第三章 悪意の渦中〈1〉

「それじゃあ、行ってきます」

「行ってきますなの!」


 いつもの時間、いつも通り学校へと向かう俺とリイネ。

 いつもと違うところと言えば――

 リイネがいつも以上に満面の笑みを浮かべているところ。

 リイネがお気に入りの魔法少女アニメの主題歌を鼻歌で歌っているところ。(音痴)

 そんな感じでリイネが浮き足立っているところ。

 よっぽどアドリーの事が嬉しいらしい。さて、なんと説明したものか……

 いや、説明はしたのだ。アイツはとんでもない魔王なんだと、魔法少女なんて可愛らしいものじゃない、破壊の化身なんだと。まあ、それに加えてエロエロ大魔王なんだと教えるまでは、ちょっとはばかられたが……

 しかしリイネが言うには――


「でも、アドリーちゃんは魔法でリイネ達を助けてくれたの」


 リイネにとってはそれがすべてのようだった。

 朝、嬉しそうにアドリーの為の赤いドレスみたいな衣装を縫いながらそんな風に答えられると、俺は返す言葉を失ってしまった……

 その後、母さんが起きてきて俺達二人が珍しく早起きしている事に目を丸くしつつ、すぐにリイネが作っている衣装に興味を持ったが、俺はあらかじめリイネには、


「アドリーの事は黙っておけよ」


 と、釘を刺しておいたのでリイネも、


「お友達の衣装を作ってあげているの」


 と、答えるに留まった。

 リイネがアドリーの事を話し始めたりなんてしたら母さん、本気で心配してリイネを病院に連れて行きかねない。リイネ的には、魔法少女の事は秘密にしなきゃいけないくらいに思っているのだろうが……

 しかし、アドリーが魔法少女なんかじゃないのは確かだ。もしまたアドリーが現れたら何をしでかすか分かったものじゃないし、そもそも体はリイネの物だ。リイネが危険な目に遭うのを見過ごすわけにはいかない。


「なあリイネ。オマエがどうやってアドリーと話しているのかは知らないけど、もうアドリーと話すのはよせ」

「どうしてなの? アドリーちゃん、とってもいい子なの」


 笑顔でそんな言葉を返してくるリイネ。俺は思わず困った顔を作ったが――


「だから、アイツはそんな奴じゃ――」


 と、更に言おうとした、その時だった。


『ちょっとリイネ! アンタ、何度言ったら分かるの?』


 間違いなくアドリーの声だった。


「アドリーちゃん、オハヨーなの!」

『だから、アタシの事はクイーンアドリアーナ様と呼びなさい!』

「アドリーちゃんの方がカワイイの」


 俺は思わず辺りを見回すが……


『おはようダーリン。今はリイネの中から話しかけているのよ。この声も二人にしか聞こえないわ』

「おいおい、どういう事だよ……」

『完全に覚醒したから会話くらいは出来るのよ。もっともアタシが顕現するには、リイネが譲ってくれなきゃ無理だけどね』


 なるほど、無理やり表には出られないって事か。


「だったらリイネの許可の前に、俺が許可しない限りアドリーは表に出るな。何しでかすか分からないからな」

『なによ! 人をトラブルメーカーみたいに!』

「それ以外の何があるんだよ?」

『ふ~ん、いいわよいいわよ。どうせまたモンスターが現れたらアタシの力が必要になるんだから』


 そうだ。唐突な事が起こりすぎて俺は、一番重要な事をすっ飛ばしていた。


『ダーリンだってアタシが顕現しなきゃ勇者の力は使えないしさ』

「なあアドリー、あのモンスター達って、やっぱりまた現れるのか……?」

『そうねぇ~、結論から言っちゃうと、また出るわね。ただし、この園北市で起きている一連の無差別暴行事件の犯人は、昨日の彼じゃないわ。あれは、それぞれモンスターに存在証明を乗っ取られた他のどっかの誰かさん達。たまたまリザードマンに偏っただけ。アイツら好奇心強いから。でも、放っておいたら昨日みたいにオークやゴブリン、もっと厄介なモンスターが現れる可能性もあるわ』

