少女と小人の話
春風
少女と小人の話
昔々の話です。長く続いた戦争が終わって、街が少しずつ活気を取り戻していた頃。森には親を失った孤児たちが住み着いていました。彼らは、薬草を摘んだり、木の枝を集めたりして、それらを街で売って、僅かなお金に変えて生活していたのです。
この物語の主人公も、そんな孤児の一人でした。彼女に名前はありませんでしたが、彼女は素晴らしいものを持っていました。優しい優しい心。優しさでお腹は満たされませんが、優しい心は、時に何か素敵なものを生み出す力を持っているのです。
さて、その少女がいつものように薬草を摘んでいると、どこからか小さな叫び声が聞こえました。彼女が声を辿って森を進んでいくと、川を流されていく小さな何かを見つけました。
「助けて! 助けてちょうだい!」
それは小人でした。少女は川下に駆けていき、ざぶざぶと川に入って、流れてくる小人を掬い上げました。
「ありがとう、優しい女の子! あなたは命の恩人だわ」
少女が小人を草の上に立たせると、小人は両手を胸の前で組んでお礼を言いました。少女は濡れたスカートを絞りながら、
「いいのよ。無事でよかったわ。じゃあ私は薬草を探さなきゃならないから」
と、その場を後にしようとしました。先程、川に入ったときに、それまで摘んでいた薬草を川に流してしまい、また摘みなおす必要があったのです。もし薬草が見つからなければ、今日のパンは買えません。それを、小人が呼び止めました。
「あら、お待ちになってよ。助けてくれたお礼に、願いを三つ、叶えてあげるわ」
「願い? どうやって?」
少女は首を傾げました。小人が得意そうに答えました。
「小人は魔法が使えることをご存じないの? 何でもできるわけじゃないけど、何か叶えたいことがあったら言ってみてちょうだいな」
言いながら小人が人差し指を振ると、その服がみるみる乾いていきました。魔法が使えるというのは、本当のようです。
少女は少し考えました。薬草を探して摘んでほしいと言ったら、この小人にできるでしょうか。もっと簡単な願いの方がいいでしょうか。そんなことを考えていると、少女のお腹の虫が大きな鳴き声を上げました。
「あら、あなた、お腹がすいているの?」
小人に尋ねられて、少女は真っ赤になりながら、黙って頷きました。昨日の夜から、何も食べていません。小人は両手をぽんと叩いて、
「じゃあお昼にしましょう! 一つ目の願いはそれでいいかしら」
と、少女を見上げました。食事ができるのであれば、今日薬草が摘めなくても問題ありません。少女は頷きました。
小人が指を振ると、茶色の革袋が少女の手の平の上にひらりと落ちてきました。少女は小人を目で訴えました。まさかこれを食べるのでしょうか。小人はゆっくりと首を振りました。
「袋を開けてごらんなさい」
少女は怪訝な顔をして袋の紐を解きました。空っぽのように思えた革袋でしたが、少女が手を入れてみると、不思議なことに、中からパンと卵とチーズが出てきました。小人は早速チーズをほおばり始めました。少女は目を丸くして、しばらくの間、革袋とパンとをひたすら見比べていましたが、小人に急かされて、ようやくパンをかじり始めました。
「どうなっているの?」
少女がやっとの思いで尋ねると、小人は
「お嬢さん、これが魔法というものです」
と、おどけて答えてから、笑い出しました。少女もつられて笑ってしまいました。
こんなに楽しい食事は初めてでした。少女は、ずっとこうしていたいと思いましたが、やがてお腹が満たされ、楽しいお昼ごはんの時間は終わりになりました。
「美味しかったわね。この魔法の袋は、あなたにあげるわ。お腹が空いたら、いつでも使ってね」
小人はそう言って片目を瞑って見せました。
「どうしてそんなに良くしてくれるの」
少女が尋ねると、小人は驚いた顔をして言いました。
「あなたが私の命の恩人だからに決まってるじゃない。あなたは川に入って私を助けてくれたのよ。お腹がすいてふらふらだったのに」
小人は少女の傍にやってきて、少女にふれました。
「それに私、知っているのよ。あなたが私を掴むために、持っていた薬草を手放したのも。これは私の恩返しなのよ。さぁ、お願い。二つ目の願いを教えて」
少女はしばらく考えて、言葉にするのを迷いながら言いました。
「あのね、私、おうちがほしいの。雨の日も寒くないおうちが」
小さな小人に、こんなお願いをしても大丈夫でしょうか。少女は内心ドキドキしていましたが、小人はにこにこしていました。
「もちろん!できるわよ」
まず二人はおうちを建てる場所を探しました。二人でおしゃべりしながら歩く森。歩きなれた森なのに、今日はなんて楽しいのでしょう。少女は不思議でした。
おうちを建てる場所を見つけると、小人がまた指を振りました。すると、二人の目の前に、あっという間に立派なおうちが出来上がりました。小さな山小屋のようなおうちを想像していた少女は、出来上がったおうちを見て驚いてしまいました。
