第2話 忘れてください
「あー。そのー。なんだ……。ば、バイト大変だな……」
数十秒間の沈黙の後、ようやく絞り出した言葉がこれだった。
明らかに正解ではないことは理解している。
でもしょうがないだろ!
放課後! メイド喫茶で! 教え子と出会ってるんだぞ!
まともな思考なんてできるわけがないんだ!
「と、とりあえずオムライス置いてくれるか……?」
できる限り優しく、柔らかい口調で言うと有栖川はそのままオムライスを乗せていたごとオボンごとテーブルに置く。
オボンの上にはオムライスだけでなく、セットでついてくるサラダとお絵かき用のケチャップもあった。
「だ、大丈夫だ有栖川! ここでバイトしてることは誰にも話さないし! それからーー」
「あ~! アリスちゃん何してるの?」
何とか元気づけようと声をかけると、別のメイドさんがやってきた。
後ろからアリスにそっと抱きつき、テーブルに置いてあるオムライスをジッと見つめる。
「あれ~。もしかしてアリスちゃん、忘れちゃったの~?」
恐らく有栖川の先輩だろう。
まあ、彼女がさっき『新人メイド』と自分で言っていたから当然か。
「あ、ち、違うよメルちゃん!」
慌てたように声を出しながら否定をするが、メルちゃんさんは怪しんでるような笑顔を浮かべる。
すると有栖川のほっぺを人差し指でつつきながら言った。
「ほんとに~? じゃあほら、早くやらないと!」
メルちゃんさんがオムライスを指差しながら悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
すると有栖川は「うう……」と小さく声を漏らし、顔を真っ赤にした。
いやいやいやいや! さすがに無理だろ!
毎週のようにメイド喫茶に通っている俺には、この後有栖川がやろうとしていることが分かっていた。
「ほらアリスちゃん! 早くしないとオムライスが覚めちゃうよ!」
有栖川の肩に手を添えながら追い打ちをかけるメルちゃんさん。
止めろ! 止めてあげてくれ!
しかし、ここで止めたら逆に怪しまれるだけだ。
むしろ俺はいつもこれを楽しみにしている。
けどそれは、メイドさんが教え子ではない時の話だ。
「せっ……! ご主人様!」
いま先生って言いかけたな。
「い、今から、アリスがオムライスに魔法をかけますねぇ……!」
声と手を震わせながら有栖川は一歩前へと近づいてきた。
頑張って笑っているように見せるが、ただ単に目を合わせないよう閉じているだけだろう。
彼女はもう耳まで真っ赤にしている。
そして手でハートの形を作って、再び声をあげる。
「お、美味しくなぁれ~! 萌え! 萌え! きゅ~ん!♥」
伝説の台詞。
まさか文化祭ではなく、本当のメイド喫茶で教え子からこの言葉を聞けるとは思っていなかった。
「はーい! アリスちゃんよくできました~! 偉い偉い!」
ちゃんと魔法をかけた有栖川のことを素直に褒めるメルちゃんさんが、彼女の頭を優しく撫でた。
当の本人は目をうるうるさせ、今にも泣きそうになっている。
メルちゃんさんが別のところに行った後、有栖川がケチャップを手に取った。
「そ、それじゃあケチャップで描きますね~」
今すぐにでも逃げ出したいだろうが、そこは有栖川の真面目な性格が来てるのだろう。
投げ出すことはなく、しっかりとケチャップまでかけてくれるようだ。
こういうのはこちらからリクエストをしたりもできるけれど、俺はいつもお任せにしている。
「はい、どうぞ! せっ……ご主人様!」
さっきの萌え萌えきゅんのお陰で多少は吹っ切れたのか、恥ずかしさが幾分か無くなっている気がする。
そんな有栖川が書いたのは『忘れてください』という文字であった。
俺は何も言わずにケチャップを手に取り、慣れない手つきでお皿の淵部分に『OK』と書いた。
その日のオムライスはなぜか味がしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます