第一章 キョウとリイネと……〈5〉

 商店街を抜けて住宅街に入る。

 夕焼けのオレンジ色はもう微かで、夜のとばりが落ちて街灯が灯り始めていた。家はもう目の前だ。

 しかし、リイネはまだ不安な顔をしていた。


「なあリイネ、もういい加減、機嫌直せよ。俺が悪かったからさ」


 だが、リイネは首を横に振った。


「ううん、違うの。あのね、リイネは……」

 だが、その時――


「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 突然のように悲鳴が上がった。この辺りは朝以外は人通りも少なく、基本静かだ。その分、悲鳴は一際大きく響いて、どこから聞こえてきたものかも、すぐに分かった。


「アンちゃん! ただ事じゃないの! 事故かもしれないから行ってみるの!」

「待て、リイネ!」


 俺が止めるのも聞かず、リイネは悲鳴が聞こえた方向へと走り出す。

 本当に今日は何だって言うんだ!

 炎の幻覚が見えたり、リイネがおかしくなったり、今度はこれだ。

 なにか、イヤな予感が止まらない……

 家とは反対方向へとリイネは駆けて行き、俺もその後を追う。

 声がした方向は、路地をいくつか曲がったその先――

 と、そこには、目を疑うような光景があった。

 同じ高校の制服を着た男子が二人。一人は塀にもたれて昏倒しているようだった。そして、もう一人はスマホを片手に、何かに変化しようとしていた……


「なんだよ……何が起こってんだよ……」


 そいつは、まるで何かと入れ替わるようにムクムクと体を大きくさせてゆく。

 服はちぎれ飛び、手足が人の物ではなくなってゆく。

 むき出しになった肌が緑色のウロコに覆われてゆく。

 顔は長くなり、口は裂け、身長は二メートルを超える大男に……いや、これは――


「朝のニュースで見た、トカゲの着ぐるみを着た巨漢……」


 着ぐるみ?

 いや違う。たった今、目の前で人間が変化したんだぞ。着ぐるみなわけがあるか!

 それにこの姿――そうだ、間違いない――あの姿は――


「リザードマン……」


 完全に爬虫類の顔となったその細長い独特の眼球が、ギロリと俺達二人を睨んだ。

 俺は、リイネを庇うように前に出る。と、リイネが声を上げた。


「アハハ、アンちゃん、すごいの! オバケなの!」


 果てしなくノンキだな、リイネ……

 リザードマンの手に握られていたスマホが、凄まじい握力で砕け散る。同時に、獣とは違う甲高い咆吼を上げた。

 それに弾かれるように俺は叫んだ。


「逃げるぞリイネッ!」


 俺はリイネの手を握りしめて走り出す。凄まじい足音を立てて追いかけてくるリザードマン。だが、幸いにもリザードマンの足はそう速くない。


「そうだ警察! 警察へ……!」


 ニュースによればリザードマンは警官の銃で逃げ出したって――そうか。水棲モンスターは雷に弱い。銃の発砲音を雷と間違えて逃げ出していたのか!

 警官の姿を求め、住宅街から商店街の方へと逆戻りをした俺とリイネ。

 だが、商店街に出た途端、妙な事が起こった。リザードマンが消えたのだ。


「えっ? そんな……今のは……」


 また幻覚?

 白昼夢?

 だが、突然、俺達の後ろ側の方で人が倒れた。


「キャッ! なに? 風?」


 倒れた女性が不思議な顔をして驚いている。風なんて吹いていない――


「アイツ、景色に同化してるんだ! リザードマンでもカメレオン変異種かよ!」


 これで今まで防犯カメラに映らなかった理由が分かった。でも、それが分かったところで……

 だが、その時、運良く自転車でパトロール中の警官が通りかかった。


「お巡りさん!」


 俺はリイネの手を引いたまますぐに駆け寄る。

 血相を変えて駆け寄って来た俺に、警官は驚いた顔を見せたが、俺は構わず叫んだ。


「お巡りさん! 銃を撃って!」


 同時に、リザードマンは振り上げたバカでかい拳と共に姿を見せた。

 一足遅くその警官は、何が起こったのか分からない顔のまま自転車ごとリザードマンに殴り飛ばされた。

 ああ、間違いない。あの姿、攻撃の時にだけ姿を見せるあの習性。ああそうだ、間違いないんだ――けど――訳が分からない……

 殴り飛ばされて商店の壁に激突した警官は、微かなうめき声を上げるも起き上がる事は叶わなそうだった。

 同時に周囲から上がる悲鳴。逃げ惑う人々。

 リザードマンは、再び俺とリイネをギロリと睨み、姿を消す。


「クソッ! 逃げるぞリイネ!」


 俺は再びリイネの手を引いて走り出し、同時にリザードマンも、次々と人々をなぎ倒しながら俺達を追いかけてくる。

 とにかく――とにかく今は冷静になるんだ。

 理由も何も分からないけど、とにかく今は思い出せ、俺。

 ……確か、狙いを定めたら一直線というのがリザードマン種の特徴だったはずだ。そして、あのカメレオン変異種はリザードマン種でも高位モンスターで、普通は密林の深部とかに出現する。厄介なのは、攻撃をする瞬間まで姿を見せない事。それから鋼のように硬いウロコ。倒すには、中級以上の雷魔法か武器が要求されたはず。

 もっとも、今そんな物があったところで、俺があのリザードマンの姿を見た次の瞬間には、あの警官と同じ運命だろうが――いや、下手をすれば死……

 どうする? 何か手は……


「えっ? 学校? アンちゃん、学校に行くの?」


 突然リイネは、そんな事を口走った。


「何言ってんだリイネ! こんな時に!」


 ダメだ。リイネもパニックで訳が分からなくなってるんだ。

  ――でも、学校は良い考えかもしれない。闇夜にカメレオン変異種相手じゃ殺されるのを待つようなものだ。でも、学校ならいくらでも明るく出来るし、何か反撃できる物があるかもしれない!



