握られていた。

 リイネのだ。


「アイツら、ここまでやるかよッ……!」


 俺は立ち尽くすリイネの所へと駆け寄る。

 リイネは、困った笑顔のまま俺を見上げた。


「アンちゃん、困ったの。これじゃ練習出来ないの……」

「リイネ、それ貸せ。バスケ部員全員に見せて、あの二人の事も洗いざらい全部ぶちまけてきてやる!」


 俺はリイネの手からひったくるように切り裂かれたバッシュを手にし、体育館へ向かおうとした。

 と、そこに見たくも無い顔が入口に立ち塞がった。


「おたくら二人、女子の部室小屋で何やってんの? ここ女子更衣室なんですけど?」


 ニヤけた面をした西城だった。


「ふざけるなよオマエ……! 自分らが何やったか分かってんのかッ!」


 俺は怒鳴って切り裂かれたバッシュを西城に突きつける。

 だが、西城はニヤけたまま返してくるのだった。


「やっだー、ひどい事する奴が居るねぇ~。で、私や小倉を疑っていると。証拠は?」

「とぼけんな! 悪いがあの動画、職員室に持って行くからな!」

「来栖、そういう事を軽々しく言わない方がいいと思うよぉ~」


 言いながら西城は、あらかじめ用意していたかのようにバスケ部のユニフォームの短パンのポケットから自分のスマホを取り出し、俺の目の前に突き出す。


「ほらこれ」


 画面に映っていたのは、とある動画。同時に俺は言葉を失った。

 それは、昨日俺がリイネを抱えて家に帰っている様子が撮られた物だったのだ。


「これさ、肩は見えてるし、裸足だし、才賀は明らかに裸だよね? 裸の女子、カーテン一枚でくるんで、それをオンブして出歩くとか、一体どんなプレイ? アッハハハハ! 最悪のヘンタイだよね?」

「そんな物どこで……」

「来栖があの動画を教師の所に持って行くって言うなら、私はこの動画、ネットにアップして学校中にもバラまくから」


 ニヤけヅラだった西城は、一変して俺を睨み付けてくる。

 と、そこに、まるで見計らったかのように声が上がった。


「古茂田部長、早く早くぅ! 男子が女子の部室に入ってるんですぅ!」


 ――しまった!

 瞬間、俺はそう思い、歯ぎしりをした。

 俺とリイネは、西城と小倉にハメられたのだ。二人が菊田を使って俺をここにおびき寄せて、俺とリイネがここに一緒に居る現場をバスケ部の連中に押さえさせる、そういう計画だったんだ。

 足を踏み入れたのは軽率だったと、俺は歯ぎしりをするが、もう時すでに遅しだ。追い込まれた……


「おい一年、何やってんだよ。女子と二人で女子の部室に居るとかありえねえだろ……」


 小倉に呼ばれてやって来たバスケ部の部長である三年の古茂田は、俺とリイネを見るなり軽蔑の眼差しを向けた。そこに後ろから数人、バスケ部の男子と女子も大騒ぎしながらやって来て、「信じらんない……」、「ありえない……」、と口々にしながら、やはり軽蔑の眼差しを向ける。

 だが、俺だって食い下がった。


「誤解だ! それよりもこれ見ろよ! リイネのバッシュがこんな事になってんだぞ!」


 俺が目の前に突き出した切り裂かれたリイネのバッシュに、古茂田は眉間にシワを寄せる。

 そうだ。この証拠を見れば――

 だが、古茂田が次に放った言葉は、信じられない物だった。


「だからって女子の部室に入っていい理由にはならねえだろ。ここ女子更衣室だぞ」

「ふざけんな! これ見て何も思わないのかよ! まずは誰かやったかとか、考えるのが先だろ!」

「何だよオマエ、一年だろ。敬語つかえよ」


 なんだコイツ……


「もういいよ、話にならない。このバッシュ、オマエらの顧問の先生に見せてくる。行くぞリイネ」


 だが、すぐに古茂田は言うのだった。


「顧問なら今日休みだよ――」


 そして、威圧的に俺を睨んだ。


「――それにさ、もし今日顧問が休みじゃなかったとしても、そんなこと言いに行ったらオマエが女子と二人きりでここに入っていた事がバレるんじゃねえの? そうしたらオマエと才賀だってただじゃ済まないぞ」

「俺は何もやましい事はやってない!」

「口じゃいくらだって言えるだろ。だいいちそのバッシュにしたって、オマエが入口で才賀から受け取ればいいだけの話だったんじゃねえの? 俺らから見たら、オマエと才賀がここに二人きりで居る所を、小倉と西城に見られて慌てて作った言い訳に見えるんだよ」

「このバッシュは俺の自作自演だって言いたいのかよ!」


 本当に何なんだよ!