「おいおいおいおい……」

『まあでも、心配しなくてもいいんじゃない? 死人が出る前に誰かが秘密裏に処理しているみたいだから。じゃなきゃこの町、今頃モンスターだらけだろうし』

「秘密裏に……?」

『アタシ以外に動いている奴が居るって事よ。検討はつくけどね』

「ちょっと待て! じゃあなにか? アドリー以外にもゲームキャラが現実に出て来ているって事か! 一体何が起こってんだよ!」

『ん~~~、それを説明するとちょっと話が長くなるのよねぇ~。とりあえずさ、アタシ、昨日久々に魔法使って疲れてるから、もう一眠りするわ。起きたら教えてあげる』

「おい、ちょっと待てって!」


 俺は思わず声を上げたが、もう返答は無かった。


「アドリーちゃん、また寝ちゃったみたいなの」

「ったく……」


 本当に勝手な奴だ。しかし、それにしても――


「なあリイネ。アイツ昨日は『魔法少女アドリーって呼んでね❤』とか言っていたくせに、なんでリイネには『クイーンアドリアーナ様と呼びなさい!』とか言ってんだろ? 魔王はもうやめたって言ってたし……」

「あのね、リイネが今日早起きできたのは、アドリーちゃんに起こされたからなの。その時にアドリーちゃん話していたの。あのね、アドリーちゃんがご主人様で、リイネは家来なの。だからアタシの事もクイーンアドリアーナ様と呼ぶようにって言っていたの。それで、キョウはアタシの物だから家来のアンタが獲ったらダメって言っていたの」


 俺は誰の物でもないっつーの……

 しかし、また昨日みたいにモンスターが現れたら嫌でもアドリーの力は必要になる。

 と、同時に俺の貞操の危機も迫るわけで……

 世界の危機か、俺の貞操の危機か。いずれにしろ気が重い……



 学校に着くと、周りは昨日の騒ぎの話題で持ちきりだった。みんな口々に火柱を見たとか、凄い爆発音を聞いたと騒ぎ立てている。

 更に騒いでいる生徒達の話に聞き耳を立てると、消防隊員が美術室に駆け込んだ時、顧問と美術部員達はまだ気絶していたらしく、全員病院に搬送されたそうだ。病院で気が付いた全員が、美術室に誰かが飛び込んで来て、(もちろん俺とリイネの事だが、よく覚えてはいないみたいだ)姿の見えない怪物が現れた、と証言しているらしい。

 しかし結局は、火災、爆発の通報は誤報。顧問と美術部員達の証言に関しては、あの時、美術部員達はペンキを使っていた為、換気不足によるシンナー中毒、それによる幻覚、錯乱、昏倒という事で事件性は無しという判断になったようだ。

 ただ迂闊だったのは、暗幕カーテンだ。あの時、アドリーも身に付けたままだったから俺もうっかりしていたが――まあ、あそこでまた裸になられても困るし――暗幕カーテンが無くなっている事が多少騒ぎになったようだが、その程度であれば問題もなさそうだった。

 そして、リザードマンに姿を変えた生徒とその友達はと言うと、俺達が去った後、すぐに目を覚ましたみたいだが、リザードマンに姿を変えた方は何も覚えてなく、気絶していた生徒の方は、やはり怪物が現れたと騒いでいるという話だ。

 そちらの方は、再び起きた無差別暴行事件として警察が草の根を掻き分けるような捜査しているという事だった。


「みんなすごく騒いでいるの。なんだか楽しそうなの」

「ああ、まったく呆れるよ……」


 校舎はなんともないから誤報だったと言われたところで、実際には火柱を見た者や爆発音を聞いた者が居るのだから騒ぎたくなるのも無理はないだろう。美術部員達や気絶していた生徒の証言がそれに輪を掛けているといった感じだ。みんな退屈な日常の中で降って湧いたような非日常に心躍らせている。現実の非日常がどれくらいの悪夢になるかも知らないで。何も知らないというのは本当にノンキなもんだ……