 商店街を抜け、学校の目の前まで来ると、門はまだ開いていた。門がまだ開いているって事は、校舎にはまだ人が残っているはず。

 と、見れば一つだけ電灯が灯っていた。

 一番上の階――四階、美術室。


「しめた! 美術部の奴らには悪いが……!」


 追いかけてくるリザードマンの凄まじい足音を背に、俺はリイネを連れて校舎の中に走り込み、階段を駆け上がる。


「ねえアンちゃん! 心臓! こんなに走ったら心臓が大変なの!」


 言われてみれば、こんな全力疾走、生まれて初めてかもしれない。でも――


「大丈夫だ!」


 そんな事を考えている余裕なんて無いし、それに、不思議と本当に心臓は何ともなかった。

 そうして俺はリイネを連れて廊下を駆け抜け、美術室に飛び込んだ。

 中では、美術部顧問の女性教諭と、部員の男女五、六人が何か看板のような作品を仕上げていた。


「オマエら逃げろ! 怪物が来るぞ!」


 飛び込むなり俺はそう叫ぶ。

 だが、連中はキョトンとしていた。


「クソッ!」


 俺はリイネを部屋の隅に避難させて美術部員達の方に駆け寄ると、彼らが使っていた物を手に取った。


「アンちゃん! 見えないオバケ来たの!」


 椅子や机を叩き折る凄まじい破壊音と、美術部員達のつんざくような悲鳴が鳴り響く。

 その時、俺が手に取っていたのは青色のペンキだった。


「姿が見えなくったって、足跡までは消せないもんなッ……!」


 リザードマンの体重と踏む力は、タイル張りの学校の床を割り、いちいち足跡を残しているのだ。それで大体の位置は掴めた。俺は、その位置に向かって青色のペンキをぶちまけた。

 リザードマンの姿は青色にハッキリと浮かび上がり、同時に悲鳴にも似た咆吼を上げた。運良くペンキが目に入ってくれたらしい。


「オマエらこの隙に逃げろ!」


 叫ぶと同時に、俺もまたリイネの手を握りしめる。



 ――が、次の瞬間、悪夢が巻き起こった。



 その場に居た人間が、誰一人として逃げなかった。それどころか、変化を始めた。

 ある者は体を大きくさせてウロコを生えさせていった。

 ある者は相撲取りのように巨漢になっていった。

 ある者は小さなツノを生やし、小柄になっていった。

 その顔は、トカゲ、ブタ、鬼……


「リザードマンだけじゃない……オークに、ゴブリン……なんだこれ……」


 ああ、やっぱりだ。この姿は……


「デビルズサーガの登場モンスター……」


 俺とリイネは美術室の隅で、ありえないゲームのモンスター達に追い詰められた。

 何とか、何とかリイネだけは逃がさないと……


「誰か、助けてなの……」


 その時、リイネが突然うずくまって叫んだ。


「アンちゃん! アンちゃん! なんか……なんかなの!」


 まさか、リイネまでモンスターに!


「リイネ! しっかりしろリイネ!」

「アンちゃん! リイネ、リイネ爆発しちゃうの!」


 させるもんか! そんな事、させるもんかッ!


「リイネ! リイネェッ!」


 俺はリイネを強く抱きしめる。

 同時に、リイネの体からは炎のような赤い閃光がほとばしり、俺の胸の中でリイネは服を破ってみるみる大きくなっていく。


「リイネッ! モンスターになんかなるなァ!」


 だが、それはモンスターなんかじゃなく、人間だった。

 それは勢いよく立ち上がると、両腕を天に突き上げ、雄叫びを上げた。


「やっと出られたァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」


 そこに立っていたのは、俺とそれほど歳が変わらなそうな少女。腰まで伸びた髪は赤髪。その瞳は、ルビーのように赤く美しく輝いている。

 そいつは腰に手を当て、高らかに言い放った。


スーパー美少女天才魔法使い、クイーンアドリアーナ、降ッ! 臨ッ!」


 ただし、ガラス細工のように透き通った肌がきらめく細い肩筋、大きく隆起した胸、くびれた腰、スラリと伸びた綺麗な脚線、それから――――と……とにかく素っ裸だ……

 で、なんかピースサインを目元で横にしてキメポーズを作り、さらに付け加える。


「魔法少女アドリーって呼んでね❤」


 素っ裸でそんなこと言われても……

 と――


「キョウ!」


 その見知らぬ素っ裸女は、満面に笑みを浮かべて俺の名前を呼び――俺は、抱きつかれてキスをされたのだった……

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