第7話 出涸らしと没落家

 ピーッ、ピーッ。

 無機質な電子音が鳴り響く。

 あまり聞き覚えのない音だ。


「ん……」


 俺はゆっくりと瞼を開けた。

 視界には白い天井が見える。

 ここは……どこだ?

 俺は体を起こそうとした。

 だが、体が動かない。


(あれ?)


 そこでようやく気付いた。

 俺の体が包帯でぐるぐる巻きになっていることに。


「お目覚めですか?」


 その時、一人の女性が顔を覗き込んできた。

 長い髪が美しい女性だ。


「えっと……」


 俺は状況が理解できず、言葉に詰まってしまう。

 そんな俺に彼女は優しく微笑みかけた。


「ここは病院です。あなたは公園で何者かに襲われて、ここに運び込まれたんですよ」


「病院……?」


 俺は改めて周囲を見る。

 彼女は看護師の格好をしており、俺の隣に吊るされた点滴を交換中だった。

 どうやら、ここは本当に病院のようだ。


「あ、あの……。俺が襲われたって?」


「ええ、そうですよ」


「だ、誰に……?」


「それが分からないんです。警察も捜査中ですが、目撃者がいないらしく……。あなた以外にも被害を受けた方がいて、あなたの分の救急車も呼んでくれたそうです。あとでお礼を言っておいた方がいいですよ」


「そ、そうですか。分かりました」


 俺は小さく息を吐いた。

 どうやら俺が意識を失った後、雪宮さんが救急車を呼んでくれたようだ。

 しかし、怪異の件については何も話していないらしい。

 まぁ怪異の存在が世間に知られれば大騒ぎになるので、当然と言えば当然だが……。


(あっ……!)


 そこで俺はあることに気付いた。

 雪宮さんのことだ。


「あ、あの! その雪宮さんはどこに……?」


「ああ、彼女なら――」


 看護師さんが言葉を紡ごうとした時。

 病室の扉が勢いよく開いた。


「久しぶりだな、我が孫よ」


「は……?」


 そこに現れたのは、俺の祖父だった。

 かなり高齢のはずだが、その肉体にはまだまだ衰えが見えない。

 彼は袴を着ており、狐のお面を被っていた。

 そんな彼の後ろには、黒服の男たちが付き従っている。


「あの……患者さんはまだ安静にしていなければいけないので、席を外してください」


「問題ない。儂はこやつの祖父だからな」


 看護師さんは困惑しながら言うが、祖父は聞く耳を持たない。

 彼女は気圧されたのか、すごすごと部屋を出て行った。


「さて……。我が孫よ、体の具合はどうだ?」


 祖父は扇子で仰ぎながら俺に尋ねる。

 俺を心配しているかのような口ぶりだが、その目は全く笑っていなかった。


「…………」


「ふん、まだ反抗期なのか? いつになったら大人になるのやら」


「……何の用だ? 俺たち家族を捨てたのは、あんたの方だろ」


「状況が変わったのだ。子どものお前には、難しい話かもしれんがな」


「……」


 祖父は俺を見下している。

 相変わらず、いけ好かないジジイだ。


「悪いが、今はあんたの話に付き合っている暇はないんだ。俺は――」


「こやつを知っておるか?」


 祖父は懐から一枚の写真を取り出した。

 そこには、一人の少女が写っていた。


「っ!? どうして……あんたがその人の写真を!?」


 俺は思わず飛び起きる。

 だが、体が思うように動かず、すぐに倒れてしまった。


「こやつは雪宮白。没落した雪宮一族の生き残りじゃ」


「雪宮さんに何をしたんだ!? まさか……」


「おっと、勘違いするな。儂は何もしておらん。こやつに危害を加えるつもりはない」


 祖父はカラカラと笑う。

 彼は右手を俺の肩に置いたが、俺は嫌悪感からそれを振り払った。


「ククッ……。やはり、お前には多少の素質があったようじゃな。禄に鍛錬も続けておらんのに、レベル2の怪異を打ち倒すとは……。出涸らしとはいえ、流石は儂の孫よ」


「あんたに褒められても嬉しくないね……」


 俺はなんとか体を起こす。

 祖父を睨むと、彼はニヤリと笑みを浮かべた。


「公園で何が起きたのか、大方は把握しておる。雪宮白も、没落した血筋の割には悪くない力を持っているようじゃ。浅倉家の末席ぐらいの水準には達しておる。そこで、儂ら浅倉家は一つの結論に至った」


 祖父は扇子で口元を隠す。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


「雪宮白と浅倉あさの……。二人を婚約させることになったのだ」


「……は?」


 俺は頭が真っ白になった。

 今……このジジイは何と言った?


「な、何を言って……」


「聞こえなかったのか? 雪宮白とお前を婚約させると言ったのじゃ」


「ふ、ふざけるな! なんで俺たちがそんなこと……! ボケたのか? ジジイ!!」


 俺は思わず叫んでしまった。

 だが、祖父は全く動じた様子を見せない。


「ククッ……。お前ごときが何を言おうとも、浅倉家の決定が覆ることはない」


「くっ……」


 祖父は俺に視線を向ける。

 その瞳には、孫に対する愛情など微塵も感じられなかった。


「とにかく、おめでとうと言っておこう。浅倉家の出涸らしが、没落家の生き残りと結婚するのじゃ。喜べ、孫よ」


「ふ、ふざけるなっ!!」


 俺は思わず叫んだ。

 だが、祖父は全く動じない。

 それどころか、さらに笑みを深めているように見えた。


「おめでとう、我が孫よ」


「おめでとう」

「おめでとう」

「おめでとう」


 病室に拍手が鳴り響く。

 それは、祖父が付き従えていた黒服たちのものだった。


(く、狂ってやがる……!)


 俺はギロリと周囲を睨みつけるが……誰一人として怯んだ様子を見せない。

 面白がっている様子すらない。

 ただ淡々と、事務的に手を叩くだけだ。


「詳細は後ほど連絡する。今はゆっくりと傷を癒すがよい」


「ま、待てっ! まだ話は――」


 俺の言葉は届かず、祖父たちは病室から出て行く。

 そして、俺だけが残された。


「マジかよ……」


 俺と雪宮さんが婚約……?

 あまりにも現実味のない話だ。


「……」


 だが、これは夢ではない。

 俺の体に巻かれた包帯が、それを証明していた。

 あの怪異は、本当に存在していたのだ。


(雪宮さんになんて説明すればいいんだ?)


 俺は頭を抱える。

 彼女はきっと怒るだろう。

 だが、もしかしたら……。


「いや、そんなことはあり得ない!」


 俺は自分の頬を強く叩く。

 そして、すべてが夢であることを願いつつ目を閉じたのだった。

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