 当然、クラスでも同じような騒ぎで、俺はウンザリしながらリイネと一緒に中へ入る。

 だが、足を踏み入れた瞬間、俺はすぐに騒いでいる内容が違う事に気付いた。

 黒板にデカデカと描かれた相合い傘。左右に書かれている名前は俺とリイネ。


 ――小学生か……


 俺は思わず呆れてしまったが、その下に書かれた言葉にすぐに気付き、顔を歪めた。それは、苦笑で済まされる言葉じゃなかったからだ。


『近親相姦の変態カップル』


「アンちゃん、アレどういう意味なの?」


 不思議な顔を作るリイネには何も答えず、俺は真っ直ぐ黒板へと向かい描かれた物を消す。それから、席を並べてふんぞり返り、さっきからクスクスと下卑た笑いをこっちに向けている西城と小倉の方へと向かう。

 注意はしていたのだ。例えば、リイネの机に何かおかしな物が入っていないかとか、教科書とかにラクガキをさせないようにとか。でもまさか、こんなあからさまな方法をやってくるとは……

 俺は両手で二人の机を同時に叩いた。


「昨日の仕返しか? それとも今までの仕返しか?」

「はあ? 何言ってんのおたく?」


 そう返したのは西城だ。派手な茶髪を指でいじりながら上目遣いで睨んでくる。


「俺がムカつくなら俺だけにしろ。リイネを傷付けるな」

「お兄ちゃん、カッコイイ~」


 そう言って嗤ったのは小倉だったが、俺は無視して続ける。


「それから勘違いしてるみたいだから言っておくぞ。俺とリイネは兄妹じゃない。名字が違うんだから分かるだろ。ただ一緒に育ったってだけだ。オマエらが思っているような関係でもない」

「あっそう。私ら、てっきり才賀って、来栖のオヤジが浮気相手に生ませた子供だと思ってた」

「ダメだってぇ~、西城。そんなこと言っちゃったらぁ~、私らがアレ描いたってバレちゃうじゃ~ん」

「あっ、そっか。ごめんごめん。キャハハハッ!」


 西城と小倉は二人揃ってバカ笑いを見せる。俺は思わず拳を握り込んだが、砕けそうなくらいに奥歯を食いしばって怒りを飲み込んだ。


「もう一度言うぞ。リイネを傷付けるな。今度やったら本当に地の果てまででもオマエら二人を追い込むからなッ……!」

「なにそれぇ~? こわ~い、アハハハハ!」


 そう小倉が嗤い、西城はまた上目遣いで睨んできた。


「そう言えば私らが引き下がると思う? これで終わりだと思わない方がいいよ」


 俺は大きな溜め息を吐く……

 本当だったらこういう事はしたくなかった。やればコイツらと同類になるような気がしたからだ。しかし、手段を選んでいる余裕が無いのも確かだった。

 俺はリイネの所に戻り、


「ちょっと、スマホ貸して……」


 と、リイネからスマホを受け取ると、再び西城と小倉の元へと行き、ある動画のデータを出した。


「オマエら、リイネをイジメている時の自分達の顔、見たことあるか?」


 俺は二人にだけ見えるようにそれを見せた。それは、昨日部室の裏で二人がリイネを責めていた時の動画だ、リイネに声を掛ける前にこっそり撮っていたのだ。

 二人の顔が青ざめる。

 俺は、小声で二人に脅しを掛けた。


「いいか、もし今度リイネに何かしてみろ。俺はこの動画を職員室に持って行く。理由はどうあれ、一瞬でもオマエらはリイネに暴力をふるっているんだ。そうなれば退部はもちろん、退学だってありえるからな。よく覚えとけよ」


 青ざめたまま二人はうつむき、もう何も言わなかった。

 俺だってバカじゃない。リイネがイジメを受けている現場を目の前にして、ただ助けるだけでは何も解決しない事くらい承知している。だから最終手段として証拠を残したのだ。


「アンちゃん、大丈夫……なの? 怖い顔してたの……」


 リイネの所に戻ると、リイネは不安な顔でそう言った。俺はリイネにスマホを返しながら、


「心配すんな」


 と、笑顔で返す。それから、「ほら、席に行くぞ」と、リイネを促しながら俺も自分の席へと向かった。

 と、その時だった。リイネが凄まじい目付きで西城と小倉の背中を睨んだ気がした。いや、この殺気はまるで……


「アドリー……?」


 小声で問い掛けたが、リイネはきょとんとしている。

 まあ一瞬だったし、気のせいか……

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