第3章
第15話 もう一人のミーちゃん
ポタポタ……。
ポタポタ…………。
水滴が広大な水面に落ち、その波紋が静かに広がっていく。
一定のリズムで繰り返される音が、どこまでも響き渡る。
そして、その水滴が触れた場所から、ゆっくりと人影が浮かび上がった。
次の水滴がその人物の頬を伝い、彼女は静かに目を開く。
彼女はゆっくりと身体を起こした。
確かに水の上に横たわっていたはずなのに、彼女の衣服は一切濡れていない。
周囲を見回しても、果てしない水平線が広がるばかりだった。
「……ここは?」
彼女は呟く。
「ここは――お前の世界だ」
どこからともなく、声が響いた。
「私の……世界?」
彼女は立ち上がる。
「あなたは誰? どこにいるの? ……姿を見せてよ!」
声の主を探して周囲を見渡すが、誰の姿もない。
「下を見てみろ」
「え?」
言われるままに水面を見下ろすと、そこには彼女自身の姿が映っていた。
当たり前のことだ。
だが――
「ばあっ!」
「ひゃああっ!?」
突如、水面に映った自分の影が叫び声を上げながら迫ってきた。
彼女は驚きのあまり、数歩後ずさる。
影はゆっくりと歩み寄り、彼女の足元にぴたりと自分の足を重ね合わせた。
まるで、影としての定位置はそこだと言わんばかりに。
「……あなた、誰?」
「何を言っているのだ?」
影はくすりと笑った。
「私はお前自身だ。そんなことも忘れたのか? 間抜けな奴め」
「……え?」
「ちゃんと思い出してみろ、ミキ」
影は彼女の名前を呼んだ。
「それとも、ミーちゃんと呼んだほうがいいか?」
「……!」
彼女は息をのむ。
「何が目的?」
「目的だと?」
影はくすくすと笑う。
その笑い声には、どこか不穏な響きがあった。
「私の目的は……お前の願いを叶えることさ。私たちは一心同体なのだから、当然だろう?」
影の指が、ゆっくりと絡み合う。
長く鋭い爪が、しなやかな動きを描く。
「……!」
ミーちゃんは言葉を失う。
口を開きかけるが、声が出なかった。
何かに囚われたかのように、彼女の身体は動かなくなる。
「さあ……お前の願いを成就させるため、手伝ってやろう」
影は静かに身を翻し、水面を抜け出して這い出てくる。
ホラー映画のワンシーンのように、それはミーちゃんの身体にじわじわと重なっていく。
「ただし、代償として……」
耳元で囁く声が、鋭く脳を刺す。
低く、甘美で、抗いがたい。
ぞくりと背筋が震えた瞬間――
「……っ!!」
弾かれるように、ミーちゃんは目を見開いた。
――そこに広がっていたのは、白い天井。
ゆっくりと焦点を合わせると、見慣れたカーテンが風に揺れていた。
朝日が柔らかく差し込み、窓の外からは鳥のさえずりが聞こえる。
「はぁ、はぁ……。また、あの夢……?」
ミーちゃんは荒い息をつきながら、ゆっくりと身を起こす。
寝汗でパジャマがぐっしょりと濡れ、いくつかのボタンが外れてしまっていた。
胸元に滴る汗が、冷たい感触を残す。
そのとき――
コンコン……
「ねぇ、大丈夫なの? 何か悲鳴のようなものが聞こえたけれど……」
扉の向こうから、控えめな声が聞こえた。
ミーちゃんはすぐにベッドから起き上がり、ドアノブに手を掛ける。
「は、はいはい! 大丈夫だよ!」
ミーちゃんは咄嗟に、いつもの明るい調子を装った。
そして、ドアを開けて雪宮を出迎える。
「……ずいぶん汗をかいているみたいね」
「それは妙だな。ここって全室エアコン完備だったはずだ」
雪宮の声に続き、少年の声が聞こえる。
見覚えのある顔が、雪宮の肩越しに見えた。
「っ!?」
ミーちゃんは、すぐに気づいた。
――浅倉だ。
そして、その瞬間だった。
「ごふっ!?」
ドンッ!!
雪宮は、浅倉を強く突き飛ばした。
彼は声にならない悲鳴を上げて廊下を数メートル吹き飛び、倒れ込んだ。
「ちょっ!? 雪宮さん、どうしてそんなことするの!?」
「どうしてって……自覚がないの?」
雪宮は淡々と答える。
「そんな格好で異性の前に出るなんて、あり得ないわ。少しは恥を知りなさい」
「……?」
ミーちゃんは首をかしげる。
そこで、ようやく気づいた。
パジャマは汗でぴったりと張り付き、露出が激しくなっている。
さらに、髪は寝起きでボサボサだ。
「……あー、まあ、別にいいんじゃない?」
「よくないわ。私が浅倉君をぶっ飛ばさなければ、バッチリ見られちゃってたのよ?」
雪宮が言う。
ミーちゃんと雪宮――その性格はまるで正反対だった。
雪宮は新しい浴衣を着て、髪もきれいにまとめている。
「……ごめんごめん。確かに、ちょっと油断してたかもね」
「……」
雪宮は沈黙する。
気まずい空気が流れた。
「……よし! とりあえず着替えてくる!」
ミーちゃんは強引に話を切り上げると、扉をスライドさせる。
「朝食は三十分後、大広間に集合ね!」
「……分かったわ」
雪宮はそう答えると、浅倉を引きずりながら廊下を歩いていった。
その背中を見送りながら、ミーちゃんは小さく息をつく。
(……さっきの、あの夢……)
彼女はそっと胸元を押さえた。
そこには、さっきの影が触れた感触が、まだ残っているような気がしていた。
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