第14話 誤解

「はぁ、はぁ……」


 俺は水面から顔を出し、息を整える。

 そんな俺の前に、2本のスラッとした足が見えた。


「雪宮さん……あっ? クマ――ぐえぇっ!?」


 俺は思わず叫び声を上げる。

 雪宮さんが、俺の顔面を思いっきり踏みつけたからだ。

 裸足でぐりぐりと踏みつけられる。


「ちょ、ちょっと! 雪宮さん!!」


「うるさいっ!!」


 俺は足をどけようとするが、彼女の力が強く押し返せない。

 その上、彼女は怒りの形相で俺を睨みつけていた。


(これは……ヤバいな)


 理由はよく分からないが、彼女は影の世界で戦っているときから情緒不安定な様子だった。

 そこに、俺の失言が止めを刺してしまったようだ。

 いくらクマさん柄のアレが見えたからって、言葉にするのはマズかったか……。


「あー……ごめんな、雪宮さん! でも、決して馬鹿にするつもりはなかったんだ! クマさんにはクマさんの良さが――」


「うるさいっ!!」


「うぐぅ……っ!」


 雪宮さんは俺の顔面を蹴り飛ばした。

 俺は痛みに悶絶する。

 そんな俺の様子を見て、彼女は少しばかり落ち着いたようだ。

 しかし、怪異を倒した達成感のようなものを感じている表情ではない。

 むしろ、苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「はぁ……っ! どうして……! なんでなの……!!」


 雪宮さんは髪をくしゃくしゃにしながら、俯いていた。

 肩はプルプルと震えている。


「浅倉君……。あなたのお爺さんが勝手な発表をしたせいで……! あなたが邪魔をしたせいで!! 『雪宮』の名はもう終わりなのよ!!!」


「えっ……?」


 俺は呆然とする。

 彼女の言葉が、理解できなかったのだ。

 いや……理解したくなかっただけかもしれない。


「もう……こんなものを持っていても意味はないわ……!」


 雪宮さんは手に持っていた刀をプールに投げ捨てた。

 それは、雪宮さんが影の世界でも使っていた愛刀だ。


「ふん……」


 雪宮さんは傷ついた体を引きずるように歩き、プールサイドから去ろうとする。

 だが、俺は見逃さなかった。

 刀を投げ捨てる際、彼女が一瞬だけ悲しそうな顔をしたのを……。


「雪宮さん……!」


 俺は慌ててプールから這い上がり、彼女を追いかける。

 そして、背後から呼び止めた。


「……まだ何か用かしら?」


 彼女は冷たい口調で言う。

 その瞳は、光を失ったように暗い色をしていた。


「下手に出ていれば、好き勝手に言いやがって……。このわがまま女が!」


「きゃっ!?」


 俺は彼女の襟首を掴む。

 そして、顔と顔がくっつきそうなくらいに引き寄せた。


「ちょっと! 何を……!」


 雪宮さんは顔を真っ赤にして暴れ始める。

 しかし、俺は放さない。

 絶対に離すもんかよ……!


「言いたいことだけ言って逃げるな!」


「うるさいわね! 放っておいてよ!!」


「あのなぁ! 俺だってお気楽に生きているわけじゃないんだぞ!!」


「はぁ!? 何よそれ!!」


 雪宮さんは怒りに任せて叫び声を上げる。

 俺はそんな彼女に、思いの丈をぶつけた。


「俺だって……何かできることはないか考えていたんだ! でも、お前の周りにはファンの男子がいつもいるし……放課後になったらお前はすぐに帰っちまう!!」


「そ、そんなことあなたに関係ないでしょ!!」


「影とか、宿主とか……! 俺には何が何だか分からねぇんだ! でも、雪宮さんが困っているなら力になりたい。そう思ったから……! 俺は……!」


「……!!」


 雪宮さんは言葉を失ったようだ。

 目を丸くしている。

 何とか聞く耳を持ってくれそうか……?

 俺が一縷の望みをかけて言葉を続けようとしたとき……。


「うわあああぁっ!! 待って! ねぇ、待って!!」


 突然、大声が響いた。

 聞き覚えのある声だ。


「はぁ、はぁ……! け、ケンカしないで! ね? 落ち着いて……!」


 誰かが俺と雪宮さんの間に割って入る。

 その人は、両腕を広げて俺と雪宮さんを引き離そうとした。

 だが、まだだ。

 このタイミングを逃すと、言いたいことを言えるチャンスはもうない。


「婚約の話自体は、この際どうでもいいんだ! だが、分からないことが多すぎる! そんな状態で、どうやって助ければ――あ」


 俺は叫んでいる途中で、ようやく気付く。

 俺と雪宮さんの間にいる人物。

 それは……


「こ、婚約!? いつの間にそんな話になってたの!? それに……雪宮さん、そのずぶ濡れの服は!?」


 俺のクラスのギャル、ミーちゃんだった。

 彼女は、俺が口を滑らせた『婚約』という言葉や雪宮さんの状態を見て、驚きの表情を浮かべる。

 一方、雪宮さんは目を閉じて『もうどうでもいい』というような諦めきった表情だ。


「あさのん……? これって……」


 ミーちゃんが俺に視線を向ける。

 その視線はどんどん冷たくなっていき、失望の色が浮かんでいた。


「ま、待て待て! 何か誤解がある! 違うんだ、ミーちゃん!!」


 俺は手をブンブンと振りながら、必死に否定する。

 ミーちゃんが具体的にどんなことを考えているのかは、分からない。

 だが、何か妙な勘違いをされている気がしたのだ。


「あさのんなんて、もう知らない! 行こ、雪宮さん!」


「……ええ」


 ミーちゃんは雪宮さんの腕を引き、走り去った。

 雪宮さんは特に抵抗することもなく、大人しく引きずられていく。

 俺は呆然と立ち尽くし、それを見送った。


「えーっと……。これって……? 俺、ミーちゃんに怒られるようなことは何もしていないのに……」


 状況が理解できずに混乱する俺。

 ミーちゃんに何かを誤解された事実を受け入れるまで、数分の時間を要したのだった。

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東京シャドウズ 猪木洋平@【コミカライズ連載中】 @inoki-yohei

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