第一章 キョウとリイネと……〈1〉

 朝だ。

 遮光カーテンの隙間から漏れた光が差し込んでいる。

自転車が走り去って行く音や近所の主婦達の挨拶を交わす声、通学する小中学生達の声も聞こえてくる。間違いなく朝だ。朝の音だ。しかも晴天。


「あぁー、イヤだイヤだ……」


 朝ほど憂鬱になるものはない。なぜなら、起きたくもないのに世界に強制的に起こされるから。起きたら起きたで学校に行かなきゃならないから。

 何の為に、意味も見いだせず進学した高校。それでも行かなきゃ世間は俺を人生の落伍者のようにあざ笑う。だから仕方なく進学した高校。中学時代に言われた、行けば何か見つかるよ、という無責任でいい加減な周りの声は、今思い出しても腹が立つ。

 何の為に高校に行くのか、その意味が見出せない。その内、生きている意味すら見失いそうだ……

 だが、ベッドの中で起きる事を拒み続けても、その怒鳴り声はこの二階に上がってくる足音と共にドアの向こう側から突き抜けてくる。


きょうっ! いくら学校が近いからっていい加減起きなきゃ遅刻するわよ!」


 母さんだ。いつもながら頭というより腹に響く。


「今起きるよ……」


 俺はベッドの中からそう返す。学校が近い、つまりは近所、この憂鬱に対してそれだけが唯一つの救いだ。そんなささやかな救いだけを頼りに、俺は体を起こす。

 と――


「うわっ!」


 いつもの事なのだが、いつものように俺は驚いてしまった。

 俺の隣には、小柄なショートヘアの少女が枕を並べ、すやすやと幸せそうな寝顔を見せていた。まるで幼女のようなその寝顔。ロリコンなら歓喜に打ち震えるような場面なのだろうが、残念ながら俺はロリコンではない。したがって毎朝のこの状況にもほとほと迷惑しているのだ。


「また俺のベッドに潜り込んで――おいリイネ、起きろ」

「んー……」


 俺に肩を叩かれ、うっすらと目を開けるリイネ。小さな子供のように伸びをして、両の手の平で目を擦り、


「……アンちゃん、オハヨーなの」


 と、満面の笑顔を見せる。反面、俺は呆れた顔を見せた。


「オマエなぁ、いい加減、夜中に俺のベッドに潜り込むのはよせ」

「リイネはね、一人で寝るのは、さびしいなぁーなの」

「だったら母さんの所にでも行けば良いだろ」

「アンちゃんと一緒がいいなぁーなの」


 再び満面の笑みを浮かべるリイネ。そんなリイネに俺は朝から疲れた顔を見せるが、そんな俺を気にする様子もなくリイネは笑顔のままゆっくりと体を起こした。

 起きたところで小柄なのは変わらない。身長は130センチちょっと。スリーサイズなど無いに等しい完全幼児体型。だが、信じられない事にコイツは俺と同じ十五歳だ。今年から俺と同じ高校に入学した高校一年生なのだ。とてもじゃないが学生カバンよりランドセルの方がよほど似合っている。


「ほら、さっさと着替えて学校行く支度するぞ」

「ハーイなの」


 リイネは手を上げて、いつも通りの素直な返事をした。

 才賀さいが璃衣音りいね。俺の家で一緒に育ってきた少女。

 というのも、俺の名前は来栖くるすきょう。名字が違う。リイネは十年前にこの家に引き取られた子供なのだ。ちなみにコイツが俺を『アンちゃん』と呼ぶのは、きょうという字はあんとも読める為、そっちの方が呼びやすいと言って子供の頃から俺をそう呼んでいる為だ。決して兄という意味ではない。

 が、俺のコイツに対する役割は兄のそれとほとんど変わらない。まったく頭が痛い。

 でもまあ、そうは言ってもやはり同い年。同じ屋根の下に居れば、それなりに意識してしまう――――わけがない。

 断じて言うが、コイツに限ってはそういう気がまったく起きない。容姿もそうだが、一番の要因はコイツの頭の中身だったりする……


「だからここで着替えようとするな。自分の部屋に行け」


 前開きのパジャマを頭から脱ごうとするリイネに俺は呆れ顔でそう言い、上から服を押さえて脱ぐのを阻止する。リイネの辞書に『お年頃』などという言葉はどこにも載っていない。容姿が小学生なら、頭の中身はほとんどよーちえんじだ。ハッキリ言ってこれに女子を意識しろという方が無理だ。

 まあそれでも、見ているこっちが恥ずかしくなるから止めはするが……


「ハーイなの」


 また素直な返事をしてリイネは、布団を抜けだして這うように俺をまたぎベッドを下りようとする。

 と――

 そこに……そこに…………掛け布団の上から…………リイネの手が………………


「あれ? アンちゃん、この硬いのナニなの?」


 言うまでも無く、そこは健康な男子の朝の生理現象な部分なわけで……


「オマ……エ……そこ……を……握るとか…………」

「こんなのズボンに入れて寝たら危ないの。ケガしちゃうの」

「い……いいからさっさと出てけーッ!」

「ピャアッ!」


 リイネは変な声を上げてベッドから飛び上がる。が――


「ん? アンちゃん、今何か言ったなの?」 

「いつまでも寝ぼけんな! いいからさっさと着替えてこいッ!」

「ピャアッ! わかったなの!」


 リイネは再び変な声を上げ、慌てて部屋を出て行った。


「ったく、あのよーちえんじ……」


 俺は思わず自分の股間を押さえたまま大きな溜め息を吐いた。本当に朝から疲れる……

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