第三章 悪意の渦中〈2〉

 興味の無い時間というのは本当に永く感じる物で、俺にとっては授業という物がその一つだったりするわけだ。

 こんな時、リイネみたいな性格をつくづく羨ましいと思う。さして面白くもない授業をリイネはニコニコと、それは楽しそうに受けている。こういった所は小学生の頃からまったく変わらない。それでいて成績の方もまったく変わらない。最下位だけは免れているという感じだ。

 ちなみに俺の成績は中の上くらい。だからよくリイネには勉強を教えているが、これが絶望的なまでに才能が無い。それでもリイネの笑顔は決して消えない。


「リイネって、ホント楽しそうに授業受けるよな」

「知らない事を知るのって楽しいの」


 勉強に限らず何でもそうなのだが、リイネが物事をやる時のモチベーションは常にこれなのだ。

 俺は苦笑交じりに言う。


「リイネは幸せそうだな」

「エヘヘヘヘ……」


 リイネは、いつものように小さな子供みたいな満面の笑みを浮かべて笑うのだった。



 昼休み。

 梅雨入り前の青空の下、俺達は校舎の屋上で母さんの作ってくれた弁当を食べていた。

 はむはむと何だか懸命に弁当を食べるリイネの姿は、よーちえんじなんて通り越して、もう何かのゆるキャラみたいだ。


「ところで、西城と小倉はあれから何もしてこないか?」


 ふと気になり、俺は何気なく聞いてみる。まあ、あれだけ脅してやったし、クラスではずっと俺と一緒なのだから何もしてこないとは思うが……


「別に何もないの」


 俺はホッと胸をなで下ろした。だが、次のリイネの言葉に、俺は思わず耳を疑った。


「リイネ、たまには西城さんと小倉さんと、三人でお昼ごはん食べながらお喋りがしてみたいの。だけど二人ともお昼になるとどっか行っちゃうの。すごく残念なの」

「おいおい……」


 頭を抱える俺。

 まあ、リイネらしいと言えばリイネらしいが、頭の中までゆるキャラとは……

 その時、


『はぁァァァァ……』


 と、呆れ返った溜め息が聞こえた。


『リイネ、アンタ本物のバカなの?』

「あっ、アドリーちゃんオハヨーなの!」

『そうじゃなくってさ……』


 どうやらアドリーが目を覚ましたようだ。


『ねえダーリン。アタシ、あの二人ブッ殺してあげようか? 心配しなくてもアタシの炎なら死体も残らないし』

「リイネがバカならオマエは大バカだ……」


 起き抜けでいきなり物騒な事を言い出す魔王少女。しかし、ブッ殺してやりたいという気持ちが俺だって無いわけじゃない。勝手にデッチ上げた事で知りもしない父さんの事までバカにされ、アイツらの事だ、すでに言い回っている可能性だってある。

 と、リイネが珍しく真面目な顔を作って言うのだった。


「アドリーちゃん。西城さんにも小倉さんにも、お父さんお母さんが居るの」


 なんというド正論……


「それに、魔法少女はそんなこと言っちゃダメなの。魔法少女は愛と正義の女の子なの」

『ハイハイ、わかったわよ。魂の成り立ちから違う奴の相手は疲れるわ……』

「魂の成り立ち? なんだよそれ?」

『昨日も言ったでしょ。リイネは特別ってこと』


 そこで俺は、すぐに昨日の会話を思い出し、勢いのまままくし立てた。


「そうだ! それだよ! リイネが特別ってどういう事だよ! ちゃんと説明しろ! もしリイネの身に何かあるようだったら俺も黙ってられないぞ!」

『そうねぇ~、どこから説明したらいいものか……なにしろ二千年周期の話だし』

「はあ? 二千年……?」

『今それを説明したところでダーリンには理解出来ないだろうし、アタシ、長い説明って苦手だから、またいずれね。じゃあ、アタシはもう少し寝るわね』

「あっ! ちょっと待てって!」

「アドリーちゃん、また寝ちゃったの」


 まったく、突然出てきたと思ったら――あっ、そう言えば朝の事も聞きそびれたな。

 ゲームキャラが、どうして現実世界に現れているのか?

 知りたくっても、俺にはどうすることも出来ないし――何だか、妙に胸がザワついた。



 放課後になり、俺はいつものように教室でリイネの部活が終わるのを待っていた。

 もちろん朝の事もあったし、リイネには今日は部活を休むように言おうと思ったが、言った所でどうせ聞きはしないだろうし、結局俺は何も言わずリイネを見送った。

 で、俺がリイネを待つ間、いつも教室で何をやっているかと言うと、当然学生の本分である勉強だ――というのは単なる方便。自分の人生から『ゲーム』と言う物を捨て去った俺に残された物がそれしかないというだけの話だ。

 しかし、好きでやっている事でもないから大して頭にも入らない。中の上という成績であっても逆に言えばこれだけ毎日勉強しているのに中の上なのか、という感じ……

 だったら本でも読んでいた方がよほど有意義なのかもしれないが、そこはリイネに勉強も教えてやらなきゃいけないし、という半ば使命感みたいな物もある。

 結局はリイネなのだ。


「早いとこ、手が掛からなくなってくれないものかな……」


 教科書を広げながらそんな子持ちの中年みたいな独り言を溜め息交じりに吐いてしまうのも、この時間のいつもの事だった。

 開けた窓から、グラウンドで練習する運動部の声が聞こえてくる。俺は勉強する手を休め、サッカー部の練習風景に目をやった。


「サッカーなんて、まともにやった事ないな……」


 小学校、中学校と、俺は体育の時間ですら教師に心臓の事を気にされ、走りっぱなしになるサッカーにはほとんど参加した事が無い。

 それならゴールキーパーならと参加しても、今度はクラスメイトに気を遣われてシュートが打たれてこない。それは凄くイヤで、ミジメで、今でもトラウマになっている。


「この体さえ、マトモならな……」


 ……ふと、ある事が頭を過ぎった。それはアドリーに言われた事だ。


『――そもそもダーリン、死んでたし』


 あれはどういう意味だったんだ? まあ心当たりがあるとすれば……

 ……五年前、俺はデビルズサーガをプレイしている最中に心臓の発作を起こして倒れた。しかし、結構ヤバイ状態だったにも関わらず、それ以来、俺の心臓は一度として発作を起こしていない。

 もしかしたら、俺はあの時に一度死んで、アドリーに蘇生されて、同時に心臓病も治ったんじゃ……!

 いや、まさかな……

 だいたいあのゲームは基本的にプレイヤー一人で戦うスタイルのゲームだ。イベントによってNPCが仲間になる事はあったが、蘇生魔法なんてものは……


「そうか……!」


 俺は、昨日アドリーと一緒に学校から抜け出した時に感じた違和感の正体が分かり、思わず立ち上がった。

 と、その時だった。


「あの、来栖くん……」


 不意に俺を呼ぶ声が聞こえ、俺は教室の入口に目を向ける。

 と、そこにはバスケ部のユニフォームを着た小柄な女子が立っていた。


「君は――」

「菊田、です……」


 か細い声で、その女子はそう名乗った。

 髪をツインテールに結い上げ、やたらと黒目が大きい。三白眼というやつだ。リイネ程じゃないが、この子も小柄で年齢よりだいぶ幼く見えた。

 ――でも、確かこの子、部活で何度かリイネと一緒に居るのを見たことがあるな……


「今、部活中でしょ? どうしたの?」

「あのね、すぐに才賀さんの所に行ってあげた方がいい、と思う。あの子、今、女子の部室小屋に――」


 話を最後まで聞く事なく、俺は教室を飛び出していた。

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