第二章 魔王少女〈1〉

 ……目を開けると、そこには見知った天井があった。

 いつも通りの俺の部屋の天井。

 いつも通りカーテンの隙間からは朝日が漏れて、何事も無い朝を告げている。

 だが――


「夢……なわけないか……」


 家の玄関をくぐった途端、間髪入れず飛んできた母さんの腹に響く怒鳴り声は、未だ耳に残っていた。指を鳴らす音も……


「アレはマジで明日は来ないかと思った……」


 今更ながら恐怖が蘇り、それが昨日の事が夢じゃなかった事を俺にハッキリと認識させた。父さんが帰っていて本当に良かったと心から思う……


「あれ? リイネ……?」


 隣で寝ていたはずのリイネがいない。昨日はショッキングな事が多すぎて、俺は隣でリイネが寝ることを許したのだが、そのリイネがいなかった。

 部屋の時計を見ると、まだ朝の六時手前。いつもより一時間以上の早起き。寝ぼすけのリイネが起きる時間じゃない。イヤな予感が走った。


「まさか、アイツが連れ去ったんじゃ……!」


 俺はベッドから飛び起き、隣のリイネの部屋へと向かう。

 だが、部屋はもぬけのカラ。


「リイネ……リイネ……!」


 俺はすぐに一階へと下りる。

 と、リビングの窓から差し込む朝の日だまりの中に、リイネはちょこんと座っていた。


「あっ、アンちゃん、オハヨーなの」

「オハヨーじゃないよ。心配させないでくれ……」


 笑顔で振り返ったリイネに、俺は思わず安堵の息を吐く。

 と、リイネは傍らに裁縫道具を置いて、何やら縫い物をしている様子だった。裁縫はリイネの特技ではあるが、しているところは久しぶりに見た気がする。


「珍しく早起きしてると思ったら――久しぶりじゃないか、縫い物なんて」


 リイネは、ニコニコと縫い針を動かしながら答えた。


「うん。中三の夏休み以来なの。だから、本当に久しぶりなの」

「夏休み以降は、受験の準備で忙しかったもんな」

「でも、ちゃんと指は覚えていてくれていたからホッとしたの」

「そっか――で、何縫ってんだ?」

「アドリーちゃんの衣装を縫ってあげているの」

「リ……リイネ……」


 楽しそうに裁縫をするリイネに顔をほころばせていた俺だったが、一変して俺は顔を強張らせて息を飲んだ。


「アドリーちゃん、炎みたいな真っ赤な衣装がいいって言っていたの。だからリイネ、中三の夏休みに作ったロングドレスを思い出して、それをアドリーちゃん用にミニスカートドレスにサイズを――」

「リイネ! 昨日の事覚えてるのか!」


 俺は思わずリイネの肩を掴む。リイネはこくりと頷き、


「夢みたいに、ボンヤリとなの。でも、アドリーちゃんからお話は全部聞いているから知ってるの」


 それから満面の笑みを浮かべ、興奮するように言うのだった。


「アンちゃん、すごいの! リイネの中に魔法少女がいたの!」


 俺はなんと言葉を返していいか分からず、ただ茫然となった。

 アレは、そんなものじゃないってのに……


 悪夢に悪夢が上塗りされた、昨日の出来事はそういう出来事だ。


           ◇

「やっと会えたね、キョウ。アタシのダーリン」


 いきなり俺のファーストキスを奪った素っ裸女は、唇を離すと、妖艶な笑みを浮かべてそう言った。

 もちろん俺は、こんな女は知らない。


「いや、ちょ、ちょっと待って……」

「そうよね、覚えているわけないよね。子供の頃の話だし、そもそもダーリン死んでたし」

「はっ?」

「まっ、そんな事はどうでもいいのよ」


 言うなり素っ裸女は、未だ尻餅をついたままの俺に再び抱きついてきた。

 その勢いで俺は素っ裸女に押し倒される。

 と、素っ裸女の細くしなやかな左腕が首に巻き付いてきて、右の掌の柔らかい感触が俺の頬を撫でてくるのだった。


「朝からずっと呼び掛けていたけど、アタシも覚醒したばっかだったから、上手く声が届かなくて寂しかった。リイネの体を借りてちょっとだけ表に出られたけど、あんなヨージ体型じゃどうにもならないし……」

「な……何言ってんだ……」

「だけど、学校に誘導して正解だったわ。こうしてダーリンと重なり合えるんだから……」

「ちょ、ちょっと待って。む、胸が、当たって……」

「ホント会いたかったよぉ~、ダーリン……」

「いや、だから、ちょっと……! リイネ――リイネはッ!」

「そっちは大丈夫。今は楽しみましょう……」


 だから、胸が……ふ、ふ、太ももが…………股間に触っ……!


「あァァァーッ! もうッ! 状況を考えろってッ!」


 堪えきれずに俺は叫ぶ。

 と、素っ裸女はキョトンとした顔を作り、途端に疲れたような顔で溜め息を吐くのだった。


「はあァァァ……そうよね。さっきからトカゲ臭いし、ブタ臭いし、ウンコ臭い……」


 そうして立ち上がると、素っ裸女は教室の窓に掛かっていた暗幕カーテンを引き千切り、それを身に纏う。その姿はまるで――――

 そうだ、間違いない。フードこそ付いていないものの、この女の姿はまぎれもなく黒衣の魔王……


「この下等生物ザコどもッ! アタシのラブシーンを邪魔する奴は万死に値するって事を教えてやるわ!」


 そう上げた声と同時に、青のペンキに染まったカメレオン変異種のリザードマンが襲いかかってきた。

 しかし、次の瞬間、黒衣の魔王の赤髪は燃え上がるように逆立ち、ルビーのように赤く美しい瞳は、さらにその輝きを増したのだった。

 黒衣の魔王は右手を前にかざし、左手の人差し指で素早く右に左にと空を切る。文字を書いている訳でもなさそうだったが、あの動き、何か見覚えが……

 と、赤く光る円形の魔法陣が浮かび上がり、黒衣の魔王は空気を震わせるような声を発した。


「逆巻け豪炎、貫け火球――火炎弾ファイアバレツト!」


 と、魔方陣から無数の火の玉が弾丸の如く飛び出し、リザードマンを吹き飛ばした。

 そして、更に黒衣の魔王は吠えた。


「さあ、どいつもこいつもケシズミにしてやるわ!」


 弾かれるように、俺達を取り囲んでいたリザードマン、オーク、ゴブリンが一斉に黒衣の魔王に襲いかかる。

 だが、黒衣の魔王もニヤっと不敵に笑う。


「上等! まとめてブッ殺すッ!」


 再び黒衣の魔王は、右手をかざし、左の人差し指で空を切る。と、さっきとは違う魔法陣が浮かび上がり、詠唱が空気を震わせる。


「翻れ爆炎、紅蓮に染めよ――爆砕炎陣ナパームカーテン!」


 凄まじい爆発音と共に巨大な炎が何も無い空間に吹き上がり、風に吹かれるカーテンの如く翻る。豪火のカーテンは、モンスター達を残らず飲み込んでいった。

 火の海となる美術室。

 その中で、黒衣の魔王は高らかに笑うのだった。


「アーッハッハッハッ! 燃えろ燃えろ! すべて焼き尽くせ!」


 その姿は、まさに魔王だった……

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