 ――いや、周りの連中だって様子がおかしい。この切り裂かれたバッシュの事より、リイネならしょうがない的な事を口にして……

 ――ああそうか、そうだったのか……

 部活は目が届かないとは言え、俺は何で今まで気付かなかったんだ。

 西城と小倉だけじゃない。この部の全員が、すでにリイネの敵だったんだ……


「だから取引しようぜ。この事に関しては俺ら全員黙っててやるから、オマエからも才賀に部活を辞めるように言ってくれよ」

「どうしてそういう話になるんだよ!」

「こんな問題起こしたんだ、退部は当然だろ」

「だってリイネは被害者――」

「だからさ! 邪魔なんだよ、才賀」


 俺の言葉を遮って古茂田はそう声を上げると、蔑む目をリイネに向けた。


「もう一ヶ月以上やってんのに何も上達しないし、それでも黙々とやっててくれりゃいいけど、なんかニコニコ笑いながらやってるしよ。ハッキリ言って気持ち悪いんだよね、ハハッ……」


 その嘲笑が周りの連中からも含み笑いを生む。

 それが、俺の逆鱗に触れた。


「リイネの! リイネの笑顔の理由を知らない奴が勝手な事言うなぁッ!」


 俺は、古茂田の胸ぐらに掴み掛かる。

 だが、俺はすぐに横っ面を殴られて吹っ飛ばされた……


「アンちゃん!」


 リイネが叫びながら駆け寄ってくる。同時に、古茂田が俺に怒鳴る。


「何なんだよテメエは! それが上級生に対する態度か? ああッ?」


 今度は古茂田が、倒れ込んでいる俺に掴み掛かろうとする。

 そこに駆け寄ってきたリイネが飛び込んで来て、俺に覆い被さった。


「部長さん、やめてなの! アンちゃんは心臓が悪いの!」


 その途端、古茂田は焦った顔を見せて俺から引いた。


「はあ? マジかよ! 冗談じゃねえぞ! そんな奴が普通に学校来てんじゃねえよ!」


 まただ。また昔と同じだ。体の事でケンカ相手にまで引かれて――クソッ……

 その時だ。それは突然だった。俺に覆い被さっていたリイネが、スッと立ち上がり、周りを睨みながら低い声で言った。


「人はその業、原罪からは逃れられないっていうけど、アンタらは俗物そのものね――アタシの男に手上げて、覚悟は出来てる?」


 いや違う。この今にも火を噴きそうな凄まじい殺気。アドリー……

 何が起こったかも分からず、リイネ――アドリーから放たれた殺気に周りのヤツラは凍り付く。だが、そんな中で俺はすぐに叫んだ。


「オマエは出てくんな! これは、俺とリイネの問題だ……!」


 殺気が、アドリーの気配が消える。

 と、同時に誰だかの女の声が上がった。


「練習もしないで部員引き連れて、何こんなとこで騒いでるんですか、部長」


 不意に現れたのは、他の連中より頭一つ分くらい大きいポニーテールをした女子だった。


「ああ、半田か……」

「半田か、じゃないです。私は何をやっているのかと聞いているんです」


 この半田とか言うの、確か二年のエースで、次の部長だってリイネが言ってたな。遠目から見た事はあったけど、間近で見ると本当に大きい。古茂田だって結構な身長なのに半田はそれ以上だ。だけど、それを抜きにしても何か形容しがたい威圧感がある。古茂田だって十分大きいのにだじろいでるくらいだ。


「だからさ、なんか一年が女子の部室で何かやってるとか聞いたから、来てみたら才賀とかが居て、それで今、才賀を退部させようとしてたんだよ」

「それをどうして男子である部長が決めるんですか? 女子のキャプテンは私です。相談も無しに勝手な事をされたら困ります」

「ま、まあ、それは悪かったよ……」


 更に威圧感を増す半田に、古茂田は更にたじろぐ。

 だが、半田はもう古茂田には目を向けず、リイネに目をやっていた。


「才賀、アナタここでおかしな事をやっていたっていうのは本当なの?」

「俺達は何もやってない!」


 俺は思わず口を挟んだが、


「来栖には聞いてない。私は才賀に聞いているの」


 と、その威圧感を俺に向けた。なんか母さんの威圧感とはまた違った威圧感に俺は圧倒されてしまい、俺も古茂田同様たじろいでしまった。


「どうなの? 才賀」

「何も、してないの……」

「でも、こうして問題が起こっているのは事実よね?」


 俺は自分を奮い立たせて声を上げた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! このバッシュを見ろよ!」

「だからなに?」


 見下ろしてくる視線。なんだよこれ、もう身動きも出来ない……


「こんな事をされる前に、ちゃんと自分の問題と向き合わなかったのは才賀の責任でしょ。まずはきちんと問題と向き合って、そこで私に相談をしてくれていたなら私だって解決に乗り出した。でも才賀はそれをしなかった。それは才賀の責任でしかない」

「な、なんだよ! それじゃ、イジメられる方が悪いみたいな――」

「私はね、降りかかる火の粉も払えないような人間は大嫌いなのッ!」

「そ……それは……」


 その言葉に納得したわけじゃない。ただ、その言葉には何かを経験した者にしか言えないような迫力があり、俺はもう何も言い返せす事が出来なくなってしまったのだ。

 そこに古茂田が、嬉しそうな顔で半田に言った。


「じゃあ、才賀は退部でいいんだな?」

「好きにすればいいでしょ」


 半田はつまらなそうに答えると、大きく手を叩いた。


「ほらッ! 全員練習に戻って。こんなつまらない事に気を取られていたら全国なんて行けないよ!」


 そうして半田は他の連中を引き連れるように体育館へと戻って行き、最後に古茂田が念を押すようにリイネに言った。


「才賀、明日、退部届提出しておけよ。分かったな」


 まるで無様に取り残された俺とリイネ。

 去り際に見せた西城と小倉のしたり顔が目に焼き付いて、俺は床を殴りつけた。

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