赤いレンガに、かわいい小窓、小さな煙突、二階の部屋もあります。植木鉢には沢山のお花が咲き誇り、屋根の上には風見鶏がついていました。最近街に建てられ始めた、立派な家々にそっくりでした。そこに帰っていく街の子たちの姿に、少女は内心あこがれていたのです。
「なんて素敵なの! ねぇ、入ってもいい?」
少女が大喜びで尋ねると、
「どうぞ、どうぞ!」
小人は得意そうに胸を張って答えました。
少女はおうちのドアを開けみました。そして、言ってみました。
「ただいま!」
街の子たちがおうちに入る時、いつも「ただいま」と言っているのを、少女は見ていました。自分のおうちに入る時は、そう言うのだろうと思ったのです。そして、街の子たちの「ただいま」には、必ず、優しい声が返ってきました。「おかえりなさい」と。
少女はおうちの玄関に立ち尽くしました。「おかえりなさい」は、返ってきませんでした。おうちの中には誰もいないのだから当たり前です。その当たり前が、何故か少女の心をずんと重くしました。
家の壁や手すりには、かわいい花の模様が彫られていました。鳥の巣箱の形をした木時計が、コチコチと時を刻んでいました。とても素敵なおうちでした。それなのに、このおうちはとても静かで、とてもとても寂しいのです。
少女の目から涙が零れました。少女は気づきました。少女が街の子たちにあこがれていたのは、彼らがおうちを持っていたからではなかったのです。少女はおうちを手に入れたことで初めて、寂しさを知ってしまいました。
「まぁお嬢さん! どうしたの? おうちが気に入らなかったの?」
少女の涙を見て、小人がキンキン叫びました。少女は、違うと言いたかったのですが、涙が次々零れてきて、何も言えなくなってしまいました。一度零れ出してしまったら、今まで我慢してきた寂しさが、一度に襲ってきたのでした。少女は、ただただ首を振って泣き崩れました。小人はどうしたらいいか分からなくてオロオロするばかり。終いには、小人も少女と一緒に泣き出してしまいました。
どれくらいそうしていたでしょうか。少女と小人は、玄関の石段に腰かけて、沈んでいく夕日を眺めていました。もうすぐ夜になってしまいます。少女は横目で小人を見ました。そろそろ、小人は帰ってしまうでしょうか。
「今日はありがとう。ごはんもおうちも、とっても嬉しかったわ」
少女は小人に話しかけました。
「泣いたりしてごめんなさい。なんだか寂しくなってしまったの。ただいまって言っても、答えてくれる人は、私にはいないって、わかっていたのにね」
黙って話を聞いていた小人が口を開きました。
「私もひとりよ。もう何百年もひとり。誰かと話しをしたの、久しぶりだった」
小人は少女の手の甲に自分の手を重ねました。少女は手の平をかえして、小人の手をそっと握りました。
「私たち、家族がいてくれたらよかったのにね」
それから、沈む夕日を見つめて呟きました。
「あぁ、家族がほしいな」
「もっちろん!」
小人が突然キンキン叫んだので、少女は驚いて聞き返しました。
「なぁに? どうしたの」
「私があなたの家族になるわ。それが三つ目の願いでしょう?」
小人はにこにこして答えました。少女は息を呑んで、小人をそっと抱き上げました。小人をじっと見つめて、少女は聞きました。
「いいの? 私の家族に、なってくれるの?」
「あなたの家族に、なりたいの!」
小人が両手を伸ばしてそう言ったので、少女は小人をぎゅっと抱きしめました。
「私も! 私もあなたの家族になりたい!」
こうして、少女と小人は家族になりました。少女は、森に住んでいた孤児たちみんなを、新しいおうちに招待しました。みんなでごはんを食べ、みんなで眠りました。おうちの中は、いつでも賑やか。いつでも笑いが絶えませんでした。孤児たちは一生懸命働いて、大工さんになったり、パン職人になったりしました。そして、戦争で壊れた街を立て直したり、お腹を空かせた人たちにパンを配ったりました。少しずつ、少しずつ、街には笑顔の人たちが増えていき、やがてその笑顔は国中に広がっていったのです。めでたし、めでたし。
この物語がハッピーエンドになったのは、小人の魔法があったからかもしれません。でも少女は、その優しい心で、小人がくれた素敵な魔法をみんなで分け合いました。優しい心は、伝わり、広がっていきます。優しさでお腹は満たされません。優しさで貧しさがなくなるわけではありません。でも、優しい心は、時に何か素敵なものを生み出す力を持っているのです。そう思いませんか。
そうそう、大人になった少女がどうなったか知りたいですか。大人になった彼女は、あのおうちで小人と一緒に孤児院をひらいて、沢山の子供たちのお母さんになりました。そうして、おうちへ帰ってくるみんなを、いつでも優しく迎えていましたよ。
「おかえりなさい」と。
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